俺の意思はどこにある2
粉塵の舞う司令室の片隅で、俺はまだ、目の前の男の頭に手を置いていた。
……なんなんだ、この状況は。
撫でるたび、男の肩からじわりと力が抜けていく。無表情のまま、されるがまま。まるで猫のような雰囲気をまとって、じっと俺の手を受け入れている。
怖い。いや、可愛い……か? いや、やっぱり怖い。わからん。
けど、それよりも気になるのは、周囲の空気だ。司令室にいた他の連中が、チラチラと視線をこちらに向けている。視線の先は俺じゃなく、この男だ。
その眼差しは、一様に緊張をはらんでいて──敬意にも、恐怖にも似た何かが混ざっていた。
「……お前、何者なんだよ」
ぼそっと問いかけても、返事はない。ただ、撫でる手を止めた瞬間──男の睫毛が、わずかに震えた。まるで「続けろ」とでも言っているみたいに。
──その時だった。
ドォン!!
爆音が、司令室の壁を震わせた。続いて、視界を黒煙が覆う。破片が飛び交い、警報がけたたましく鳴り響く。誰かが叫んだような声も、すぐに煙に飲まれていった。
咄嗟に顔を上げると、目の前の男は、煙の向こう──爆発の中心へ、じっと視線を向けていた。眉一つ動かさず、ただ真っ直ぐに。
煙を裂いて、何かが勢いよく飛び込んでくる。
その瞬間。
「ヒーローレッド! 参上ッッ!!」
元気な声が、場の空気を切り裂くように響いた。
煙の向こうから現れたのは、目も覚めるような真っ赤なスーツ。胸を張り、片膝を軽く曲げて決めポーズ。その背にはマントがなびき、ヘルメットのバイザーは意味ありげに光っている。そのテンション、その声量、その登場の仕方──誰が見ても、正義のヒーロー・レッドである。
「あとはお前を倒すだけだ!観念するんだな!」
レッドの鋭い声が空気を裂いた──その瞬間だった。
白銀の髪を持つ青年が、無言のまま片手をすっと上げる。空気が一変する。ひやり、と肌を刺すような冷気が走った。
次の瞬間、足元からバキッ!と氷の槍が突き上がる。
「おっと、そう来るか!」
レッドがすかさず身をひるがえす。マントが翻り、すぐに放たれた鋭い蹴りが氷柱を粉砕する。続けざまの反撃──渾身の拳がうなりを上げ、白銀の青年に迫る。
拳と氷が激突。火花のような衝撃が空間を震わせた。
目の前で繰り広げられる、凄絶なバトル。司令塔にいた他の連中は、戦いが始まるや否や蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。今ここに残っているのは、レッドと白銀の男、そして──俺だけだ。
……巻き込まれないように、少し離れた場所で息を殺し、気配を押し殺して様子を伺っていた。隠れる場所なんてない。逃げるなら一瞬の隙を突くしかない──そう思っていた、のに。
「……あれ?」
突如、レッドの動きが止まる。ヘルメットの奥、鋭い視線がこちらを射抜いていた。
「……そこにいるの、トオルさん?」
その声を聞いて、俺はほんのわずかに眉をひそめた。黒煙が立ち込めて視界はほとんど利かないはずなのに──よく俺を見つけたもんだ、と内心感心してしまう。
「トオルさんでしょ!? やっぱりトオルさんだ! 会えてめっちゃ嬉しい!」
白銀の男が目の前に立ちはだかっているというのに、レッドは完全に無視。周囲では氷が砕け、火花が弾け飛んでいる。なのにまるで気にも留めず、俺めがけて一直線。迷いも警戒もまるでなく、満面の笑みで突っ込んでくる。完全に俺しか見えていないらしい。
ここは敵の司令室だぞ?しかも、俺が敵側かもしれないってのに……。
どうやら、レッドの脳内では俺の正体よりも「再会の嬉しさ」がすべてに優先されているようだ。ヒーローってやつは、本当に変なのばっかりだな。
「また会いたいってずっと思っててさ、グリーンにお願いしてたんだけど……ぜーんぜん聞いてくれなくてさー!」
……いや、そういう話じゃねぇだろ。
戦闘はまだ終わってない。氷と火花がぶつかり合い、天井の鉄骨は不気味な音を立てて軋んでいる。床には深い亀裂が走り、壁の一部は崩れ落ち、管制卓は跡形もなく吹き飛んでいた。一本の柱が、金属の悲鳴のような音を引きずりながら、ゆっくりと傾いでいく。
このままじゃ、建物ごと崩れる。いや──すでに崩壊寸前だ。
それなのにレッドは、周囲の惨状をまるで見ていない。危険を認識していないのか、それとも気にしていないのか──ヘルメット越しでもわかる。視線はブレることなく、ひたすら俺だけに向けられている。そのまっすぐさが、逆にこっちの神経を削ってくる。
再会の喜び、純度100%。
……お前の頭の中、今どれくらい平和なんだよ。
「お、おい、今それどころじゃ──!」
俺が叫んだ瞬間、レッドが「あっ」と間の抜けた声を上げた。
ようやく思い出したらしい。ここが、命懸けの戦場だってことを。
「ちょっとここじゃゆっくり話せないもんね!トオルさん、とりあえず外出よう!」
「いや、ちょ──」
「よし、行こう!」
俺の返事なんて聞く気ゼロ。レッドはおかまいなしにぐいっと俺の手を引いた。問答無用の全力笑顔。強引に腕をつかまれ、気づけばそのまま引きずられていた。
……まだ、俺をここに連れてきた本人が中に残ってるってのに。
そんな不安が胸の奥で引っかかったが、レッドの勢いに逆らえるはずもなく、俺は半ば無理やり、崩れかけた司令室から連れ出される羽目になった。
*
……そしてその場にはひとり、幹部・レヴィが残された。静けさが戻った司令室。燃え残った機器が、ぱちり、と火花を散らす。
──その静寂を切り裂くように、風がひとすじ揺れた。
「こんにちは。氷使いレヴィ」
気配も音もなく、背後に現れたのは、緑のスーツの男、グリーンだった。
口元に浮かぶのは、笑みとも皮肉ともつかない表情。
だが、レヴィは何も言わない。無言のまま、ただグリーンを見据える。空気がじわじわと張りつめていく。重たい沈黙が、床の隙間から染み出すように辺りを満たしていく。グリーンの笑みが、少しだけ深くなった。
「……365番を、なぜこちらに連れてきたのでしょう?」
静かに落とされたその声には、不自然なほどの“温度差”があった。表情は笑っているのに、言葉の奥には、確かな殺意が滲んでいる。
「この前、ちゃんと“忠告”したはずですが?」
まるで日常会話のような口調。だがそれは──明確に、敵意を孕んでいた。
レヴィは、相変わらず何も言わない。ただ無言のまま、グリーンの視線を受け止める。
鋭く、深く、静かに突き刺さるその視線に、一切の揺れはない。
そんな沈黙のなかで、グリーンがふっと笑った。けれど、その声は乾いて冷たい。
「──この司令部、幹部と直下部隊にしか入室権、ありませんよね?」
目を細め、わざとらしく優しい口調で続ける。
「まさかとは思いますが……365番を、バイトじゃなくて正式に引き込むつもりだったとか、言いませんよね?」
言葉の末尾には、露骨な棘が走っていた。淡々とした声の内側に、怒りと牽制──そして、執着が確かに滲んでいる。
「まぁ、そんなことはさせませんけど」
一拍の間。その言葉が、空気をまたひとつ、冷やしていった。
「一度目は見逃しましたが……二度目はありません」
口調は終始穏やか。けれど、そこに込められた意図はただ一つ。
──次は、容赦しない。
次の瞬間、グリーンの姿が掻き消えた。
ドン、と空気が跳ねる。爆発的な初速。床が砕け、グリーンの拳が一直線にレヴィを襲う。レヴィは即座に反応。氷の盾が瞬時に展開される。
だが──
「遅いですよ」
氷が砕ける寸前、グリーンは角度を変えて回り込む。すり抜けるような動きで、懐へと潜り込んだ。
一撃。二撃。三撃。
スピードと軌道を変えた連続の打撃が、レヴィの防御の隙間を狙い澄ます。
──それでも、レヴィは反応する。
氷を纏った腕で攻撃を捌き、足元から鋭く氷柱を突き上げる。無駄のない、防御の動き。それだけで、この男の格が知れる。
「なるほど……さすが強いですね。ですがーーー」
言葉と共に、拳が再び振り抜かれる。レヴィはそれをかわす。だが、かすった拳が肩をかすめ──
──バシュッ。
氷が砕け、反射的に繰り出された氷刃が形を成す。だが、それすら間に合わない。
「終わりですよ」
鋭く振るわれた蹴りが、レヴィの脇腹を撃ち抜いた。鈍い衝撃音とともに、レヴィの体が吹き飛ぶ。砕けた機材をなぎ倒し、そのまま壁へと叩きつけられた。それでも、レヴィは声を上げない。咳も呻きも、何もない。ただ腹部から、一筋の血が静かに流れ落ちた。
まだ立ち上がろうとする気配に、グリーンは静かに見下ろす。
「“あの子”にこれ以上近づくなら、次は首を落としますから」
冷たい声で言い捨てたあと、グリーンは懐から通信端末を取り出す。
「こちらグリーン。目標、軽傷を負わせ戦線離脱を確認。離脱します」
そう告げて、静かに背を向けた。司令室に残されたのは、崩れた機材と、氷の破片、そして血の跡。レヴィは壁にもたれたまま、無言のまま目を細めた。
──戦場に、沈黙が戻った。




