布団が最強だった2
目を開けると、全身が柔らかな布に包まれていた。ふわりと沈み込む感触が、まだ夢の続きに迷い込んだみたいに心地いい。視界に映るのは、淡く白い光をまとった天井。
(……ここは、どこだ……?)
指先は布団に吸い込まれるように沈み、敷布団は背中を優しく支えたまま離さない。
完璧すぎる寝心地に、頭の奥で「もう一度、目を閉じてもいいんじゃないか」と甘い声が囁く。
このまま眠りの深みにもう一度沈んでしまいたい――
そんな抗いがたい誘惑に引きずられそうになった、そのとき。
「おはようございます、トオルさん」
声のした方へ半ばまぶたを閉じたまま目を向けると、すぐそばの椅子に腰掛けたグリーンが、穏やかに微笑んでいた。あぁ…ここは、お前の家かどっかか。
「……いま、何時」
「まだ11時です。眠いでしょう? もう少し休んでください」
そう言って、グリーンは俺の頬をそっと撫でる。まるで眠りへと誘う子守唄のような仕草に、心地よさがさらに深まり、抵抗する気力も薄れていく――。
「トオルさんが快適に休めるように購入していた布団です。最高級のカシミヤ混綿入り。体温と湿度に反応して、常に快適な温度を保ちます。羽毛はハンガリー産の——」
「……もういい………ねむい……」
「ええ、失礼しました。どうぞ、続けてお休みください」
そのやり取りすら、夢と現の境目で溶けていく。
枕が頭を優しく吸い込み、背中は布団に包まれて二度と離したくないと訴える。
毛布は自然に体に馴染み、逃げ場を与えない。
これはもう、完全に睡眠へ誘うための極上の罠だった。
「……これ……反則……」
「お気に召していただけて、光栄です」
最後に耳に残ったのは、グリーンの満足げな声。その響きすら、心地よい眠気の中で遠ざかり──
俺は、深く深く、再び眠りに落ちた。
**
次に目を覚ましたとき──
真っ先に視界に飛び込んできたのは、広くてあたたかい胸板だった。
「…」
あまりにも寝心地が良すぎて、目覚めは驚くほどスッキリしている。が、状況はどう考えても平和じゃない。ゆっくりと視線を上げると、グリーンが満足げに微笑んでいた。
「おはようございます、トオルさん。とても可愛らしい寝顔でした」
「…お前、なにしてんだ」
俺の頭を撫でながら、まるで当然のように腕を回している。
「そうですね。トオルさんの寝顔を眺めようと思って私も横になっていたのですが、少し寒かったのか、トオルさんが抱きついてきたので、そのまま一緒にその温もりを楽しませていただきました。」
…俺、なにしてんだ。寝心地が良すぎたせいで、無意識のうちにこのストーカーにしがみついていたらしい。これは全部、布団の罠だ。俺は悪くない。
「ちなみに、証拠映像はしっかり残ってます。後でご覧になりますか?」
「……見ねぇよ」
グリーンの笑みが、妙に勝ち誇ったように深まった。
「喉は渇いてませんか? お水でもお茶でも、なんでもご用意できます。目覚めたときに食べられる軽食もありますよ」
さらに、耳元で甘く囁かれる。
「それとも、こうしてもう少し、一緒に寝ていましょうか?」
スルリと腰を撫でられたかと思えば、指先が太ももの付け根をかすめるように上がってくる。背中へ回された手が、ゆっくりと下に滑り、際どい位置で一瞬だけ止まった。わざとらしく熱い吐息を耳に吹きかけ、唇が首筋をかすめる。
「…っ、とりあえず離れろ」
このまま流されていたら、確実に貞操の危機だ。グリーンはくすりと笑い、素直に腕をほどいてくれる。
体を起こそうとすると、すぐさま腰に手を添えて支えてくる徹底ぶり。
「……そういや、今朝のあいつらはどうなった?」
「あぁ、ご心配なく。しっかり捕まえましたから、安心してください」
そう言いながら、ベッド脇に置いてあった水をすっと差し出してくれる。
「……助かったよ」
「トオルさんのためなら、なんだって」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
安心するような、背筋が寒くなるような――なんとも言えない気持ちが渦巻いた。
……こんな至れり尽くせりの環境と、妙に落ち着く空気に、このまま囲われて過ごすのも悪くないんじゃないか――なんて一瞬でも思った自分を、全力でぶん殴りたい。
そう、忘れちゃいけない。
偶然と言って撮っていた映像。こいつがストーカーでそれは盗撮映像であると言うことを…。
グリーンが差し出した水を一口飲む。
冷たさが喉をすべり落ちると、ようやく頭が少しだけ冴えた気がした。
「……で、映像、消しとけよ」
「トオルさんのお願いでも、それは聞けませんね」
グリーンは変わらない穏やかな笑みで、淡々と答える。
「それに、私……できない約束はしない主義でして。それよりも、トオルさん」
そう言って、グリーンは俺の手から空いたコップを受け取り、ベッド脇のテーブルに静かに置いた。逃げ出そうとわずかに動いた肩を、柔らかな手がやんわりと押し戻す。その仕草があまりにも自然で、逆らうことすら許されないように感じる。
耳元へと顔を近づけ、吐息が首筋をかすめた。
「昨夜の本、面白かったのはわかりますが……眠らないのはよくありませんね」
囁く声が、耳の奥に直接染み込む。甘く、けれど逃げ道を与えない響き。
「トオルさんのバイトのシフトは、すべて把握しています」
一拍置き、声がさらに低くなる。
「だから……もしまた同じように、眠らずに深夜のバイトに行こうとしたら――」
首筋に熱い吐息が触れ、背筋が震える。
「……今度は、私が直接ベッドで抱きしめて……眠るまで、絶対に離しませんよ」
その囁きと同時に、腰に回された腕が少しだけ強く締まる。まるで“今すぐにでも試せる”と、耳元で静かに宣告するように。
……どうして、俺が昨夜 本に夢中になって、一睡もしていないことまで知ってるんだ?視線を横にずらしても、グリーンの穏やかな笑みは微動だにしない。
まるで俺の考えも行動も、全部お見通しだと言わんばかりに。……下手したら、自分よりも俺のことを把握してるんじゃないか。
胸の奥がじわりと冷えていく。
……やっぱ、こえーよ。




