認識ずれてます2
薄暗い通路の奥、非常灯が瞬くなか、俺は追い詰められていた。
グリーンが一歩も引かない距離で立ちはだかり、その背後ではブルーが、無言のまま鋭い視線を向けている。
先に口を開いたのはブルーだった。
「……これ以上、彼を追い詰めるな」
低く抑えた声。けれど、冷えた鋼のように固くて、動じない。それに対して、グリーンはぴくりとも動かず、落ち着いた声で応じた。
「何か誤解されていますね。私は彼を──誰よりも大切に思っていますよ」
その言葉に、ふとグリーンの視線が俺に向けられた。
そして、唇の端が、ごくわずかに吊り上がる。
穏やかで、冗談めいた笑み。けれどその裏に、逃げ場のない冷たさがあった。
まるで、「もう逃げられない」と静かに宣告されているような感覚。
「そうですね。彼とは──少し、特別な関係でして」
「特別……?」
ブルーの眉がわずかに動く。
また適当なこと言いやがって、と思い俺はため息をつく。
否定しておくか──そう思って、口を開こうとした。
そのときだった。
「……ね?」
耳元すれすれに、低く囁く声が落ちた。やわらかな吐息が肌をかすめる。気づけばグリーンの腕が、俺の背に回っていた──いつの間に。
腰のあたりに、何気なく添えられた指先。その軽いはずの圧に、背筋がぞくりと粟立つ。なぞるでもなく、撫でるでもない。ただ、“そこにある”だけの手。
なのに──それだけで、全身がこわばった。
声を出すどころか、息の仕方すら分からなくなりそうだった。
「落ち着いて。大丈夫ですから」
他人には見えない角度から囁きながら、周囲には微笑みを向けている。
その距離の詰め方も、手の置き方も──ぱっと見には、恋人に寄り添う仕草にしか見えない。
けど、その手の置き方が、なんとなく「黙ってろ」って言われているように感じた。
言葉で言われるより重くて、暴力よりもじわりと迫るものがある。
もし何か言ったら、自分が過剰に反応してるだけみたいになる、そんなような空気にも感じる。
何もできずにいるうちに、グリーンは何事もなかったかのように、会話を続けていた。
「彼と出会ってから、何度か顔を合わせていくうちに……自然と距離が縮まりまして。最近では、一緒に食事をしたり、朝は迎えに行ったり、帰り道でばったり会うことも多いんです」
“ばったり”って単語の意味、辞書で引いてこい。
あれだけの待ち伏せと、職場での張り付きっぷりを「偶然」で済ませるあたり、普通に怖ぇよ。
「もちろん、ヒーローとしての任務には真摯に取り組んでいますよ。ただ、私的な時間をどう使うかは……個人の自由ですよね?」
さらっと言いやがった。筋が通ってるように“聞こえる”から、むしろ逃げ道が塞がれていく。
言ってることはただのストーカー報告なのに、声と目だけ落ち着いてるから、余計に質が悪い。
「……つまり」
ブルーが何か言いかけて──そのまま言葉を飲み込んだ。
眉間にごく浅いしわが寄り、そのまま沈黙が落ちる。
感情が追いついていないのか、言葉にするだけの確信が持てないのか。
けれど、次に口を開いたときには、すでにその思考はまとまっていた。
「……なるほど。そういう関係か。……悪かった、口を挟んだな」
低く、落ち着いた声だった。感情の波が過ぎて、理性だけで納得した人間の声音。
でも──その納得は、ただの誤解だ。
ブルーの視線が、俺とグリーンの間を静かに行き来する。
「……恋人同士のことに干渉するつもりはない。ただ、現場では紛らわしい行動は控えてくれ。判断が鈍る」
「ご心配なく。そんなに甘く見られているとは思いませんでしたが」
どうやらこの場は、“納得したことにして”やり過ごすらしい。
そして俺は──気づけば、否定のタイミングを逃していた。さっきもそうだった。「いや、違う」と言おうとした、その瞬間、背中にある指が、動く。
なぞるように、あくまでさりげなく。それでいて、どこか確信めいた触れ方。
ゾクリと、背筋が冷えた。
(……こいつ、わざとか)
でも、それを口にすれば、たぶん余計に面倒なことになる。そう思って、結局、何も言えなかった。
「では、俺は任務に戻る。交戦対象は、まだ完全に無力化されていないからな」
ブルーは淡々とそう言い残すと、背を向けた。
誤解は、何一つ解けないまま、ただ置き去りにされた。
彼はもう振り返らない。
そして残されたのは──俺を見つめ続けるグリーンだけだった。
微笑みも、指先の熱も、距離感も、さっきから何ひとつ変わっていない。
壁を背にしたまま、動けずにいる俺の前に、ずっと、グリーンがいる。
距離感バグってんのはいつものことだ。いちいち突っ込むのも、もう疲れた。
肩が当たる。というか、軽く押しつけられている。
壁とグリーンのあいだに、逃げ場なんて最初からなかった。
「よかったですね。誤解、ちゃんと解けましたよ」
俺はただ、ぼんやりとその顔を見上げて──
そして、乾いた声で答えた。
「……いや、むしろ悪化してんだろ」
それでもグリーンは満足げに笑った。
まるでその言葉すら、“肯定”に聞こえているような顔で。
「でも、もう誰にも邪魔されませんよ。ブルーも理解してくれましたから」
もはや突っ込む無気力もなく、視線を逸らして天井を見る。
壁と腕のあいだに閉じ込められている状況は変わらないけど。
(……あー、甘いもん食いてぇ)
エクレア。プリン。クソ甘いやつ。
糖分で思考を止めたくなるくらいには、疲れていた。
それでも、動かない俺を見て、グリーンはさらに一歩、距離を詰めてきた。
「こうして触れても、逃げなくなりましたね」
頬に触れながら言うその声は、やけに嬉しそうだった。
「…逃がしてくれんの」
俺の返しに、グリーンはふわりと笑った。
「もちろん。365番が本当に嫌がることはしませんよ」
その目を覗き込むと、微塵の嘘もなかった。
だからこそ、質が悪い。
「でも……そんなに嫌がっていなさそうに見えますが」
「……めんどくせぇだけだ」
俺の言葉に、グリーンは満足げに目を細める。
この状況を、きっと“関係の深化”とか、そういう風に思ってるんだろう。
(……こいつに“勝てるヒーロー”って、いんのか)
想像ができず考えても無駄だと悟り、俺はただ、ため息をひとつ吐いた。
* * *
──その数時間後。
ディヴァイアン本部・幹部フロア。
重厚な扉の内側、室内には張りつめた沈黙が支配していた。
空気を凍らせるように佇む男がひとり。
銀縁の眼鏡に、漆黒のスーツ。コードネーム──《クロウ》。
彼は手元の資料に目を落としたまま、低い声で問う。
「……365番。今どこにいる?」
「え、えーと……現場の部隊に混ざって、出ていったと……」
「誰の許可で?」
「そ、それが……現場が混乱していて、人手が足りないって……」
パチン。
クロウの手元で、ペンのキャップが静かに閉じられた。
ただそれだけの音が、やけに重く響く。
「私が──書類整理のために呼んだ人間だ」
張りつめた声。
低く抑えられているのに、明確な怒気が滲んでいた。
「なぜ、“あれ”が現場にいる?」
誰もが息をひそめるなか、沈黙だけが返ってくる。
クロウは一度、深く息をついて無言で立ち上がると、資料を静かに閉じて腕に抱える。
視線が、手元の一枚に落ちる。
「……それにしても」
小さく、ぽつりと漏れる声。
「グリーン。──なぜ、あのヒーローは365番に…?」
その声音には、疑念だけではない何かが混じっていた。
嫌悪とも、警戒とも、そして──抑えきれない苛立ちのようなものが、確かに。
誰も答えず、ただ沈黙が降りる。
クロウは思考を巡らせながら、静かに言い放った。
「……気に食わないな」
それは、ぽつりと落ちたはずの言葉だったのに。
その一言が、部屋の温度をさらに数度、下げていくのだった。




