純情な乙女心
アルタイル城の地下神殿から続く、海洞窟。そこは、あまりにも幻想的な空間。
大理石のような、それも青と白のマーブル模様の岩が形成する鍾乳洞。
砂浜に底まで見える澄んだ海があるので、レティア姫は海洞窟と命名した。
その海洞窟で、レティア姫は今日も悶々と悩み中。
膝の上には、小説「囚われの青薔薇姫は溺愛される」が置かれている。
(前回は、結婚式前にキスされたところまで……。それも、し……た……)
小説の続きを読んで、大人のキス(ディープキスという名称を知らない)の予習をするか、しないでおくか、レティア姫はグルグル考えている。
——姫、また繁殖期?
レティア姫の肩に乗る鷲蛇セルペンスが、彼女の頬をツンツンと突っついた。
「ち、違うわ!」
——繁殖期はお祭り! 歌って!
海から何匹ものセルペンスが現れ、ワラワラとレティア姫を囲う。
頭の中に響く「繁殖期はお祭り! 歌って」の大合唱に、レティア姫は呆れ顔を浮かべた。
「繁殖期ではありません。ですから、恋……。そういえば、セルペンスは恋をするの?」
レティア姫が両手を胸の前で器のようにすると、以心伝心というように、その上にセルペンスが1匹乗った。
——セルペンスの繁殖期は1年に1回のお祭り。姫が羨ましい。いつもお祭り
「そうなの? あなたは男の子? 女の子?」
レティア姫は、いつも自分の側にいるのは、セルペンスの子供だと推測している。
それはまさにその通りで、今砂浜にいる数十匹のセルペンスは全部子供だ。
——セルペンスは男で女。姫、歌って
海岸にいるセルペンス達が、グッと体を伸ばして、ゆらゆら 、ゆらゆらと揺れる。
「男で女?」
——歌って歌って
今度は歌っての大合唱。これはもう質問しても返ってこないな、とレティア姫は諦めた。
それから楽しげに揺れるセルペンスは可愛いな、と口元を綻ばせた。
「ええ。何の歌が良いかしら」
レティア姫は敷物の上に小説を置き、靴を履かずに砂浜へと進んだ。
セルペンス達が輪になってレティア姫を囲う。
——流れ星の歌!
「流星の祈り歌のことね。良いわ。きらめく星よ……」
レティア姫が歌うと、セルペンス達も合唱を始める。
(子供が生まれたら、こんな風に一緒に歌うのかしら)
「叶えて欲しい、あのこの願い、誰かの想い——……」
レティア姫は歌いながら、セルペンス達を撫でて回る。
(そういえば、結婚して半年以上、子供が出来る気配がないわ)
自分のぺたんこのお腹を撫でると、レティア姫はぼんやりと海を眺めた。
現在、妊娠中の義姉エトワール妃のお腹は、日に日に膨らんでいる。レティア姫は先日、彼女のお腹に触れさせてもらい、中にいる赤子が動くのを感じた。
それはレティア姫の人生で、始めての経験だった。
(ユース様との子供……。欲しいと風と鷲の神様に祈ってないからかしら? それなら、祈りにいかないと)
「セルペンス、歌の続きは礼拝の後ね。私、地下神殿でお祈りをしないとならないわ」
セルペンス達からの返事はない。レティア姫から離れ、楽しそうに海の中へ飛び込み始め、バシャバシャとはしゃいでいる。
レティア姫は荷物をまとめ、小説を隠し、地下神殿で「ユース様との子供を授けて下さい」と祈り、それからアルタイル城へと戻った。
それが、一刻程前の夕方のこと。
今、レティア姫とユース宰相は、夕食前の団欒を楽しんでいる。場所は食堂隣の談話室だ。
ソファで隣同士に座り、ユース宰相は夕刊のチェック、レティア姫はハンカチに刺繍をしている。
「ユース様、私とユース様の子を授けて下さいと、今日初めてお祈りしました」
レティア姫の発言に、ユース宰相は吹き出しそうになった。
「ん? 急にどうした?」
「妊娠する気配がないなと思って」
その発言に、ユース宰相はまた吹き出しそうになった。
「結婚したり、恋人同士になると、神様から子を授かるのですよね? エトワール様が、子供は授かりものって言っていました」
(性的な知識不足だけではなく、これも分かっていないのか)
どうしたものか、とユース宰相は読んでいた夕刊を閉じて、サイドテールへ置いた。
現レティア・アルタイル、元シャーロット・ユミリオン男爵令嬢はネグレクト気味に育てられた。
彼女は王都の病院で誕生。未婚の母の元に生まれている。
母親は病院に子供を置き去りにして失踪。偽名で、家族や父親の名前も全部偽り。身寄りのない赤子は孤児院送りになった。
ユミリオン男爵夫婦は、中々子供が出来ずにこの赤子を養子に迎える。
自分達の娘は、こんなにも素晴らしいという見栄を張る為に、二度の転居の際に年齢をカサ増し。
ユミリオン男爵夫婦は、幼い頃は養子を大事に育てていたけれど、実子が生まれたことで、養子を疎むようになる。
娼婦や奴隷として売られなかったのは、シャーロットが家のことを何でも行い、類稀な記憶力で父親の代わりに書類仕事をこなせたからだ。
(無理もないか。母親はアレで、学校に通ったこともなく、お互いを大事にする妹以外で、まともな人間関係を築けたのは、去年王都に上京してからだもんな)
ユース宰相はレティア姫の方を向いた。彼女は自分のお腹を両手でさすっている。
「出産って、長い時間がかかって、とても痛いのですよね? 小さなおへそから、大きな赤ちゃんが出てくるなんて、信じられません。私、生まれてくる赤ちゃんって、こう、このくらい小さいと思っていました」
レティア姫は手で卵大の丸を作った。
彼女はエトワール妃のお腹を触った日に、クラウス王子が生まれた時の話しも聞いて、それで出生児の大きさや重さを知ったのだ。
ユース宰相はもはや項垂れそう。
「母がアリスを産んで、1ヶ月程して家にアリスを連れ帰って来た時、一気にスクスク成長するのだなって驚いたんです」
幼い頃の自分は、おかしな誤解をしていたでしょう?
そういうようにレティア姫はユース宰相に笑いかける。
「レティア。君自身の出自について、どう思う? 君の生母は子の誕生を祈ったと思うか? 産んで直ぐに捨てたんだぞ」
「えっ? 急にどうされたのですか? 先代国王陛下が街で愛人を作って、別れて、その後に私の本当の母は妊娠を知ったのですよね?」
レティア姫の回答に、ユース宰相は否定も肯定出来ない。
ただ、この考え方は合っている。彼女の考察を聞きたいから頷いておこう、と首を縦に動かした。
「国王の子を産めば妃になれると思ったのでしょうね……。2人で子を望んで、でも授かる前に別れて……。でも実はもう妊娠していた。もう要らなかったから、産んで捨てた……」
レティア姫は悲しげなため息を吐くと、ぼんやりとした表情になった。
(この考えも、おおよそ合っている。頭が悪い訳ではないから、統合性が取れている。その分、疑問を抱く隙間が無いな。こうやって基本的に立派な大人なのに、どこか少女というチグハグな人格が出来上がったのか)
親に3歳サバ読みされていて、親にこき使われながら妹を大切に世話していたレティア姫は、同じ18歳の女性よりも当然大人びている。
上京後、家政婦のような生活をしていたし、トラブルがあってレストランで働いていたこともある。
ユース宰相は意を決して、レティア姫の耳元に顔を寄せた。
誰かが正しい知識を教えないとならない。アフターケア役の女性は沢山いる、と考えながら。
「子供はヘソからは生まれない。結婚式典の夜に私とすることを繰り返すと、子供が出来ることがある。絶対ではない。だから神様からの授かりものだし、逆に望んでいなくても妊娠することがある」
レティア姫はこの台詞に固まった。
「この件に関して君が無知なのは、育て親のせいだ。仕方ない。女性は良い環境で育てば、適切な年齢の時に、おぼろげな知識を与えられる」
ユース宰相は立ち上がり、ポンポンとレティア姫の頭を撫でた。




