そういう関係じゃない
夜のバーは、静けさに包まれていた。
客はまばら。グラスを磨く手元にも、どこかゆったりとした時間が流れている。
その空気を打ち破るように、聞き慣れたチャラい声が響いた。
「よっ、トオルさん。今日もカッコいいね!」
顔を上げれば、金髪ピアスの男──イエローこと黄瀬が、相変わらずのノリで手を上げてくる。
軽薄な笑みを浮かべながら、馴染みのようにカウンターへ腰を下ろした。
「……なんでお前がここに来んだよ」
「えー?俺、この店好きなんだよね。雰囲気も、お酒も、あとトオルさんも?」
「…さっさと注文しろ」
俺はグラスを拭く手を止めず、じろりと鋭く睨みつけるが、黄瀬は肩をすくめながらも楽しそうに笑う。
「そんな冷たくしないでよ。今日って、俺にとっては超レアなチャンスなんだからさ」
「……なにが」
「緑谷、今本部にガッツリ捕まってんのよ。仕事できすぎて、詰められまくってんの。完全に身動き取れないって」
そう言ってから、黄瀬は軽く笑う。
「だからさ、この前のバーにもう一回行こって即決だったんだよね。トオルさんには会えたらラッキー、みたいな?」
相変わらず軽い調子で、悪びれた様子もない。
「そんなわけで今日は緑谷に会えなさそうだけど……ねぇ、寂しい?残念だった?」
からかうように笑いながら、黄瀬は差し出した水のグラスを軽く傾け、氷をカラカラと音を立てながら回していた。
目の奥には悪意なんてこれっぽっちもなくて、ただ面白がってるだけの、子どもみたいな顔。
(……ああ、だから朝っぱらからうちに来たのか)
妙に自然を装って、「たまたま近く通った」なんて口にしてたが──
通り道なわけがない。わざわざ足を向けたってのは、見え見えだった。
今日もう会ってんだよ。ちゃんと、朝からな。
こっちは起き抜けで顔合わせてんのに、“残念”はねぇだろ。そんな突っ込みは喉まで出かかったが、もちろん口には出さない。代わりに、グラスの中で氷がカランと音を立てた。
小さくため息をついた俺を見て、黄瀬がふっと表情を変える。
「そういえばさ──青井…あ、ブルーね。現場で会ったんだって?」
その名前が出た瞬間、グラスを拭く手がピタリと止まる。
「……あー」
「それで、青井から気になることきいちゃったんだけど」
氷のぶつかる音が、カランと響く。
「──緑谷と、付き合い始めたって本当?」
「は?」
「だって青井がさ、『緑谷に恋人ができた』って言ってたんだよ。それってさ、トオルさんしか思い当たらないじゃん?」
「……違うって、わかってんだろ」
「あー、やっぱり?どうせ緑谷が誤解させたんだろうな~って思ってた」
──よくわかってんじゃねぇか。
喉の奥でため息を飲み込みながら、トオルはぼそりと呟いた。
「……あいつ、なんとかしろよ」
思わず漏れた自分の声に、苦さが滲んでいたのが自分でもわかる。
黄瀬が目を丸くして、楽しげに笑う。
「無理無理。緑谷に勝てるヒーローなんていねーって」
そう言いながらも、ふと視線をグラスの底に落とす。
「……あいつ、自分の欲しいもんに関してだけは、本当に容赦ないからね」
軽薄さの裏に、本音めいたものが滲んだ気がした。
トオルは小さく息を吐きながら、ふと呟く。
「……てか、ヒーローって何人いんの」
「え、知らないの? グリーン、俺、ブルー、レッド──で、あとピンク。今のとこ、5人だね」
「へぇ……ピンクってどんな奴?」
グリーンの“誰にも止められなさ”はすでに身をもって実感している。
となれば、まだ会っていない“ピンク”という存在が気になって当然だ。
軽く訊いたつもりだったが──
その瞬間、黄瀬の表情がかすかに翳る。
軽薄に浮かべていた笑顔が、ふっと色を失って消えていく。
沈黙が落ちた。
ほんのわずか、けれど確かに──言葉を探している間。
「……ん~……あー……まあ、ピンクはさ……うん、ピンクって感じ?」
「は?」
「ほら、グリーンは“完璧な見た目に、中身やばすぎ問題”でしょ?ブルーは“優等生っぽく見せて実はポンコツ寄り”、で、俺は“気さくで超絶イケメン”系じゃん?」
「お前、自分で言うな」
「細かいことはいいのよ。でさ、レッドは……あれ、会ったことある感じ?」
「顔合わせた程度だけどな」
「マジ?やば、もうほぼコンプリートじゃん。残るはピンクだけってことね」
そこまで言って、黄瀬の手がグラスへ伸びかけ──ぴたりと止まる。
そのまま目線を伏せて、やや声を落とす。
「──あいつだけはちょっと別格っていうか~。トオルさんは正直……会わない方が幸せかも」
「……おい。怖ぇこと言うなよ」
軽口のつもりだったのに、背中にひやりとしたものが走る。
黄瀬は、冗談とも本気ともつかない表情でグラスの氷を一度転がし、何も言わずに目を伏せた。
その静寂を破るように、黄瀬のスマホがブルブルと震える。
画面をのぞき込んだ彼は、眉をしかめて口を開く。
「……げ。緑谷から」
そして内容を確認した途端、目を見開き、わかりやすく引いた顔をする。
「ちょっ……『トオルさんに余計なこと吹き込むな』って。なにこれ。っていうか今監視されてんの?」
冗談めかして笑うが、どこか本気で身震いしているようにも見えた。
すぐに視線を向けてきて、冗談混じりの問いを投げてくる。
「なあ、トオルさんのスマホ、なんか変なアプリ入ってたりしない?GPS監視系とか、謎のメモ帳アプリとか」
「……スマホ、ロッカーだけど」
淡々と告げたトオルの一言に、黄瀬は固まる。
「え、ロッカーにあるの?……なんで緑谷、今の会話に反応してんの?てか、あいつどうやって監視してんの?」
「まあ……いつものことだな」
もはや恐怖を通り越して、完全に馴染んでしまったような、淡々とした口ぶり。
黄瀬は一瞬言葉を失い、やがて顔を引きつらせながら絞り出す。
「……ちょっと待って。トオルさん?今、“まあ仕方ないか”みたいな顔してたよね?もっとこう……怯えよ?!普通に怖がって!?」
「いや、だって……何言っても無駄だろ」
「だからって受け入れちゃだめでしょ!?あいつの“既成事実作戦”が成功してくの見てるこっちの胃が痛くなるよ!」
「……ヒーローが、なんとかしろよ」
トオルが静かに吐き捨てると、黄瀬は間髪入れずに手を上げた。
「ごめん、それは無理!」
あまりの即答に、トオルは無言でグラスを拭き続けた。
……もう、怖いより先に、慣れちまってんのが一番やべぇな。




