20 つぼみ
花のつぼみが膨らみ、春の暖かな風を感じるようになった頃。
ローズマリーはモンティース侯爵邸を訪れた。
ケンドール伯爵家の一件で引き取られたベアトリスは、子供らしくふっくらとした頬を紅潮させて美しい金髪をなびかせながら隣を歩いていた。
それから一つの花壇の前で立ち止まる。
「もうすぐ、この花壇のチューリップが花を開きそうなんです」
ベアトリスに案内されてついた場所には、たしかにつぼみのチューリップが植えられている。彼女はしゃがんでつぼみにそっと触れる。
そのあまりに嬉しそうな顔に、ローズマリーは思わず問いかけた。
「何か思い入れのある花なのかしら」
「はいっ……あのですね」
ベアトリスは、少し恥じらいながらも話したいような独特なかわいらしい表情をして言葉を紡ぐ。
「私が、この屋敷にやってきたのは冬頃で、モンティース侯爵にご挨拶をしたり、ケンドール伯爵家との問題の進捗を聞いたり、アビー以外の新しい使用人たちと生活を整えるのがとても忙しくて」
「ええ」
「ルーファス様が認めてくれたからには頑張ろうって、いろいろ勉強したり、お稽古を頑張っていたら……ある日、とても悲しくなってしまって」
ベアトリスは、チューリップのつぼみを指先でなでて、切ないようなそんな表情をした。
「辛くもないのに、なんだか悲しくって。お部屋にこもりたくなってそうしていたら、ルーファス様が来て、散歩に連れ出してくださったんです」
ローズマリーはその姿を想像する。大男が小さな彼女の手を取って気遣いながら散歩に連れ出す。
それは想像ながら微笑ましい。
「私、とても久しぶりに庭園を見て、ゆっくりと歩いて、楽しい話をして。外は寒かったけれどガゼボは魔法具で暖かくて」
「……素敵ね」
「はい。とても素敵な思い出です。そうしたら、ルーファス様がこの花壇に連れてきてくれて、言ったんです」
ベアトリスの言葉にローズマリーは促すように頷いた。
「少し前に球根を植えたから、春には育って花が開くって、今は土の下でゆっくり休んでいるけれど、時期が来れば誰が見てもわかるぐらい素敵な花が開くって」
「……」
「ずっと頑張っていなくても、遊んだり休んだりしている間もきちんと成長しているから、ゆっくり大きくなっていったらいいんだって」
ローズマリーはまず、意外だと思った。
しかしベアトリスを説得したときの彼のことを思い出すと、彼はとても人の情緒というものを大切にしている人なのだと思う。
「だから、今はちょっぴりゆっくりしています。モンティース侯爵も侯爵夫人もとても優しくて、毎日楽しいです」
「いいことね」
「はい。……それでそれは、ローズマリー様のおかげです」
ベアトリスは立ち上がって、とても穏やかな表情で笑いかけた。
そこにはすでに、幽霊のようにはかなく消えてしまいそうだった彼女の姿はない。
ローズマリーの前にいるのは婚約者に大切にされて、まっすぐに育っているかわいらしい女の子だけだ。
「大したことはしてないわ」
「でも私はとても、すごいことだと思いました。まだ、全部はどういうことだったのかわからないけれど、でもモンティース侯爵も、侯爵夫人もルーファス様も、皆、ローズマリー様が手を貸してくれて助かったと言っていました」
「……」
「さすが、宮廷事務官の試験に受かるような人だって。私がここにいていいのは、ローズマリー様のおかげです。救ってくれて、ありがとうございます」
ベアトリスの言葉は別に間違ってはいない。
たしかに、事務官としての知識があったから、彼女を救い出せた。しかし別に、それを誇示したい訳ではない。
今回のことはローズマリー自身の後始末だったのだから。
それにこう真っ向から純粋にお礼を言われるとこそばゆい気持ちになる。
彼女に打算的な気持ちがあれば、ローズマリーも同じようにどう彼女をうまく使っていくかを考えるが。ベアトリスは純朴な子供だ。
純粋な人間の感謝に対して、ローズマリーはまだ正しい対処がよくわからない。
「……どう、いたしまして」
「はいっ、それで、私もいつか事務官の試験受けてみたいんですっ、侯爵夫人には一時よそで働いてみるのも見聞が広がるから良いと言われました」
ローズマリーは少しぎこちなく返したが、ベアトリスはそんなことなど関係なく無邪気に笑う。
屈託ない笑みと打算のない尊敬から来る言葉、なんと答えるべきか迷って言葉少なになってしまう。
「今から楽しみです、私、頑張ってみます」
「挑戦は……素晴らしいことよ」
「はいっ」
ローズマリーは少しぎこちない態度で返すが、嬉しくない訳ではない。
もし、いつか彼女が試験で行き詰まったら、家庭教師のまねごとぐらいはしてもいいかもしれないと思ったのだった。




