第六十三話 断頭台への招待状
その頃、品川の藩邸では、蝋燭の火が妖しく揺れていた。山内容堂の命を受けた監察たちが、瑞山への「帰国命令」の書状を改めていた。それは単なる呼び戻しではない。土佐勤王党という「不敬の徒」を一掃し、瑞山の築き上げたすべてを瓦解させるための、容赦なき断頭台への招待状であった。
一方、宿所では、瑞山がその報せをまだ知らぬまま、独り行灯の前に座していた。以蔵が戻らぬ夜。彼はそれを、単なる遅れだと自分に言い聞かせようとしていた。
(あの男は、わしの言いつけを違えるような真似はせぬ。……するはずが、ない)
そう思う端から、瑞山の指先は、意味もなく文机の縁を、とんとんと小さく叩いていた。それは、かつて士学館の道場で、門弟たちに絶対の自信を見せつけていた「位」の構えとは、まるで違う仕草であった。
瑞山は、その自分の指の動きにふと気づき、慌てて手を止めた。
(……何を、うろたえておる。わしは柳川左門ぞ。天子様の御用を預かる身が、下僕の帰りが遅いくらいで、心を乱してどうする)
胸の内でそう叱咤しながらも、瑞山は幾度となく障子の外に耳を澄ませた。廊下を渡る足音がするたび、以蔵かと身構え、そうでないと分かるたびに、小さく息を吐く。その繰り返しを、瑞山自身、誰にも見られていないことを確かめてから、ようやく素直に認めた。
(わしは、あやつがおらぬだけで、これほどまでに落ち着かぬのか)
以蔵に対して見せてきた「手足」という言葉。それは、瑞山が自分自身に言い聞かせるための呪文でもあった。あやつを一人の人間として、対等な存在として認めてしまえば、いつかその心が自分から離れていくことに、これほど怯えずには済まなかったはずだ。
(富が、ここにおってくれたなら……)
ふと、その願いが、瑞山の胸を静かに満たした。以蔵の不在に、これほどまでに心を乱す自分。その落ち着かなさを、富子であれば、何も言わずとも、そっと受け止めてくれただろう。あの温かい茶を一杯淹れてくれるだけで、瑞山の張り詰めた心は、いつも、不思議なほど和らいだものであった。
(富の顔が、見たい。おんしの声が、聞きたい。……この江戸の夜は、あまりに、独りきりでは、寒すぎる)
その想いは、瑞山にとって、以蔵への不安以上に、切実なものであった。だが、その願いを叶える術は、今の瑞山には、どこにもなかった。富子は、遠く土佐の家で、瑞山の帰りを、ただ静かに待ち続けているのである。
(弱いな、わしは。……誰よりも高潔であろうとして、誰よりも、たった一人の男の不在に怯え、たった一人の女子の温もりを、恋しがっておる)
瑞山は、その自覚を誰にも悟られぬよう、すぐさま背筋を正した。行灯の灯りに照らされたその顔は、いつもの「柳川左門」の冷徹な相貌に、寸分違わず戻っていた。だが、握りしめた拳の中に、爪が食い込んだ跡だけが、彼の本当の心の内を、静かに物語っていたのである。




