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レティア姫が湯浴みを終えて、身支度も済ませて、隣のリビングにしてある部屋へ移動すると、既にユース宰相がソファでくつろいでいた。
なので、侍女サシャはそそくさと退室。
これから朝までは、何もない限り、レティア姫とユース宰相の2人だけの時間になる。
読書中のユース宰相の姿を捉え、レティア姫はふと気がついた。
(あのキスシーン、初夜の前だったわ。し、舌を入れるのは違う? もっと何かあるの? まさかっ)
レティア姫は自分のおヘソ辺りに手を当てた。
(おヘソにも舌を? おヘソは赤ちゃんがいる場所に一番近いわ。だから、何か関係あるはず)
んー? とレティア姫は首を傾げた。
(キスの方が恥ずかしい気がするわね)
明らかに自問自答している雰囲気のレティア姫をチラリと見たが、ユース宰相は知らんぷりすることにした。
(色々考えた結果、私に何を聞いてくるのか気になるから放っておこう)
そう、読書中の小説に集中する。
ユース宰相が読んでいるのは、レティア姫も愛読中の「囚われの青薔薇姫は溺愛される」だ。
(ああっ……。やあっ……。ユース様。ユース様。ユース様。ユースさまあ……。もっと……)
彼はレティア姫がユース宰相に熱烈なキスをされて「ユース様」と連呼するシーンを繰り返し読んでいた。
湯浴み前の準備運動として。
「ん? レティア。のぼせたのか? 座って休むと良い」
「いっ、いえ。あの、少々きゃんがえごとで」
言葉を噛んだレティア姫は、湯浴み後で上気させている頬を、更に赤らめた。
「君はいつも可愛いな」
立ち上がり、小説をローテーブルに置くと、ユース宰相はレティア姫に近寄った。
「良い匂い。どれ、私も体を洗ってくるか。久々なので、君を沢山抱きしめてから、ぐっすり寝たい」
チュッとレティア姫の頬にキスをすると、ユース宰相は浴室のある隣室へ去っていった。
彼が告げたように、先週は東塔で別々のベッドで寝ていた2人。
(沢山抱きしめて? キ……スもするかしら……)
トトトっとソファまで駆け寄ると、レティア姫はソファにちょこんと腰掛けた。
両手を頬に当てて、スリッパを履いた足をバタバタ動かす。
彼女の爪先が、勢い余ってローテーブルの下に激突。
「っ——……」
涙を浮かべると、レティア姫は体を折り、ぶつけた右足の爪先を手で揉んだ。
痛みが引いてきて、彼女はふと気が付いた。
(この本……)
ローテーブルに置かれている小説「囚われの青薔薇姫は溺愛される」を目にして、レティア姫は体を起こしながら、そっと小説を手に取った。
(3巻……。ついに心を通わせ始めたレティア姫とユース宰相。しかし、青薔薇姫の力を狙う大国の王子が目をつけ……。あっ、しおり……)
ユース宰相は、小説を見つけたレティア姫にそのページを読ませて、沢山名前を呼んでもらおう、と目論んでいた。
小説のレティア姫とユース宰相が、いちゃいちゃキスをするシーンなので、読まれて構わないと考えて選んだページだ。
しかし、レティア姫の行動は彼の思惑通りにはいかなかった。
(大国の王子って……)
レティア姫はペラペラとページをめくり、大国の王子が登場するシーンを探した。
(あっ。やっぱり)
レティア姫が発見した大国の王子の名前は「ルイ・メルダエルダ」である。
この登場人物も実在する。
レティア姫に一目惚れした、北西の大国ドメキア王国宰相。大鷲賢者と呼ばれる権力者。
あれこれ理由をつけて、定期的にレティア姫をドメキア王国に呼んでいる男性。
レティア姫はルイ宰相からすると、あまり特にもならない小国の姫。更には横恋慕。なので止めろ、と周囲に散々反対されているが、そのせいでルイ・メルダエルダはかえって燃え上がっている。
人を傷つけることを苦手とするレティア姫は、申し訳ない気持ちを抱きながら、誠実にお断りしている。
(夜を閉じ込めたような髪に、甘く澄み通った声。美しいのに儚げで、支えて守らねばと思った。憂いを帯びた歌に、胸が痛む。星空乙女よ、何がそんなに悲しいのです。この台詞、ほぼ本当。ということは外交官か帯同した者が喋ったの⁈ ……いっ)
「いやああああ!」
つんざくようなレティア姫の悲鳴が響き渡った。
「レティア様!」
「レティア様!」
即座に入室してきたのは、今夜の夜間警備担当の近衛騎士2名。
2人が目にした光景は、ソファから立ち上がったばかり、というレティア姫。そして、本を閉じたばっかり、という体制。
彼女は涙目だが、2人の騎士が部屋を見渡しても、レティア姫以外には誰もいない。
「レティアどうした!」
次に部屋に飛び込んできたのは、まだ体に泡をつけていて、下半身を手に持つタオルで隠すユース宰相。
レティア姫の顔が動き、ユース宰相の姿を黒曜石のような瞳がとらえる。
大事なところは隠れているとはいえ、レティア姫が物心ついてから、初めて見る男性の全裸。
「きっ……きゃあああああ!」
今度の悲鳴は、どちらかというと嬌声。
レティア姫は本をソファへ放り投げ、両手で顔を覆い、イヤイヤというように頭を振りながら、騎士の1人、女騎士ミネーヴァの元へ駆け寄った。
「ユー、ユース様! 何でもありません! 戻って大丈夫です!」
レティア姫はユース宰相を一切見ません、という態度を示した。
「ミ、ミネーヴァも見てはダメです! 乙女の夢でもダメです! ユース様はわたくしの……」
レティア姫がミネーヴァの目を手で覆った時、彼女の視線はもう1人の騎士、青薔薇の騎士団員のマルクの表情をとらえた。
紅葉した楓のように真っ赤なレティア姫に惚けてしまったマルクの顔は、レティア姫には呆れ顔に感じられた。
心が狭い。嫉妬丸出し。呆れられた! とレティア姫は慌ててミネーヴァの目から手を離した。それで、身の置き場がない、というように縮こまる。
ミネーヴァは内心大笑いしたかったが、レティア姫を揶揄うとユース宰相が怖いと、澄まし顔をして、軽い会釈だけにしておくことにした。
「あー、虫か何かいたか? ミネーヴァに任せられそうなので戻ろう」
くるりと体の向きを変えると、ユース宰相は身を縮め、少々震えながら隣室へ消えた。
「サー・ミネーヴァ。サー・マルク。何でもありません。その、叫んだりして、すみませんでした」
「虫退治は必要ありませんか? 襲われたような声でしたけれど……」
レティア姫は遠慮がちな性格だと知っているミネーヴァは、彼女の顔を覗き込んだ。
「いえ。あの。よ、呼んだ本の内容が恐ろしくて……つい……。すみません……」
「ああ。ホラー小説を読んでいたのですね。怖いシーンは、ユース王子と一緒に読むと良いですよ」
後半の台詞を、少々大きめの声で告げると、ミネーヴァは「失礼します」と退室。部下マルクがまだ惚けているので、彼の耳を鷲掴みして引きずって。
(言えない。小説なのに、ユース様以外の人に無理矢理キスされたのが嫌で叫んだなんて……)
レティア姫はとぼとぼソファへ戻り、ソファに放り投げた小説を、元の位置へ戻した。
それから、ユース宰相の蔵書が並ぶ本棚の前へ移動し、ホラー小説を捜索。
ユース宰相が現在部屋に置いている本は、仕事に使う資料用の書籍ばかりで、創作物は皆無。レティア姫は諦めて本当のことを話すと決意した。
ほどなくして、寝巻き姿のユース宰相が部屋に戻ってきた。
「叫んですみません。その、あの、ユース様が呼んでいた小説を読んで……。私がルイ宰相にキ、キス、キスを無理矢理され……」
「はあ?」
ユース宰相は珍しくレティア姫の前で大きめの不機嫌そうな声を出した。
「そ、創作物に……」
「ははっ。嘘偽り本でも嫌とは、そんなに一途に私を想ってくれて嬉しいな」
サッと笑顔を作ると、ユース宰相はレティア姫に向かって腕を広げた。心の中では眉間に青筋を立てているが、演技は彼の十八番である。
「本当に可愛いなレティアは。ミネーヴァにも私のユース様って。そうだ。私は君のものだ」
ほらほら、おいで、と手招きをされて、レティア姫は俯きながらトトトッとユース宰相に駆け寄り、それからおずおずと抱きついた。
その次は、ギュッと抱きつく。そのレティア姫をユース宰相が優しく抱きしめる。
(物は試しだ)
ユース宰相はダメ元で「んっ」とキスをねだってみた。
予想的中。レティア姫は「もう1回言って……」と甘い声を出し、更にはユース宰相の唇にそっと唇を重ねた。
おまけに「もう1回、ユース様」と何度か繰り返し、ユース宰相の脳味噌を沸騰させた。
☆★
ちなみに、この日の夜、またしても犠牲になったのはディオク王子である。
根回しして築いた種々の対ユース宰相バリケードを破られ、一晩中睡眠妨害された。
「何あれ、何なのあの生き物! 可愛いいいいい。かーわいいーー」
「俺に抱きつくな! 気持ち悪い顔をするな! 本人に言え!」
「可愛いくらい言ったさ。当たり前だ。四六時中愛を囁く。なるべく格好良くだ。こんな姿を見せられるか」
ディオク王子にひっついたり、枕をぶつけたり、ユース宰相は寝れなくて暇だからとやりたい放題。
「あー、気持ち悪い。吐き気がするよディオク君。こんな甘酸っぱい初恋みたいな気持ちを抱くなんて、気色悪い男だ」
「その通りだ。だから黙れ。帰らないのはもう分かっているから、頼むから寝てくれ」
「努力はしている。目を瞑ると、羊を数えても、髭面男を数えても、ヤギのうんこを数えても、可愛いレティアが出てきて私の睡眠を妨害するんだ」
ディオク王子は耳を塞ぎ、ユース宰相を蹴飛ばした。
似たようなことを繰り返し、気がつけば朝。
腹が立つので、ディオク王子はしばらくレティア姫を地方視察に出す計画を練ることにした。付属品のユース宰相も消えて快眠。それが目的。
次回
「八方塞がり」仮
ディオクの部屋に行けない場合、ユース宰相はどうするのか……?




