第八十一話 崩れゆく足場
八月十八日の政変以降、京都、そして土佐の情勢は、目まぐるしく変わっていった。
長州という後ろ盾を失った土佐勤王党は、もはや、かつてのような勢いを持たなかった。それどころか、藩内では、これまで沈黙を守っていた守旧派たちが、この機を待っていたかのように、一斉に、その牙を剥き始めていたのである。
「東洋暗殺の黒幕は、武市であったに違いない」
「あの数々の天誅も、武市の指図であったのだ」
これまで、証拠もなく、噂として囁かれるに留まっていたこれらの疑惑が、政変を機に、藩の正式な詮議として、初めて、俎上に載せられることになった。
容堂は、その動きを、静かに、しかし、確実に、後押ししていた。長州という後ろ盾を失い、もはや利用価値のなくなった瑞山を、これ以上、生かしておく理由は、容堂には、何一つなかったのである。
「……武市半平太に対する詮議を、正式に開始する」
その沙汰が、藩の重臣たちの間で、密かに、しかし、確実に、固められていった。
その不穏な動きは、瑞山自身の耳にも、間もなく届くことになった。かつての同志の一人が、夜陰に紛れて、瑞山の元を訪れ、震える声で、こう告げたのである。
「先生……。藩内で、先生を詮議にかけるという話が、進んでおるようです。東洋先生暗殺の件、そして、京での数々の天誅の件……。もはや、疑惑ではのうて、罪状として、正式に、取り上げられようとしております」
その報せに、瑞山は、しばらくの間、何も言わなかった。ただ、静かに、目を閉じただけであった。
(……ついに、来たか)
その報せは、瑞山にとって、決して、意外なものではなかった。むしろ、長らく胸の奥底で、覚悟していたことが、ついに、現実として、姿を現しただけのことであった。八月十八日の政変で、長州という後ろ盾を失ったあの日から、瑞山は、この日が、いずれ、必ず訪れることを、薄々、悟っていたのである。
「……そうか。分かった。知らせてくれて、感謝する」
瑞山は、静かに、そう答えた。その声には、驚きも、動揺も、感じられなかった。ただ、これまで、心のどこかで、準備してきた覚悟が、静かに、その輪郭を、はっきりとさせていくだけであった。
(富に……。今宵のうちに、最後の膳を、囲んでもらわねばならぬ)
瑞山の脳裏に、真っ先に浮かんだのは、遠く離れた朝廷でも、幕府でもなく、ただ、新町の自宅で、自分の帰りを待っているであろう、富子の姿であった。
その夜、瑞山は、静かに、屋敷への帰路についた。文久三年九月。ついに、その覚悟の時が、瑞山の元に、訪れようとしていたのである。




