5話 お優しいのですね
「今日はここまでにしましょうか……」
ガラ・ドーラを倒した地点から、渓谷を流れる川を上流に進んでいくこと数時間。
特に話題もなく、淡々と俺の前を歩いていたシエルが、そう言いながら立ち止まった。
覚悟はしていたが――やはり、野宿は免れないようだ。
「食事を用意いたします。少々お待ちください」
「え?」
と、急にシエルが川に近づき始め、剣を振り上げた。
何をするのかと見つめていると――
「せぃっ――はぁっ!」
可憐な掛け声と共に、鮮やかに水面を切り裂いたその剣先は、魚を数匹突き刺していた。
一振りで、あそこまで正確に魚を捕らえることができるというのは――神業ではないだろうか。
「へー……凄いなぁ」
「そんな……お褒め頂くようなことでは……」
少し照れ臭そうにしながら戻ってくるシエル。
だが、すぐにその表情は硬いものへと変わった。
「……ところで、ユウ様。私の顔……どうなっているのですか?」
「え?」
「さっき、水面に映った自分を見て……転びそうになりました。本当に私の顔なのかと。私の顔は、もっと爛れていたのに……なんで……」
なぜに今更――とも思ったが、俺達が出会った時から、シエルは自分の姿を確認していない。
驚くのも無理はないか。
「さっきのユウ様のヒール……あれが原因ですよね? ガラ・ドーラとの戦いで負った傷だけじゃなく……今までの戦いで負った傷全てを治癒してくださったということですか?」
「そう……なるのかな? ごめん、俺は今のシエルの顔しか見てないからさ。あまり変わってる実感がないんだけど」
「……そう、ですよね……申し訳ありません。不要な詮索でした……あの、今から魚を焼くので、少々お待ちを……」
恐縮した様子で俺から遠ざかるシエル。
――やっぱり、コミュ力はもとのままだよなぁ……
あの『握手』の時は、なんかいい感じの雰囲気が出ていた気がするのだが。
あれからずっと、シエルは気まずそうに視線を泳がすだけで全く会話が弾まない。
というか、会話をすることを若干避けられているような気がする。
「はっ! たぁっ!!」
と、シエルの掛け声で我に返る。
「うわ……」
それは、あまりに豪快な火の点け方だった。
周囲に落ちていた石を宙にばらまき、それを剣で切り裂くことで大量の火花が発生。
それに木の枝を放り投げる――というのを何度か繰り返して、簡単な焚火を作っている。
「……焼けそう?」
「はい。少々お待ちいただければ。んっ――」
そう言いながら、ワンピースの裾をめくるシエル。
一瞬ぎょっとしたが、どうやら太ももに投げナイフを携帯していたらしい。
そのナイフを取り出して、丁寧に魚を刺し、地面に突き刺していく。
見事なサバイバル能力だ。
ボロボロのワンピース一枚に隠れる程度の装備しかしていないのに――たいしたものである。
「……あ。焼きあがるまで少し時間がかかりますので……申し訳ございません」
ふと、シエルが慌てた様子で俺に謝ってきた。
不必要に、じっと見つめすぎてしまっただろうか。
詮索になるかもしれないが、少しぐらい話題を振ってみてもいいか――
「シエルは、なんであの竜と戦っていたんだ?」
「それは……任務ですから」
「任務?」
「はい。巨竜ガラ・ドーラ……ユウ様に倒していただいた、あのドラゴンの誘導です」
「へー……」
それにしては、あまりにシエルの装備は薄すぎると思うのだが――
まぁ、ファンタジーな世界では今更か。
「そうなんだ……よく一人で戦ってたな?」
「一人ではないです。他の戦闘員は全員戦死しました」
「っ――」
シエルの言葉に、息を呑む。
あまりに淡々と答えてきたため、一瞬聞き間違いかと思ったが――そんなはずはない。
やはり、出会った初日に立ち入ったことをきくべきではなかったか。
「ごめん……俺……」
「……? 何故、謝るのですか?」
「それは……君が……」
――ダメだ。どうにも言葉が続かない。
こういう時、どんな言葉をかけるのが適切なのだろう。
と、俺が言葉を詰まらせていると、シエルは空気を読んでくれたのか、淡々としながらも話し続けてくれた。
「……一か月ほど前でしょうか。デクシアに向かってガラ・ドーラが進行しているとの報告がありました。そこで、ガラ・ドーラの注意を背けるため、決死隊が結成されたのです」
「決死隊って――死ぬと分かってて、戦いを挑んだのか?」
「もちろん。ガラ・ドーラと戦闘を行い、生きて帰ってこれるはずがありません。ユウ様と出会えたことは、幸運でした」
「そんな……」
なんて言葉をかけていいか分からない。
シエルの話し方はあまりにも淡々としている。
あまりに過酷で、残酷な話をしているはずなのに――まるで日常の、ありふれた1ページを紹介するかのようなしゃべり方だ。
「……もしかして、私を憐れんでくださっているのですか?」
怪訝そうに首を傾げるシエル。
「私達は来るべき時のため生きてきた。その時が回ってきただけの話です。それが獣人族の役目です。憐れんでいただくほどのことではありません」
「…………」
――重っ!!
なんだよこれ。
俺は鬱ゲーにあまり耐性はないのですが。
そもそも、シエルの自尊心があまりにも低すぎる。
ここまでくると、なかなか一筋縄ではいかなそうだ。
どういう言葉をかけるのが正解なのだろう――そんなことを考えていると、シエルは苦笑いを浮かべてくる。
「ユウ様はお優しいのですね」
「そうかな……」
「はい。獣人族にそんな目を向けてくる方に、今まで私はお会いしたことがありません」
「……そうなんだ」
それは比較対象が酷すぎるだけではないだろうか。
彼女にとってはそうなのだろうが、あまり褒められている気分がしない。
「あっ、そろそろ食べられると思いますよ。どうぞ」
と、タイミングよく、魚が焼けた、香ばしい匂いが俺の鼻をくすぐってきた。
投げナイフに刺さった魚を受け取り、それを口にする。
「わぁ……おいしいな、これ。ありがとう、シエル」
「えっ……? いや、そんなお礼を言われることでは……」
困惑した表情で俺を見つめてくるシエル。
「……シエルは食べないの?」
「え……でも、貴方が食べ終わってないのに――」
「あぁ、また獣人族が――ってやつ? それはいいから。一緒に食べようよ」
「一緒に……ですか……」
恐縮した様子で俯くシエル。
そもそもこの魚を捕ってきたのはシエルだ。遠慮する必要なんて本来ならば全くない。
とはいえ――シエルの自尊心の低さは、かなりの重症だ。
毎回、こんなに気を遣われたら、逆に俺の気が滅入ってしまう。
これからもシエルと話すたびに、『獣人族だから』といった理由で何度も自分を卑下した発言をしてくるのだろうか。
――まぁ、その度に根気よく言い続けるしかないよなぁ……
やはり何度考えても、猫耳という絶対正義たる属性を身に付けた美少女が不当な評価を受けるのは間違っている!
「あっ……あの。なんか暑くないですか?」
ふと、シエルがやや呆けた表情でそう話しかけてきた。
「ん、そうかな」
「はい……なんか、ぽかぽかします。変な汗が出てきたみたいで……おかしいです。今までこんなこと、なかったのに……」
「俺はそうでもないんだけどな。獣人族は体温が高いのか?」
「そ、そういうわけでは……ないと思うのですが……うぅっ……」
気まずそうに手元の魚をくるくると回すシエル。
「あっ……悪い。あんまり見られてたら食べにくいよな。俺、あっちむいてるよ」
「え? いや……あぅ……そういう……じゃ……ない……」
この魚はそれなりに大きい。
大きく口を開けないと食べられないだろう。
女の子が大口を開く姿を見られたくないってのは――うん、ギャルゲーできいたことあるし、間違いない。
「んくっ……あの、食べ終わりましたけど……?」
「そう? じゃあ……」
しばらくすると、シエルが申し訳なさそうな声で背後から話しかけてきた。
……なぜかシエルは正座をしている。下は砂利だらけだと思うのだが痛くないのだろうか。
「その……ユウ様は、デクシアに着いたらどうされるおつもりなのですか?」
それをきく前に、シエルの方が俺にそう問いかけてきた。
「ん? そうだなぁ……とりあえず、職を探すことになるのかなぁ……」
正直、先のことは全然考えていない――というのが本音だが。
「そんなにお強いのに……ですか?」
「この世界のこと、全然わからないからさ」
「そうですか……」
少なくとも、今の俺では、戦闘には勝てるかもしれないがサバイバルができそうにない。
衣食住を安定させないと冗談抜きで野垂れ死にしてしまう。
「えっと……どうしたの? じーっと俺のこと見て……」
「あ、失礼しました……その……差し支えなければ、おききしたいことが……」
「ん? なぁに?
「貴方は……何者なのでしょうか……? 抽象的な質問で恐縮なのですが……」
――まぁ、それは聞かれるか。
しかし、どう答えるべきか悩ましい。
通り魔に殺されて女神に異世界に飛ばされてやってきました――と言って話が通じるとは思えない。
「……遠いところから来たんだ。地球ってとこ」
「チキュウ……存じ上げないです。申し訳ありません」
「謝ることじゃないよ。それで、そこからここに来るとき……偶然、力がついちゃったみたい」
「偶然……?」
「うん。どうしてか、俺にも分からないんだ。……ごめんね」
「…………」
――やっぱり理解はしてくれないか。
シエルの顔に、はっきりと『ごめんなさい』と文字が書かれているように見える。
だが――
「貴方は、不思議な方ですね。突拍子もない話なのに……嘘をついている気配がしません」
「そう……?」
まぁ、嘘はついていないからな。
本当に、俺は地球からやってきたわけだし。
「……失礼しました。そろそろ、寝る準備をいたしますね。デクシアまでは、まだまだ距離がありますから……」
「あ、俺も手伝うよ。何かできること、ある?」
「え、でも、そんな――」
「いいから。一緒にやろう」
「……分かりました。そこまで仰っていただけるのなら……」
少し顔を赤らめながら、こくりと頷くシエル。
人里にたどり着くのはいつのことになるのやら……
だが、この愛くるしい女の子と二人きりというのは――結構、役得なのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はシエルに続いて、立ち上がった。