第五話 藩の値踏み
嘉永六年。浦賀に現れたペリーの黒船が、日本を根底から揺さぶった。藩は半平太の実力を認め、「西国筋形勢視察」という重要な任務を打診する。
だが、半平太はこの大役を辞退した。使者を丁重に見送った後、半平太は自宅で、珍しく苦い顔をしていた。
「富……。わしは藩に尽くす準備はできている。だが、武士を、その志ではなく『門閥』で量るようなやり方には、どうしても首を縦に振れんのだ」
半平太の脳裏には、あの視察という大役の話が持ち込まれた時のやり取りが、まだ生々しく残っていた。藩の役人は、丁重な物言いをしながらも、その待遇は、上士に与えられるそれとは、明らかに格が違った。
(郷士だから、これで十分だろう――そういう腹が、あの物言いの端々に見えておった)
半平太にとって、それは、これまで積み上げてきた剣の実績すべてを、家格という一言で塗り潰されるに等しい屈辱であった。
「半平太様。お気になさいますな。あなた様の価値を決めるのは、藩の役人ではございません。あなた様ご自身の剣と、その志にございます」
富子の迷いのない言葉に、半平太の胸は熱くなった。だが、その真剣な空気を、半平太自身がすぐに崩してしまった。
「……富。おんし、時々、わしより肝が据わっておらぬか」
「あら。そうでしょうか」
「そうだとも。わしなど、上士に道を譲るたびに、心の内で悪態の一つも吐いておるというに」
「まあ。それは半平太様、案外お可愛らしいところがおありなのですね」
半平太はまた赤面し、それを誤魔化すように咳払いをした。だが、その拍子に、胸の中の重苦しいものが、いくらか軽くなったような気がした。
「富。わしは、決めた」
「何を、でございますか」
「藩の顔色をうかがい、上士の値踏みを待つのは、もうやめる。わしの剣は、わしの手で、わしの居場所を切り拓くために振るう。……富、待っとれよ。いつか必ず、おんしが誇れるだけの場所を、この手で作ってみせる」
富子は、その言葉に、静かに、しかし深く頷いた。
「半平太様。私は、いつまでも、あなた様の帰りをお待ちしております」
(そうだ。藩の値踏みなど、待っている必要はない)
藩の命に頼らずとも、自らの力で道を切り拓く。その決意は、翌年、新町に自らの道場を開くという形で結実した。




