第六十七話 七回の謁見
江戸での滞在も終わりに近づいたある夜。瑞山は、宿所の行灯が揺らす頼りない光の下で、高知に残してきた最愛の妻・富子へ宛てた手紙を認めていた。その筆致は、いつになく力強く、そしてどこか昂ぶっていた。
(富。今すぐにでも、おんしに会いたい。この喜びを、文字などではのうて、この手で、この声で、直に伝えたいのだ)
その想いが、瑞山の胸を、絶えず突き上げていた。だが、遠く離れた土佐にいる富子に、今すぐ会う術はない。せめて、この昂ぶりのすべてを、筆に込めるしかなかった。
『富。驚くべきことだ。わしはこの短き江戸滞在の間に、実に七回も殿の御前に召し出され、親しくお言葉を賜った。一介の郷士であったこのわしが、今や柳川左門として、日本の行く末を殿に直接陳述しておる。これほどの名誉が、武士として他にあるだろうか』
瑞山は、自分が容堂に認められたと信じて疑わなかった。自分が語る攘夷の必要性や、異国を排すべき朝廷の真意を、容堂が深く頷きながら聞いてくれたこと。それがすべて、自分への揺るぎない信頼の証であると確信していた。
(殿は……殿は、わしを、信じてくださったぞ)
そう繰り返し呟きながら、瑞山の目には、いつしか涙が滲んでいた。それは、悲しみの涙ではない。長年、上士たちに蔑まれ、泥を啜りながら生きてきた郷士の魂が、ついに、一藩の主君その人に、正しく認められたという、あまりに大きな感激の涙であった。
『殿はわしの話を、まことに熱心に聞いてくださる。わしと殿の心は、今や一つになったのだ。富、安心せよ。わしが土佐に戻る時は、名実ともに藩を背負って立つ時となるだろう』
ふと筆を止め、瑞山は行灯の炎を見つめた。揺れる炎の向こうに、懐かしい高知の、あの平穏だった日々の記憶が重なる。
かつて、共に過ごした幼き日々。庭に咲いた野花を摘んできては「きれいですね」とはにかんだ富子の、あの少女のような笑顔。武家同士の婚姻とはいえ、瑞山にとって富子は、自分を「先生」と仰ぐ門下生たちにも、主義主張をぶつけ合う同志たちにも決して見せることのない、剥き出しの自分をさらけ出せる唯一の場所だった。
蔵の暗がりで、周りに聞こえぬよう小声で唸っていた、あの節の外れた義太夫。それを聞いた富子が、笑いを堪えながら「今夜の『雷』も、一段と力強うございましたこと」と、いたずらっぽく微笑んでいたこと。二人で鏡川の堤を歩いたとき、吹いてきた風に「もうすぐ春ですね」と微笑み合った、あの穏やかな午後。
(あの時、おんしは「武士としての道は険しいでしょうけれど、私はどこまでもついて参ります」と言うてくれたな。富、見ておれ。わしはやっと、おんしを日本一の幸せ者にできる場所にまで辿り着いたぞ)
瑞山の胸は、誇らしさと富子への愛しさで熱く脈打っていた。一介の足軽上がり、郷士の家柄と蔑まれてきた自分たちが、ついに藩を、そして国を動かす立場になったのだ。
(富。おんしに、この昂ぶりを、そのまま、伝えたい。今すぐにでも、おんしの手を取り、殿がどれほど、わしを認めてくださったか、涙ながらに、語り合いたい)
その願いは、瑞山にとって、この誇らしい報告以上に、切実なものであった。だが、その願いを叶える術は、遠く江戸にいる瑞山には、どこにもなかった。
『殿はわしの忠義を、誠をもって受け止めてくださった。富、おんしを、身分の低い郷士の妻として、肩身の狭い思いをさせてきた日々も、これでようやく終わるのだ。わしが殿の股肱の臣として国を正せば、おんしに、土佐で誰よりも輝く場所を用意してやれる』
瑞山は、自分が賢明な主君に仕える「忠臣」であるという物語に、そしてその栄光を最愛の妻へ持ち帰るという夢に、完全に酔いしれていた。




