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第二十五話 言葉の死

 文久元年、十月末。吉田東洋の邸を辞した瑞山の足元は、怒りと屈辱に激しく震えていた。

高知の秋夜は冷たく、吐く息が白く濁る。瑞山は、こみ上げる熱い塊を飲み下すように、何度も奥歯を噛み締めた。

(……書生論。婦女子のごとき公卿。そこまで……そこまで、わしらが命を懸けて繋いできた誠を、泥靴で踏みにじるか)

耳の奥では、東洋の放った冷笑が呪詛のように繰り返される。東洋の正論は、あまりに合理的で、それゆえに血も涙もない。

「山内家は島津、毛利とは違う」

その一言は、先祖伝来の恩顧という鎖で瑞山たちの手足を縛り、郷士という存在を、歴史の塵として突き放すものであった。

(先生、あなたは賢すぎた。賢すぎて、この土佐の底辺で、泥を啜りながら国を想うてきた男たちの体温が、一分も分かっておらぬ……!)

暗い夜道に己の影を長く引きずり、瑞山は焦燥という業火に焼かれる。長州は、薩摩は、今この瞬間も時代を動かしている。江戸で久坂らと交わした「三藩で天下を回す」という約束。それが、東洋という巨大な岩一つに阻まれ、土佐で止まっているのだ。

(わしの力不足か。わしの言葉に、山を動かすほどの重みがなかったというのか)

悔しさが涙となって溢れそうになるのを、瑞山は強引に堪えた。だが、その悔しさの奥から、これまで瑞山自身が、決して認めようとしなかった一つの考えが、静かに、しかし確かに、頭をもたげ始めていた。

(……もし、あの男さえ、この世におらなんだら)

その考えに、瑞山は、自ら愕然とした。だが、一度浮かんだその思いは、容易には消えてくれなかった。

(東洋がおるかぎり、藩論は動かぬ。東洋がおるかぎり、郷士の声は届かぬ。東洋がおるかぎり……土佐は、いつまでも、あの男一人の合理と正論に、縛られ続けるのだ)

もし東洋という一つの壁さえ取り除かれれば、藩論は動く。守旧派も、若い上士たちも、皆、東洋の存在に押し留められているだけなのかもしれない。その壁さえなくなれば、自分たちの主張は、初めて公正な形で聞き届けられるのではないか。

(……いや。何を考えておるのだ、わしは)

瑞山は、その考えを、慌てて胸の奥へと押し戻した。だが、一度姿を現したその暗い考えは、完全に消え去ることなく、瑞山の心の底に、小さな澱のように、静かに沈殿し始めていた。

新町の門が見えたとき、瑞山は一度立ち止まり、乱れた衣を正した。家の中には、自分の言葉を、己の「位」を信じて命を投げ出した若者たちが待っているのだ。彼らに、絶望に震える貌を見せるわけにはいかない。そして、この胸の内に芽生えたばかりの、まだ形を成さぬ暗い考えを、誰にも悟られるわけにはいかなかった。

門をくぐる前、瑞山はふと、家の奥で灯る、富子の小さな灯りに目をやった。

(富。……こんなことを考える男を、おんしは、許してくれるだろうか)

その問いが、瑞山の胸を、鋭く突き刺した。人の命を奪うことを、頭のどこかで、静かに算段し始めている自分。それは、富子が慕う「半平太」からは、あまりに遠くかけ離れた姿であった。

(いや……)

瑞山は、すぐに、その問いへの答えを、自ら探し始めた。

(富ならば、分かってくれるはずだ。わしが、これほどまでに苦しみ、これほどまでに悩んだ末に辿り着いた考えであることを。……富は、いつも、わしの見えておらぬところまで、見てくれておるのだから)

その確信は、しかし、瑞山自身が作り上げた、都合の良い願望に過ぎなかったのかもしれない。富子の優しさに、瑞山は、これから自分が踏み出そうとしている一線への、無言の免罪符を求めていたのである。

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