抗う参列者
扉を開け、外に出る。
どろりとしたような、体にまとわりつくような空気。
漂ってくる、甘い花のような香り。
BARの入り口から地上へと続く階段を見上げる。
照明でぼんやりと照らされたそれは、まるで絞首台に続く階段のように思えた。
喉が鳴る。
覚悟を決め、ゆっくりと階段を登っていく。
いやに響く、自分の足音。
階段を登り切る。
途端、漂ってくる血と硝煙の匂い。
そして一層強くなる甘い香り。
ほんの数メートル先に、踊り子のような薄い衣を纏った女が立っていた。
薄いフェイスベールで顔は隠され、表情は読み取れない。
だが、なぜだか笑みを浮かべているのがわかる。
肌が粟立つ。
私の中のなにかが、最大限の警鐘を鳴らす。
───あれは、ダメだ。
異質な存在。
治癒能力が高いとか、鉄でも切り裂ける力を持っているとは訳が違う。
肌で感じる気配。
私達とは格が違う。
そう、”ヒーロー”と同じような説明できない能力を持った存在。
思わず後退りしそうになる足を、気力で止める。
私の胸に宿る小さな灯火が、背中を押してくれる。
懐からシェフナイフを取り出し、構える。
刃先が微かに震えている。
レッドキャップと昔戦った時でさえ、感じなかった。
こんなにも相手が怖いと思ったのはいつぶりだろうか。
脳裏に、真様の姿が思い浮かぶ。
大柄な鍛えられた肉体。
全てを打ち砕き、圧殺するように振るわれる腕。
暴力の塊のような存在。
ふ、と思わず口元に笑みが浮かんだ。
確かに、真様と相対した時も怖かったな……。
いつの間にか、刃先の震えも収まっていた。
息を一つ、大きく吐く。
女がゆっくりと動き出す。
舞うように、ゆらりゆらりとステップを踏みながら。
静かに近づいてくる。
私はただ、構えたまま集中する。
細く、鋭く。
多くはいらない。
ただ、必殺の一撃を繰り出すために。
女は動じることも、構えることもなく、艶やかに、たおやかに近づいてくる。
汗が頬を伝い、流れる。
心臓は早鐘のように体に鳴り響く。
その心臓から吐き出される血は冷たく、私の頭をクリアにする。
一歩、もう一歩、女は近付く。
あと少しで私の間合いだ。
ギシリと、シェフナイフの柄が悲鳴を上げる。
女は武器を持つこと無く、警戒もすることも無い。
見惚れるほど美しく、そして悍ましく感じる。
もう一歩、女の足が私に向けて踏み込もうと片足をあげ、地面に着こうとする、その瞬間。
───今!
引き絞られた矢が放たれるように。
隠れていた獣が、獲物に飛び掛かるように。
私は女に向かって踏み込み、シェフナイフを振るった。
順手に持ったシェフナイフの軌跡が吸い込まれるように女の首に向かっていく。
躱されることなど想像できないほど、会心の攻撃。
シェフナイフの刃先が女の首に触れた。
私の手に伝わる、女の柔肌の感触。
ほんの一瞬が、引き延ばされる。
そんな時間の中で、私は確かに見た。
フェイスベールに透けた、女の顔を。
笑っていた。
幼子の悪戯を諌めるように。
掌の上で抗う者を慈しむ、神のように。
女は、笑っていた。
するりと、シェフナイフから感じる手応えが無くなった。
目の前にいたはずの女はおらず、私の攻撃は空を切っていた。
まるですり抜けたかのように、女は私の横に肉薄している。
女が顔を近づける。
甘い、甘い、花のような香り。
ふっと息遣いのようなものを感じた。
言いようのない恐怖に、身の毛がよだつ。
体制が整わないまま、無理やり女から弾かれるように離れた。
女は気にすることなく、踊り続ける。
激しさを増しながら、くるくると。
その舞を見ながら、息を吹きかけられた自らの首元を触る。
ぬるりとした感触。
手を見ると、血に塗れていた。
「あっ───」
女の足が、終わりを告げるように強く地面を踏み鳴らした。
時間が再生されたかのように、勢いよく首元から血が溢れ出してきた。
強く傷口を抑える。
だが、指の隙間から血は溢れ続ける。
傷を抑え跪く私を、気にすることなく女は空へと高く手を掲げる。
祈りを捧げるように。
なぜだか、体が動かない。
その祈りの参列者と化し、動くことが許されないのか。
血は流れ続ける。
生温かいものが指の隙間からこぼれ、私の体から熱が流れていく。
まるで私の胸に宿った、灯火ごと。
視界が滲む。
もう私に興味を失ったかのように背を向け、地面に膝を突き祈り続ける女。
その背中を睨むように見ながら、動かぬ体で私も願う。
あぁ、どうか。
今一度、私に力を。
お嬢様に害なす相手に一撃を入れられる力を。
その願いは果たして、叶うのだろうか。
黒く染まっていく視界。
ぼんやりとした思考。
それでも───願わずにはいられなかった。




