第十八話 三藩の約定
文久元年の江戸。築地の土佐藩邸にいた瑞山の胸中は、焦熱のような焦りに焼き焦がされていた。
諸藩の志士が集う酒座に座れば、長州の久坂玄瑞が、薩摩の樺山三円が、火を吐くような勢いで天下を論じている。彼らの藩は、すでに主君を動かし、朝廷へと手を伸ばし、時代の先頭を駆けている。翻って、我が土佐はどうだ。
(……遅れている。あまりに、遅すぎる)
瑞山は杯を握る手に力を込めた。土佐では未だに、上士たちが二百年前の門閥に胡坐をかき、郷士たちの声を泥のごとく踏みにじっている。主君・容堂公は隠居に追い込まれ、藩政の実権を握る吉田東洋は開国派として、勤王の志を「狂人の沙汰」と切り捨てている。
(このままでは、土佐は新しい世の地図から消される。殿を、そして同胞たちを、歴史の敗者にするわけにはいかぬのだ)
「武市殿。土佐は、いつまで様子見を続けるおつもりか」
樺山三円が、苛立ちを隠さずに言った。薩摩の男らしい、率直な物言いであった。
「薩摩は、すでに藩論を固めつつある。長州も同じ。……土佐だけが、いつまでも、あの吉田東洋とかいう男の顔色を窺うておるのか」
「樺山殿。……いささか、言葉が過ぎるのではないか」
瑞山は、静かに、しかし鋭く言い返した。だが、その反論の奥には、樺山の言葉を否定しきれない、忸怩たる思いもあった。
久坂が、その場を取り成すように、静かに口を挟んだ。
「まあ、待て、樺山。武市殿には武市殿の事情がある。……武市殿、いかがであろう。三藩で、密かに手を結ぶというのは」
「三藩で……?」
「長州、薩摩、そして土佐。この三藩が藩論を一つにし、帝を奉じて幕府に攘夷を迫る。……それができれば、天下は必ず動く」
久坂の瞳には、瑞山を試すような、鋭い光があった。瑞山は、しばし沈黙した。
(ここで頷けば、後戻りはできぬ。……じゃが、頷かねば、久坂殿の言う通り、土佐は歴史に置いていかれる)
瑞山の脳裏には、久坂から授かった「草莽崛起」の四文字が、暗闇の中で光る刃のように浮かび上がっていた。藩という組織が動かぬなら、名もなき自分たちがその心臓を突き動かすしかない。
「……久坂殿。樺山殿。案には同意した。三藩で藩論を一つにし、帝を奉じて幕府に攘夷を迫る。土佐は必ず、わしが変えてみせる」
瑞山がそう告げると、久坂と樺山は、互いに目配せをした。その視線の中に、同志を得た喜びと同時に、瑞山という男を「駒」として確保できたという計算が、微かに滲んでいたことに、瑞山は気づいていなかった。
瑞山は、江戸の熱い風の中で、自分自身の魂を「一個の政治家」へと作り替える決意を固めた。




