静かに働きたい2
「せっかく落ち着けるバー見つけて、癒されてたのになぁ……よりによって、お前がいるとか……」
肩をすくめながら、黄瀬はジントニックを一口。
その疲れたようなリアクションを見る限り、日常的に振り回されているようだ。
……ご愁傷様。こっちは今まさに巻き込まれ始めたところだけどな。
黄瀬と呼ばれた男の存在を、グリーンはあえて無視することに決めたのか、いつもの穏やかな笑顔を浮かべながら、何事もなかったように俺へと話しかけてきた。
「……そういえば、トオルさん。今日はいつもより左足の重心が低いですね。どこか痛めましたか?」
「…ん?」
意味がわからなかった。というか、こっちが気づけない情報なんだけど。
左足といえば――今朝、机の角に小指をぶつけたくらい。でもそれ、重心に出るか?怖すぎるだろ。
「ちょっと待って綠谷、お前の発言、完全にホラーなんだけど!?自覚ある!?」
横から食いついてきた黄瀬は、目を見開いて露骨に引いていた。
けれどグリーンは微動だにせず、視線を俺に戻しながら静かに言う。
「黙れ……トオルさんは、自分のことをあまり気にかけないから。気づくことが、大切なんだよ」
「あれだけ周りを虫ケラのように扱うお前の口から気にかけるという言葉が出たことにびっくりなんだけど?!まじでどういう関係?付き合ってんの?」
「将来的には付き合ってる」
「…付き合ってねぇよ」
なにかを察したように黄瀬はグラスを持ったまま黙りこみ、俺は無言で手元の布を動かし続ける。
場の空気が、一瞬だけ静かに戻った──かに思えた、その時だった。
「……その態度、この執着。いやいや、まさか、まさかとは思うけどさ……」
隣で、黄瀬がぽつりと漏らした。
グラスを握る手に力がこもっている。
(……?)
俺とグリーンを交互に見ながら、彼はゆっくりと、疑念を言葉にしていく。
「あれだけ他人に興味なかった綠谷が異常な執着を見せた男……この前の現場で、お持ち帰り寸前までいった……あの、敵のモブ戦闘員。通称、365番……」
その数字を聞いた瞬間、俺の中で何かが凍りつく。
365番。
それは、俺がディヴァイアンでのバイト中に使っているナンバーネームだ。
なぜ、それをこいつが知っている?
俺はとっさに口を閉ざした。顔に出にくい性格で助かったと、こんな時ばかりは思う。
けれど、答えるまでもなかった。
グリーン――綠谷は何も言わず、ただ、静かに微笑んでいた。
まるで、「その通りだよ」と言うように。
「……マジかよ」
ぽつりと漏れた黄瀬の声に、グラスを拭いていた手がわずかに止まる。
彼は椅子の背にもたれかかるように身を引き、俺とグリーンを交互に見比べた。
驚き、戸惑い、そして妙な納得。すべてが一度に表情に現れている。
「……繋がった。そういうことか……」
小さくつぶやいて、黄瀬は息を吐いた。
「なんか、初めて会った気がしないと思ったんだよなー……。なるほどなー。お前、ここでも“追って”たのか。マジでやること一貫してんな…」
その言葉には笑いも怒りもない。ただ、呆れに近いものが滲んでいた。
「黄瀬、邪魔するなら帰れ」
グリーンの声は低く、しかし一切ブレがない。
その冷たい響きに、少しだけ空気が引き締まる。
(……この黄瀬って男、なんなんだ)
グリーンと対等に話しているその態度、随分と砕けた口調。
それに、この容赦のないツッコミ。明らかに俺とは扱いが違う。
まるで、昔からの腐れ縁か、あるいは──味方同士?俺の中で一人のヒーローが浮かぶ。
「イエロー……」
思わず漏らしたその呼び名に、グリーンが間髪入れず応じた。
「トオルさん、そんな人、認識しなくて大丈夫です。もし仕事の邪魔でしたら、すぐに排除いたしましょうか」
“イエロー”という言葉に、グリーンは何の違和も見せなかった。
まるで当然のように、それが黄瀬の名前であることを受け入れていた。
その意味が脳に届いた瞬間、黄瀬は椅子ごとわずかに身を引く。
グリーンの視線は、一度も彼に向かなかった。
「いやいや、普通に味方を排除しようとすんな?てか、せめて紹介ぐらいちょっと挟んでよ。」
黄瀬がジントニック片手に、引きつった笑みでツッコむ。
けどグリーンは黄瀬を一瞬だけ見て、すぐに俺をまっすぐ射抜く視線に戻した。
その目は、底が見えないほどの熱と異様な執着で滾っていた。
「紹介……?」
小さく笑って、低く囁く。
「……あいにく、俺は嫉妬深いんだ。トオルさんに他の人の存在を認識させる必要はないし、許容範囲を超えたら、味方だとしても許せそうにないんだけど?」
ゾクリとする声だった。
笑っているのに、背筋が凍る。俺は思わず一歩引いた。
黄瀬の顔色が引きつる。
「……えっと、365‥いやトオルさん?すげーやべーやつに目ぇつけられたね…」
俺は一瞬黙って、それからぼそっと言った。
「助けろよ、ヒーロー」
「無理。俺、こいつに勝てない。ごめん」
即答だった。
誰も、この男を止められる者はいない──そう物語っているかのようだった。




