第七話 百二十人の宝
安政元年。皆伝を授かり、意気揚々と新町に道場を構えた半平太を、容赦ない天災が襲った。激しい揺れは武市家の家屋を無残に叩き潰し、ようやく手にした新生活の拠点は一夜にして灰燼に帰した。
瓦礫の中に立ち尽くす半平太の傍らで、富子は取り乱すことなく、埃にまみれた祖父母を介抱していた。
「半平太様、家はまた建てれば済みます。……命さえあれば、道場はどこにでも開けます」
その凛とした声に、半平太は己の不甲斐なさを恥じた。
(わしは、また一からやり直すことになるのか。……いや、否。この程度で崩れるものが、わしの『誠』のはずがない)
翌安政二年、半平太は不屈の精神で自宅を再建した。妻・富子の叔父にあたる槍術家・島村寿之助との協同経営という形で、剣術と槍術、二つの武を高める新しき道場が併設された。
門を叩く者は瞬く間に百二十人を超え、そこには、のちに右腕となる中岡慎太郎や、半平太を「神」の如く仰ぐことになる岡田以蔵の姿もあった。
以蔵が初めて道場を訪れた日のことを、半平太はよく覚えている。粗末な身なりの、まだ十代半ばの少年であった。竹刀の握り方すら知らぬその少年は、それでも道場の隅で、誰よりも長く素振りを続けていた。
「おんし、名は」
「……以蔵と申します。岡田以蔵」
少年は、地面に額をこすりつけんばかりに頭を下げた。その目には、まだ何色にも染まっていない、飢えたような光があった。
(この目を、わしはどこかで見たことがある)
半平太は、ふとそう思った。それが、かつて雨のぬかるみで見た、あの老いた郷士の目と同じ色をしていることに、まだこの時は気づいていなかった。
「以蔵、剣は初めてか」
「はい……。じゃが、先生、わし、強うなりたいがです。強うなれば、誰にも、馬鹿にされんようになるがですろう」
その一言に、半平太は思わず、少年の頭にそっと手を置いた。
「……強うなれば、馬鹿にする者はおらんようになる。だが、それだけでは足りぬぞ。剣とは、己を守るためだけのものではない」
以蔵は、その言葉の意味を、まだ半分も理解していないようであった。それでも、こくりと大きく頷く様子に、半平太は苦笑した。
富子はこの大世帯の「影の柱」として、凄まじい忙しさに身を投じた。
「富殿には、門弟一同、足を向けて寝られませぬな」
寿之助が笑って労うと、富子は汗を拭いながら静かに答えた。
「いいえ。この若者たちの瞳の輝きこそ、半平太様の、そしてこの土佐の宝にございます」




