第七十八話 三つの死出
六月八日。高知城下の刑場に、三つの白装束が並んだ。夏の朝の光が、その白い布を、痛いほど鮮やかに照らし出していた。
収二郎は、雲一つない夏の空を、一度だけ、静かに見上げた。それから、目の前に置かれた短刀に、ゆっくりと手を伸ばす。
(先生……。あの文箱、結局、渡せずじまいになってしもうたのぉ)
その思いを、収二郎は、誰にも語ることなく、胸の内だけに、そっとしまい込んだ。かつて、道場で共に汗を流した日々。瑞山に稽古をつけてもらい、その一挙手一投足を、神仏のように仰ぎ見ていた、あの若き日の記憶が、収二郎の脳裏を、静かに流れていった。
「……いざ」
収二郎は、短刀を腹に突き立てた。激痛に顔を歪めながらも、その口からは、一切の悲鳴も、泣き言も、漏れることはなかった。介錯人の刃が、静かに、その苦しみを断ち切った。
間崎哲馬もまた、収二郎に続いた。彼の脳裏には、瑞山が江戸から戻ることをひたすら待ち続けた、あの焦燥の日々が、走馬灯のように駆け巡っていた。
(武市先生……。わしらは、先生を信じておりました。……ただ、待つことが、あまりに、辛かっただけながです)
その想いを込め、間崎もまた、静かに、自らの腹に刃を突き立てた。見届ける役人たちの中にも、思わず、目を伏せる者がいたほどであった。
最後に、弘瀬健太が、短刀を手に取った。彼は、これまでの二人ほど、落ち着いてはいられなかった。手が、微かに震えている。三人の中で最も若く、まだ、覚悟の据わりきらぬところがあったのかもしれない。それでも、弘瀬は、歯を食いしばり、その刃を、腹へと沈めた。
「……武市先生。わしらは、間違うておったがでしょうか」
弘瀬が、最期に、誰にともなく、そう呟いた。その問いに、答える者は、誰もいなかった。
三人の切腹は、見届け役の役人たちの記憶にすら、長く残るほどの、壮絶なものであった。彼らは、最後まで、武士としての矜持を、決して手放さなかったのである。
処刑の一部始終は、その日のうちに、瑞山の元へと届けられた。だが、瑞山は、その場に、立ち会うことすら許されなかった。ただ、遠く離れた寓居の暗闇の中で、その報せを、震える手で受け取ることしかできなかったのである。
報せをもたらした使者が去った後、瑞山は、しばらくの間、身動き一つできなかった。やがて、その口から、絞り出すような声が漏れた。
「収二郎……。間崎……。弘瀬……」
三人の名を、一人ずつ、噛み締めるように呼びながら、瑞山の目から、堪えきれなかった涙が、静かに、しかし止めどなく、こぼれ落ちていった。
(わしが、殺したようなものだ。……わしが、殿を信じ切って、あの者たちの焦りに気づいてやれなんだ。わしが、もっと早くに、江戸から戻っておれば。わしが、もっと、あの者たちの言葉に、耳を傾けておれば……)
その悔恨は、瑞山の中で、次第に、抑えきれない激情へと変わっていった。瑞山は、両の拳を、畳に強く叩きつけた。
「……おまんら、悔しいだろ!」
その叫びは、これまでの静かな悔恨とは、まるで違う、剥き出しの慟哭であった。
「若うして、腹を切らねばならんことが……。土佐の未来を、まだ、この目で見ることも叶わんかったことが……。悔しいに、決まっちゅうろう!」
瑞山は、誰もいない部屋の中で、三人の姿を思い描くように、宙に向かって、なおも叫び続けた。
「許してくれ……。許してくれ、収二郎、間崎、弘瀬……。わしが……。わしが、おまんらの、若い命を……」
その先の言葉は、嗚咽に呑まれ、もはや、言葉の形を成さなかった。瑞山は、畳に突っ伏し、肩を震わせながら、声を殺すこともできず、泣き続けた。柳川左門としての威厳も、盟主としての冷静さも、その瞬間、完全に崩れ去っていた。ただ、若い命を、自らの過ちによって、失わせてしまった一人の男の、純粋な悲しみと、罪の意識だけが、そこにあった。
(わしらは……。わしらは、本当に、間違うておったのだろうか)
その問いは、瑞山自身の胸の奥深くから、静かに、しかし、拒みようもなく、湧き上がってきた。それは、弘瀬が最期に呟いた言葉と、奇しくも同じものであった。だが、瑞山は、その一致を知る由もない。ただ、瑞山自身の中で、答えの出ない、重い自問だけが、いつまでも、こだまし続けていたのである。
その夜、瑞山は、一睡もすることができなかった。行灯の灯りだけが、三人を失った悲しみと、自分自身への断罪とに苛まれる瑞山の姿を、静かに、いつまでも、照らし続けていたのである。




