ただのバイトです
休みの日。
今日は布団の中でゴロゴロして、何もせずに一日を終えるつもりだった。
……あのテレビ番組を見てしまうまでは。
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《濃厚生チョコプリン》《いちご農園直送タルト》《焼きたてスフレパンケーキ》
──期間限定スイーツビュッフェ、今週だけの特別開催!
お一人様 5,000円
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……行きてぇ……。
画面越しに見ただけで、胃袋がそわそわ騒ぎ出す。
ただ、料金が全然可愛くねぇ。
頭をよぎったのは、ディヴァイアンのバイトだった。
日給は悪くない。シフト提出は一応あるが、直前の飛び込みでも受け入れてくれる、ゆるめの現場。
「……行くか」
5,000円のスイーツのために動き出した体は、甘い誘惑へ一直線だった。
*
出勤してすぐ、入り口で作業員に呼び止められた。
「君、もしかして365番? 出勤したらやってほしい仕事があるって、上から言われてるんだ」
「365ですけど…………俺ですか?」
「ああ。まぁ上からの指示だから詳しくは知らないんだが、幹部の人からの指名らしいぞ」
「…幹部?」
会ったことないんですけど…と、思わず口からこぼれる疑問。
何かの間違いじゃ?と疑いたくなる。面倒な匂いしかしないが、無視もできず、渋々あとをついていく。
案内されたのは、やたらと立派な部屋だった。
(……なんだここ。幹部の部屋か?)
机の上には、積まれた書類、開きっぱなしの端末、乱雑なメモの山。
さらには飲みかけのコーヒーまで残っている。
「指示書は机に置いてるらしいから確認しながら進めてくれ。それじゃ」
そう言い残し、ここまで案内してくれた人はさっさと去っていった。
「……これ、俺がやんのかよ」
今日はいつも通り、現場での作業のはずだったのに。なんで俺が、こんな部屋の片付けを――。
深いため息をひとつ吐いて、観念するように机に向かう。
その上に、無造作に置かれた一枚の紙が目に入った。
──《作業指示書》
『この部屋の整理を依頼します。不要な紙類は処分可。端末内のフォルダ整理、デスク周りの備品整理も含む。
※赤字で記されたファイルは触らないこと』
(……わりとガチなやつだな)
確認した上で、まずは資料に手を伸ばす。
内容をざっと確認しながら、必要かどうかを瞬時に仕分ける。
破れかけた紙は補強し、散らばったフォルダは整理。
重たいファイルは圧縮し、ショートカットは使いやすい順に並び替える。
動作の重い端末はキャッシュを削除。紙資料はスキャンして電子化し、ファイル名もわかりやすく整えた。
制限の中でできる範囲はやりきって、机の上は人が使える状態になった。
作業の途中、端末のフォルダ名がふと目に留まった。
《クロウ用_再分類》
クロウ…?
なんかそんな名前、聞いたことあるような、ないような。
(ってことは、この部屋はクロウって人の部屋か…)
別に誰の部屋でもいいけど、もうちょっと事前に教えといてくれ……。
心の中でだけ文句を言いながらも、手は止めずに黙々と片付けを続けた。
そしてそのとき――
背後で、ドアが静かに開く音がした。
顔を上げると、見覚えのある無精髭の長身の男が、無言でこちらを見下ろしていた。
――深夜のコンビニであった、スイーツのおっさん?
男は数秒間こちらを見つめたあと、ふっと目を細める。
「君はあの時の……また会えたな」
そう呟いてから、彼は机へと目を移す。
部屋を一瞥し、整った様子に驚いたように目を見開いた。
「……これ、君がやったのか?」
「まあ。やれって言われたんで」
「あの資料、ただの紙の山じゃなかった。いくつか重要なものが混ざってたんだ。……すごいな」
言葉とは裏腹に、男の目はどこか掴みきれないままだった。
何かを見透かしているような、あるいはまったく何も映していないような。
「そうだ、この前のプリン、美味かった」
突然の話題転換に、思わずぽかんとする。
「…ああ、あれ。新作もなかなかでしたよ」
軽く返すと、彼の表情がわずかに緩んだ。
威圧感のある男なのに、その笑みには不思議と柔らかさがあった。
「……ああ、悪くなかったな」
ふと、独り言のように彼は呟く。
「君……ここで働いてたんだな」
「まぁ…バイトですけど」
「……そうか」
彼の視線はもはや資料ではなく、俺の横顔に注がれていた。
どこか、何かを見定めるような目つきだった。
「もしかして、クロウさん?」
「クロウはこの部屋の持ち主だ。俺ではないな」
「あ、そうなんですね」
(……じゃあ、お前は誰なんだ)
聞くべきか迷ったが、空気的にスルーしておくことにした。
その沈黙の中で、男は少しだけ俺の横顔を見つめたまま、静かに言った。
「……俺のことが気になるか?」
ぞくり、と一瞬、背筋に冷たいものが走る。
口調は穏やかなのに、その問いには妙な圧があった。
俺はなんと返すべきか迷ったが、彼は返事を待たずにふっと目線をそらした。
そのまま、ふたりの間に静寂が戻る。
作業に戻ろうとしたそのとき――ノック音が響き、勢いよく扉が開かれた。
「失礼します!ヒーローが資材置き場を破壊しています!至急、応援を!」
男は面倒そうに眉をひそめ、立ち上がった。
「……ちょっと対応してくる。適当にやっててくれ」
そう言い残し、男は部屋を出て行った。
(……やっぱり、そこそこ偉い人?)
この立派すぎる部屋に、資料の内容、そして“対応”に呼ばれていく姿まで。今さらながら、少しピースが繋がった気がした。
俺は再び机に向き直り、黙々と整理を続けた。
ひと段落ついた頃、そっと立ち上がり、静かに部屋を後にした。
*
そして、扉の前。
まるでずっとそこにいたかのように、素の姿のままのグリーンが立っていた。相変わらず自然に、不気味なくらいに違和感がない。
「365番。奇遇ですね」
穏やかな声。その一言だけで、背筋にひやりと冷たいものが走る。
「……ヒーローが、こんなとこいていいのかよ」
そう返すと、グリーンはゆるやかに笑った。
けれど、その笑みの奥に、見えない棘が潜んでいる気がした。
「365番こそ、こんな部屋で何をしていたんです?」
一歩だけ、距離を詰めるように。声は柔らかいのに、その中には確かに怒気が含まれていた。
……言われても、俺はただ、言われた場所で仕事をしてただけだ。この部屋の意味なんて、知るわけもない。
そのとき、遠くから小さな爆発音が聞こえた。
周囲が急に慌ただしくなる。無線の声、足音、ざわめき。まるで、何か大きな騒動の渦中にあるような気配。
「……何が起きてるんだ?」
問いかけると、グリーンは満足げに目を細め、ゆっくりと囁いた。
「365番は気にしなくても大丈夫ですよ。少し……“ある人物”を誘き寄せるための仕掛けをしただけですから」
「……は?」
意味がわからず眉をひそめる俺に、グリーンは一歩さらに近づいてきて、低く、そしてどこか押さえた声音で呟いた。
「密室で、二人きりなんて……許せるわけないでしょう?」
ぞわりと、空気が変わった。
その直後、彼がそっと俺の腕を取る。
その手のひらが、じりじりと焼きつくような熱を持っている。
「行きましょうか。ここは危険ですから」
背後から怒声と爆音が響く。そのすべてが、妙に遠く感じられた。
(……やっぱりコイツ、なんか仕組んでやがる)
そう思った瞬間には、もう遅かった。
あまりに静かな目に見つめられ、引かれる腕に抗う気力は、もう残っていなかった。
ただその手に導かれるままに、俺はその場を後にした。
「そうそう、スイーツビッフェくらい、いつでもお連れしますよ。次は、私に相談してくれると嬉しいです」
…やっぱ把握しとんのか。
じゃあもう、スイーツビュッフェくらい面倒見てもらうか、と心が折れた気がした。




