小忍ばざれば則ち大謀を乱る
かつて、南の地の3人の賢者が、迷える民を励まし、守り、北上し家を与えた。
村はやがて街になり、国となった。
初代国王は、古き聖なる血を引く、風と鷲の神の加護を与えられたウェントス・アルタイル。
ウェントス国王を支える真の友、賢者の末裔ホルミスダス・カンタベリとシンマクス・グラフトン。
レティア姫はアルタイル王国の歴史書を改めて読みながら、小首を傾げた。
ここは馬車の中。向かう先は、アルタイル王国城下街の南東隣、ミモリア街である。
間も無く正午。本日は、まばらな雲しかない青空が広がる快晴で、間も無く秋ではあるが、馬車内は実に心地の良い温度。
「んー、古き聖なる血。南と言えば、南の巨大要塞都市。古き、というのもあの要塞都市が大陸一の歴史を誇るらしいので分かりますが、聖なる血とは何でしょう?」
唇を尖らせると、レティア姫は目で追っていた文字を指でそっとなぞった。
南へ近寄ると、砲撃、銃撃、さらには酸が降り注ぐと言われており、南の国にある巨大要塞都市が存在しているのは、噂なのか真実なのか不明。
少なくとも、レティア姫が知る範囲ではそうだ。
彼女の隣に座るカール令嬢はすーすーと寝息を立てて、あどけない寝顔。
向かい側に腰掛けるユース宰相も、口を半開きにして、船を漕いでいる。
そして、レティア姫といつも共にある鷲蛇セルペンスも彼女の膝の上でトグロを巻き、目を閉じている。
なので、レティア姫の疑問に答える者は、馬車内には誰もいない。
(あら、みんな寝ているのね)
レティア姫は歴史書を閉じて、窓の外をぼんやりと眺めた。
(賢者ホルミスダスが設立したと言われているミモリア教会。楽しみだわ)
微笑みながら、レティア姫は小さく歌い始めた。
セルペンスが日頃から歌え、歌えと頼むので、レティア姫の趣味の1つは歌うことだ。
「くるくる、狂狂、何度も巡る……。あら、この歌。どこで聞いたのかしら?」
首を傾げながら、レティア姫は目を瞑り、身の内側から湧いてくる旋律に、懐かしい言葉を乗せる。
「謝っても許さない……」
うつら、うつら、とレティア姫は眠気に襲われた。瞼も重くなっていく。
「謝らないのも許さない……」
完全に睡魔に飲み込まれると、レティア姫は夢を見た。
懐かしくて、悲しく、熱くて苦しい、そういう夢。
彼女が目を覚ました時、夢の内容は忘却へ霧散し、涙だけが夢が存在したと証明するように、頬を濡らしていた。
「んっ……」
「おはようお姫様」
レティア姫が瞼を開くと、目の前にユース宰相の微笑があった。
(座っているから、まだ馬車の中よね。でも、暗い……)
彼女の濡れた頬を、ユース宰相はそっとハンカチで拭った。
城下街からミモリア街までの移動時間では、昼から夜になんてならない。なのに暗い。何かあった? とレティア姫はまだ眠くて、ぼんやりする意識で考察した。
「ミモリア街に到着し、今は教会内を準備中。悲しい夢を見たようだが、大丈夫か?」
問いかけに。レティア姫は無言でハンカチを受け取り、小さく首を縦に振った。
「どんな夢だったのか、全く覚えていません。なので、平気です」
「馬車は教会脇に停車している。これから君がするべき行動は?」
ユース宰相の骨張った手がレティア姫の頭をそっと撫でた。
「修道女について、控室で身支度をして待機。司教が迎えに来るので祭壇と聖像の間に立つ……」
「その通り。平気は本当そうだな。ははっ、怖い夢で泣いたとは思えない、可愛い寝ぼけ顔だ。もう少し起きろ」
いきなりチュッとキスをされて、レティア姫は背筋をピンと伸ばした。目を丸め、周囲を見渡す。
ユース宰相は馬車の窓の片方を伸ばした腕と、マントで隠している。
反対側は出入口で、そこにある窓には護衛騎士の背中が見えるのみ。
「ユ、ユース、ユース様」
大声を出すと護衛騎士が不審に思って振り返る。レティア姫はそう考えて、ユース宰相の耳に顔を寄せて小さな声を出した。
すると、ユース宰相はこれ幸いにとレティア姫の首筋にキス。
「んっ……」
次はほっぺた。そして、即座に唇。
「ん? もう1回して欲しい?」
ユース宰相は空いている手でレティア姫の頬を包み、鼻と鼻をくっつけたまま。
「もうすでに……。こ、公務中で……んっ……」
「まさか。公務前の休憩時間だ」
「そんなの屁理屈……んんっ……」
レティア姫が両手で胸を押してもユース宰相は引かないどころか、キスを繰り返した。
(こんな強引なの……。ユース様が変……)
護衛騎士が後ろを向いて、窓から馬車内を覗いたら。そう考えるレティア姫にとっては、気が気ではない状況。
キスは嬉しく、反射的に目を瞑ってしまう。しかし、こんなの困るという理性が働くので、手で抵抗し、身も捩る。
「スリルのせいか、凄く可愛い顔。レティアはこういうのも好きか」
パッと体を離すと、ユース宰相はレティア姫の前の椅子の背もたれにしっかりとよりかかり、マントで隠していた窓から腕を離した。
肘掛けに右肘を乗せて、頬杖をつき、不敵な笑顔を浮かべる。
その態度でレティア姫は憤慨し、唇を尖らせ、ツンっとそっぽを向いた。
顔は真っ赤で、少し涙目。
「違います……。こんなの、こんなの見られたら……。ユース様。私の反応を見たくてわざと……」
レティア姫はぶすくれ顔で俯いて、小さな声を出した。更には上目遣いと無言で、ユース宰相に抗議。
眉毛は逆ハの字。明らかに怒っているという表情。
「まさか。見られるはずない」
小さい声を出してから、ユース宰相は左腕を出入口の方へ伸ばした。拳を握り、手の甲側でコンコココン、と少し強めのノック。
「サー・ノヴァ。レティア姫が目を覚ました。扉を開けてくれ」
護衛騎士が返事をして、扉を開く。
「この私が何の根回しもしないと思ったのか? これで少しは緊張がとれるだろう。ユース様のバカって、ため息をついたり、眉尻を下げる。公務だからと必死に笑う。それが、憂いを帯びた微笑みに見えるかもな」
レティア姫の手を取り、馬車の外へとエスコートする途中、ユース宰相はレティア姫にそう耳打ちした。
全てを理解したレティア姫は、それでもユース宰相の思惑通りの表情を作り、無事にミモリア教会で聖女らしい姿を市民に披露した。
☆★
レティア姫がミモリア教会の正十字架に向かって礼拝中。
ユース宰相は司教の隣でキリリと精悍な表情をしていた。
(我慢出来ずにやり過ぎた。だってあの態度に顔は燃えるし、我慢とか無理無理。いじけ顔にもグッときた。可愛いから甘やかしてきたけど、さっきのも良いな。夜も試してみよう)
ユース宰相の心の中の表情は表とは全く異なる。
彼の斜め後方に立つ、近衛騎士ダグラスは、ユース宰相がニヤケ顔をした瞬間に「閣下。虫が」とハンカチで彼の頬と口をパシンと押さえた。
「ありがとうサー・ダグラス。君はいつも気が利く」
「はっ」
ユース宰相はダグラスの真意を読み取り、慌てて笑顔の仮面を被った。
タイトル、予告と変わりました。
「小さな事を我慢できないようなことでは、大きな計画を達成することはできない」
今回、一気投稿出来ず。
数日以内にこの短編は完結予定です。
なので次回タイトルは「2」




