第七十二話 羽をもがれた男
瑞山の昇進の報せが、勤王党の同志たちの間に広まったとき、その反応は、決して手放しの喜びではなかった。
「……武市さんが、上士に、なられたと」
若い郷士の一人が、呆然とした様子で、その報せを繰り返した。周囲に集まった同志たちの間にも、戸惑いにも似た、重い沈黙が広がっていた。
「どうしたらよいがじゃ」
誰かが、震える声で、そう漏らした。
「わしらの盟主が、上士の列に加わってしもうた。……これは、喜ぶべきことながじゃろうか。それとも……」
その問いに、誰も、はっきりとした答えを返すことができなかった。上士格への昇進は、確かに、郷士という身分に縛られてきた瑞山にとって、この上ない栄誉であるはずだった。だが、その栄誉が、瑞山を、これまで共に歩んできた自分たちから、静かに引き離していくような、そんな漠然とした不安が、誰の胸にも、じわりと広がっていたのである。
「武市さんは……。羽を、もがれたのに、気がつかんかえ」
一人の年配の同志が、ぽつりと、そう呟いた。その言葉に、場の空気が、一層重くなった。
「上士になるということは、藩の家法という檻に、より深く、組み込まれるということじゃ。これまでのように、自由に、わしらのために動いてくださることは、もう、できんようになるのやもしれん」
「じゃが、武市さんは、あれほど喜んでおられた……」
若い郷士の一人が、なおも縋るように、そう言葉を返した。だが、年配の同志は、静かに首を振った。
「それが、恐ろしいのじゃ。ご本人が、その羽をもがれたことに、気づいてすらおられぬ」
その場に、また、重い沈黙が落ちた。だが、しばらくして、別の一人が、意を決したように、口を開いた。
「……先生は、もう、わしらとは、住む世界が違うがじゃないか。上士の列に加わり、殿からも、あれほどの信頼を寄せられておられる。……わしらのことなど、いずれ、忘れてしまわれるかもしれん」
その悲観的な言葉に、場の空気は、さらに沈み込んだ。だが、それに反発するように、別の若者が、強い口調で言い返した。
「そんなはずはない! 先生は、わしらを、決して見捨てるようなお方ではない。……先生には、先生のお考えがあるがやないか。上士になられたのも、わしらのために、もっと大きな力を得ようとしてのことかもしれん」
「そう、信じたい気持ちは、わしにもある。……じゃが」
年配の同志が、静かに、しかし重い声で、続けた。
「信じたいという気持ちと、現実に何が起きておるかは、また別の話じゃ。わしらは、先生を疑うわけではない。……ただ、この先、わしらが、先生の目の届かぬところで、切り捨てられていくことがないよう、覚悟だけは、しておかねばならん」
その言葉に、誰も、明確な反論をすることができなかった。瑞山への信頼と、拭いきれない不安。その二つの狭間で、同志たちの心は、静かに、しかし確実に、揺れ続けていたのである。




