紫煙は再び弧を描く
意識が覚醒していくのが分かる。
急浮上していくような感覚。
それと共に、不安定だった四肢に血が通っていく。
目を開ける。
もう見慣れた天井。
横には、穏やかな寝息を立てて眠るお嬢様。
時計を見ると、いつも起きる早朝の時間。
お嬢様を起こさぬように、そっと体を起こし毛布を畳む。
朝食を作るべく、足音を立てぬようにBARへと向かった。
カウンター内にあるシンクに、琥珀色が少し残ったロックグラスと、タンブラーが一つずつ。
私が眠りにつく頃には無かったもの。
その二つに、昨夜なにがあったのかと思いを馳せる。
たぶん、お嬢様は───。
そのぬくもりに私も触れたくて。
そっと、そのタンブラーの飲み口をなぞる。
その深夜の光景を思い浮かべながら、自らの口が緩やかな弧を描いていくのに気付く。
大きな物音を立てないように、朝食の準備をしていると、倉庫の方から気配を感じた。
「おはようございます」
手を止めず、振り向くことなく、その気配の主に向けて挨拶をした。
「……おはよう」
その声に、ほんの少し生気が感じられ、心の中で少し安堵した。
「嫌いなものはありませんよね」
「あぁ、問題ない」
気配の主───ヒーローが答えながらカウンター内へと入ってくる。
そこで初めて、手を止めヒーローの方を向く。
「どうされましたか?」
「いや、なにか手伝うことはないかと思って」
後ろ頭を掻きながら、少し気まずそうに答える。
「……そう、ですね」
その言葉に驚きながら、しばらく思案する。
してもらう事はそう多くない。
だけど、その言葉に応えたい。
「洗い物が出ますのでその処理と、飲み物の準備をして頂いてもよろしいですか?」
それぞれが飲むものをヒーローへと伝える。
ヒーローは不満を言うことなく、私の指示に従ってくれた。
私の料理をする音、ヒーローが準備をする音がBAR内に響く。
「灯お嬢様は、不思議な方でしょう?」
料理の手は止めず、呟くようにヒーローに言った。
「……」
ヒーローは無言で返す。
「なにも知らない、私達のような力を持ってもいない。それでも、失う痛みを、孤独の辛さを、無力の絶望を、誰よりも知ってらっしゃる」
ヒーローの手が止まった。
「だから、手を差し伸べる───差し伸べてしまう」
料理の手を止め、私はヒーローへと向いた。
ヒーローは無言のまま、シンクに手を突き、ただじっと俯いている。
「あの方の剥き出しの言葉に触れると、言いようのないものが込み上げてくる。……ヒーロー、貴方”も”それを感じたのではありませんか?」
思わず、自らの胸に手を当てる。
未だ、我が胸に仄かに灯るもの。
それを確かめるように。
ヒーローの手が微かに震えている。
「きっかけは何であれ、貴方は立ち上がった。そして、歩き出した」
その胸に灯る熱を抱えて。
「そう、だな」
ヒーローの目が瞑られる。
静かに、だけど深く呼吸をする。
なにかを咀嚼するように。
なにかを胸の奥に押し込もうとするように。
「貴方は、まだこれからでしょう?」
ヒーローの目が開かれる。
目の前を見つめているようで、その遥か先を見ているような。
「あぁ、そうだ」
その瞳が何を見つめているのか、私には分からない。
だけど、そこには確かな光が宿っていた。
「悪いな、気を使わせちまった」
少し気まずそうに、後ろ頭を掻きながらヒーローはポケットを探る。
手慣れた手つきで、タバコを取り出し、一本口へ咥える。
「いえ、構いません。それと───」
ヒーローのその先の動きを制するように、声をかける。
「お嬢様の前では吸わないように」
少し大げさに、口を歪ませ笑って見せる。
そんな私の顔を見て、少しきょとんとして───。
「そうだな」
にぃ、とヒーローは歯を見せ笑った。
少しぎこちなく。
だけど、それはヒーローの笑みだった。




