懐かれるのは不本意です3
子猫が診察室に入っている間、待合室に残されたのは――レッド、グリーン、そして俺。
「子猫、大丈夫かなぁ……」
レッドが心配そうに呟く横で、茶々丸がうずうずと尻尾を振りながら俺を見上げてくる。その瞳はまるで「遊んで!」と訴えかけているようだった。……おい、遊ばないからな?
俺の願い虚しく、茶々丸はゆっくり立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。思わず、俺は隣のグリーンのシャツの裾をぎゅっと掴んでいた。無意識に助けを求めたその仕草に、グリーンの肩が小さく震える。次の瞬間――堪えきれぬ吐息と共に、声が零れた。
「……普段なんでもそつなくこなしてしまうトオルさんが、こんなふうに縋るなんて……心臓が止まりそうです」
笑みを浮かべながらも、瞳の奥は理性を欠いた熱に揺れていた。さらに、掠れるような声で続ける。
「……普段甘えない人が甘えてきた時の破壊力って……想像以上ですね……」
……おい、勝手に一人で悶えてんじゃねぇよ。
そうこうしている間に、茶々丸はとうとう目の前まで来てしまった。尻尾をぶんぶん振って、今にも飛びかかりそうな勢いだ。反射的に俺の指先に力が入り、掴んでいたグリーンの裾をさらに強く握る。グリーンの笑みは蕩けきっていたが、今の俺にそんな余裕はない。
――あ、これ来る。そう確信した瞬間。
「……茶々丸。おすわり」
柔らかな笑顔のまま紡がれた声は、背筋を凍らせるほどの鋭い圧を帯びていた。
「……っ」
茶々丸はびくりと身を固め、その場で慌てて腰を下ろす。
それでも尻尾だけは千切れそうに揺れ続けているが――俺に飛びかかる気力は、すっかり削がれてしまったようだ。
「いい子ですね。……でも、トオルさんに飛びかかるのはだめですよ。わかりますね?」
にこりと微笑むグリーン。その横で、しゅんと項垂れる茶々丸がやけに不憫で、胸の奥にちくりと罪悪感が走った。
……ごめんな、茶々丸。別に嫌ってるわけじゃないんだ。
でもお前、グリーンの言うことは聞くのかよ。
俺はそっとグリーンの裾から手を離し、身を引こうとした。
だが次の瞬間、逆にグリーンが一歩踏み込み――耳元に熱を帯びた吐息が落ちる。
「……トオルさんに縋られるのが嬉しくて……つい、ギリギリまで堪能してしまいました。すみません。……怖くなかったですか?」
耳をくすぐる囁きに、ぞわりと背筋が震える。
……謝る気ゼロだろ。完全に楽しんでやがるな、このクソが。
そんなやりとりの最中、診察室の扉が静かに開いた。
ブルーが子猫を抱いて姿を現す。腕の中の子猫は疲れ果てたのか、すやすやと安らかな寝息を立てていた。
「子猫の怪我はただの擦り傷で、大したことはないそうだ」
そう言ったブルーは、まっすぐ俺の前に立ち、真剣な眼差しで口を開いた。
「……トオルさん。俺に守らせてもらえないだろうか。責任は必ず持つ」
ブルーがそう言った途端、待合室にいた女性客から「きゃあっ♡」と黄色い悲鳴が上がった。
……いや待て。子猫をな?
なんで俺の目を射抜くみたいに言うんだよ。完全にプロポーズのテンションじゃねぇか、それ。
呆然とする俺の横で、にこやかな笑みを浮かべたグリーンが、すかさず口を開いた。
「そうですね。私も――全力で守ろうと思っています」
その瞬間、待合室に「きゃーーっ!!」というさらに大きな歓声が響いた。
……おい、それは猫のこと、だよな?
いや、お前が言うと途端に怖ぇんだよ。
どう見てもイケメン二人の間に“俺”が挟まれてる構図に、よからぬ誤解が生じてそうで頭を抱える。
ただでさえ目立つヒーロー三人が揃っている時点で視線を集めるっていうのに、これ以上余計な憶測を呼ぶ状況は勘弁してほしい。
周囲の目に自分たちがどう映っているのかなんて、もはや考えたくもなかった。
「初めてで不安だと思うが、俺に任せてほしい」
ブルーは周りの視線なんて気付いていないのか、真剣な眼差しで続ける。
……だから、猫を飼うのが、だよな?
別に俺は不安でもなんでもねぇし、何も問題ない。が、頼むから主語をつけて話せ。
「私も初めてですが……お任せください。怖がらなくても大丈夫です」
……グリーン。お前はほんと黙っとけ。余計にややこしくなるだろ。二人のやり取りに、待合室の隅から小さな声が漏れた。
「……これ、完全に三角関係じゃない?」
「どっちが本命なのっ……!?」
「“初めて”って、緊張するもんね……!」
周囲は完全に恋愛ドラマ目線。場の熱気がどんどん上がっていく。
……いや違ぇから。猫の話だからな?
ブルーは相変わらず真剣そのものだが、グリーンは確信犯的に微笑んでいる気がする。
俺が深々とため息を吐いたそのとき――
「二人に任せたら安心だよ!トオルさん!」
レッドが元気よく胸を張って声を張り上げた。
……いや、お前も黙っとけ。
これが“正義のヒーロー”とか言うんだから、世も末だ。
頼むから、もう帰らせてくれ。
そんな俺の気も知らず、ブルーの腕に抱かれた子猫は、何も知らない顔ですやすやと眠っていた。
……ふと手元に目をやれば、コンビニ袋。
さっき買ったシュークリームは、きっともうぬるくなってるだろう。
俺のささやかな昼下がりの戦利品は、こうして無残に敗北を喫したのだった。
深くため息を吐いたその瞬間、耳元に熱い息がかかる。
「……初めてですが、安心してください。トオルさんに気持ちよくなっていただけるよう、準備は整えてありますから」
ぞくり、と背筋が粟立つ。
……やっぱりお前は猫の世話の話じゃねぇな。
収拾がつかないこの状況に俺は視線を逸らし、天井を仰いだのだった。




