表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
95/101

言葉はいらない

視界の端で、黒い影が見えた気がした。

微かな違和感に、笑い声が止まる。

窓から外を覗き込む。

しかし、辺りに異常は見受けられない。


───気のせいか。


少し興奮しすぎたのかもしれない。

自嘲気味に首を振りながら、座席に深く身を預ける。


ふと、バックミラーに何かが映った。


白いシャツ、黒いエプロンを身に纏った───。


弾かれたように、後ろを振り向く。


だが、そこには何もいない。

車の後部と、流れる景色が映るのみ。


心臓は痛いほど脈動している。

私が支部に配属されるより前に、長く所属していた女。

支部でも上位の地位に君臨し、涼しい顔で敵対する者を屠る。

悠久の時を生きるように、姿を変えず、ただそこにいる。

あの支部にいる、もう一人の悪魔。


「化け物め……」

軽やかな気持ちは、いつのまにか鬱屈していく。

目をつむり、眉間を揉む。


───だが、それも。


口元にまた笑みが浮かぶ。

白瀬 灯と共に滅びてしまえ。



がくりと車が大きく振動する。

驚きながらも、車窓から外を見ると、道路から外れ路肩を走っていた。


「どこを見ているんですか、ちゃんと運転をしなさい!」

運転席に座るスタッフを怒りに任せて怒鳴る。

しかし、スタッフは背筋を伸ばしたまま微動だにしない。


───手を膝の上に置いたまま。


助手席から伸びる腕が、ハンドルを操作している。

「あぁ、失礼。こちらから運転することに慣れていないもので」

その腕の主が、穏やかに答えた。


後部座席に身を乗り出すように、女が振り返った。


「は、House Keeper……」

口には穏やかな微笑み。

だけどその目は、ギラギラと獲物を見つけた獰猛な獣のように輝いている。


───どうやって。


声にならず口だけがパクパク動く。


「そちらが始めておきながら勝手に退場は、ちょっと虫が良すぎるのでは?」

House Keeperはグイッと乱暴にハンドルを大きく切った。

右に、左に。


大きく揺れる車。

その動きに逆らえず、窓に強く頭をぶつけた。


運転席のスタッフは、グラグラと体を振り子のように揺らし、そして助手席の方へ倒れた。

胸にはシェフナイフが刺さっている。

私に訴えかけるように見開かれた目。


───次はあなたの番だ。


「───ひっ!」

その結末を悟り、House Keeperから少しでも離れようと、隅へ身を寄せる。


不意に、軽い浮遊感。

そして、突然の衝撃と激しい音。


上も下も、右も左も分からなくなるほど、車内でかき混ぜられる。


痛みに顔をしかめながら、瞑った目を開ける。

車の天井は足元にあり、座席は天井にある。


どうやら、車はひっくり返ったようだ。


車内を見るが、息絶えたスタッフがいるだけでHouse Keeperはいない。

割れた車窓から逃げるように外へ出た。


そこは、私の支部が見える道路の上。

あれだけ離れたのに、また私は戻ってきたのか。


呆然と支部を見る私の背に、衝撃が走る。

無様に地面へ縫い付けられる。


首だけをどうにか動かして背後を見ると、片足で私を踏みつけるHouse Keeper。

すっと、支部のあるビルを指さす。


「あそこに、我が主がいる」

冷たい視線を私に向けたまま。

「その主を、お前は殺そうとした」

その手には鋭いシェフナイフが一振り、陽光に反射してギラリと光る。


嫌だ、私はまだ───。


「House Keeper───!」

悲鳴のような声で、名を呼ぶ。

だが、House Keeperの手に握られたそれは、躊躇なく私に振り下ろされた。

「弁解も、釈明も、言葉はいらない。お前の存在が、既に罪なのだ」

口から溢れる血の塊。

息と共に、吐き出される泡。

「お前の命をもって、贖いとしろ」


───あぁ、ここまでか。


薄れる意識で、支部を見る。


───だが、House Keeper。お前の大切な主は、もう。


黒く染まる視界。

だが、口には笑みが浮かぶ。


───どんな顔をするのか、見ることができないのが残念だ。


楽しくてたまらない。

安堵した顔が。

勝ち誇った顔が。

House Keeperの歪んだ顔を想像するだけで。

意識が闇に染まる寸前まで、私は胸の内で笑った。




事務スタッフのトップに刺したシェフナイフの柄から手を離す。


───あぁ、真様。やっと……。


その死を捧げるように、胸に手を当てる。

仇敵を倒した。

それでも、私の心は晴れることなく、どろりとした黒い感情が残っている。


「よかった」

口の中で呟く。

お嬢様に、どす黒い復讐に塗れる私を見られなくて。

お嬢様が、この役目を担わずに済んで。


それだけが、私の心をほんの少し軽くさせた。


支部に向かおうと事務スタッフのトップから離れようとした時、その死に顔が目の端に留まった。


恐怖でもなく。

悔恨でもない。


口元に浮かんだ歪んだ笑み。

その笑みが私の胸を大きくざわめかせる。


無意識のうちに私の足は走り出していた。

嫌な予感が私の中で駆け巡る。


もう支部は目に見えているのに。

そこに至る道が遠く、流れる時間がとてつもなく遅く感じる。


そんな私の焦りを嘲笑うかのように、地の底から響く振動。

グラグラと揺れる支部。

崩れ落ちる瓦礫。

割れた窓ガラスが、鋭い雨となって地面へ降り注ぐ。


「お嬢様ぁ!」


思わず叫ぶ。

聞こえるはずがない。

だけど、叫ばずにはいられなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ