第六十九話 乾坤一擲
初春。京都の街を切り裂く風は、まだ冬の鋭い冷たさを残していた。
江戸にて「柳川左門」として幕府の重鎮と渡り合い、武士としての絶頂を味わっていた瑞山。しかし、彼が主君・容堂との「心の交流」に酔いしれていたその裏で、京都に残された同志たちの心は、焦燥と焦りに焼き尽くされようとしていた。
平井収二郎、間崎哲馬、弘瀬健太。瑞山の不在を守る彼らにとって、混迷を極める時勢に対し、土佐藩の歩みはあまりに鈍く、まどろっこしいものに映っていた。
「瑞山先生が江戸で汗を流している今こそ、我らが国元を動かさねばならん」
夜半、収二郎の寓居に集った同志たちは、額を突き合わせて密談を重ねていた。行灯の火影が、彼らの若い顔に、焦燥の色を濃く落としている。
「……どうする。江戸の先生に、まずは文を送り、ご指示を仰ぐべきではないか」
間崎哲馬が、慎重な口ぶりで切り出した。だが、その言葉に、弘瀬健太が、苛立ったように首を振った。
「文など送っておる間に、幾日かかると思う。往復で、ひと月近くも無駄にする気か。……その間に、長州も薩摩も、さらに先へ行ってしまうがぜよ」
「じゃが、先生に無断で動くのは……」
「もう、待てんぞ」
収二郎が、二人の議論を断ち切るように、強い声で言った。
「先生あってのわしらだが、先生を待つばかりでは、時勢に置いていかれる。……先生とて、江戸で殿とのお付き合いに追われておられる。今、この京の窮状を、逐一お伝えする暇もあるまい」
収二郎は、拳を強く握りしめた。
「わしらが、先生の代わりに、一歩を踏み出すのだ。……先生とて、きっと、分かってくださる。わしらが、土佐のため、そして先生のために、動いたのだと」
その言葉に、間崎も、弘瀬も、次第に頷いていった。彼らの焦りは、決して私欲から出たものではなかった。むしろ、瑞山への敬愛が強すぎるがゆえの、性急さであった。自分たちの手で何かを成し遂げ、江戸から戻る先生を驚かせたい。その若さゆえの功名心と忠誠心が、彼らを危うい賭けへと駆り立てていた。
「……よし。青蓮院宮様に、直に訴え出よう」
収二郎の一言で、その場の空気が決まった。彼らは禁じ手を選んだ。朝廷の奥深く、青蓮院宮へと密かに接触し、藩政改革を促す「令旨」を手に入れたのである。それを楯に、高知に隠居する先々代藩主・山内豊資へと圧力をかける。主君・容堂の頭越しに、朝廷の権威で藩を塗り替えようという、乾坤一擲の勝負であった。
だが、彼らは忘れていた。自分たちが仕える主君が、誰よりも「家臣の分を超えた振る舞い」を憎む、苛烈な自尊心の塊であることを。瑞山という抑え役を欠いたまま踏み出したこの一歩が、やがてどれほどの血を招くことになるか、この時、まだ誰も知る由もなかった。




