序曲は静かに鳴り響く
車が、赤信号で止まった。
横断歩道を渡る人並。
その中に一際目立つ存在があった。
赤い栗毛の、男の子。
首元にフリルのついたシャツ、肩に短い黒いケープを羽織っている。
サスペンダーのついた、黒い半ズボン。
ふくらはぎまである白いソックスに、質のよさそうな黒い革靴。
貴族の子供のような出で立ち。
ただ、その手にある白い手袋は、煤がついたように少し汚れているように見える。
まるで、何度も火に触れてきたかのように。
それは汚れというより、焼き付いた痕のようにも見えた。
そんな特徴的な男の子なのに、行き交う人々は目に留めることなく過ぎ去っていく。
その子が、車のちょうど前でピタリと足を止めた。
演劇のようにゆっくりとした動作で、車の方を向く。
口元には柔らかな笑み。
モノトーンの服装に、明るい顔だけが浮かび上がるような違和感。
クリクリとした瞳の奥にゆらりと、炎のようなものを感じる。
その異質さに、思わず横にいる喜伊さんの服の裾を握ってしまう。
喜伊さんは庇うように、その子の視線から私を隠す。
「心配すんな」
助手席で寝転んだまま、レッドキャップが言う。
その一言で、張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ。
「え?」
間の抜けたような私の声に返答することなく、レッドキャップは起き上がり、赤いキャップを被る。
「アタシの客だ、先に行ってろ」
返事を待つことなく、車の扉を開けて外へと出た。
「大丈夫なのかな?」
あんなに酷いケガをしていたのに、もう戦えるのだろうか。
そんな気持ちが含まれている言葉に、喜伊さんは私の手をそっと握って答えてくれる。
「分かりませんが……私はレッドキャップが死ぬことが想像できません」
車の中から二人でレッドキャップと、男の子の行く末を見守る。
信号が青になった。
車は二人を避けるように通り過ぎる。
男の子は私達を一瞥することなく、目の前のレッドキャップを見つめている。
通り過ぎながら見るレッドキャップの顔は、いつも通り楽しそうな笑みが浮かんでいた。
体ごと振り返り、リアガラスから二人を見ようとしたが、まるで消えたかのようにいなくなっていた。
仲間ではないかもしれない。
だけど。
後ろを向きながら、胸に手を当てる。
どうか、無事に帰ってきて。
声には出さず胸の内で、そう願った。
逢魔が時。
もう人気がほとんどない、公園の一角。
ほんの二、三歩の距離で、アタシ達は相対していた。
「よお、久しぶりだな。まさか、こんなところで会えるとは思わなかったぜ」
アタシの言葉に、目の前のヤツは肩をすくめた。
「追いかけても、キミは方向音痴だからね。どこに向かっていったのかすら分からない。フォルトゥーナ───運命の女神でさえもキミを御しきれないだろうよ」
その独特の言い回しに、思わず鼻で笑う。
「そんなクソみたいなものでアタシを縛れるかよ」
そう言いながら、腰に下げたモノを撫で上げる。
「それで、お喋りしにここへ来たわけじゃねぇんだろ?」
威嚇とも言える動きを意に介すことなく、柔和な笑みを浮かべている。
「因果、宿命、業、運命……なんとでも言えるね」
その言葉遣いにイライラする。
「回りくどいな、復讐に来たって言えばいいじゃねぇか」
その言葉に、初めて目の前のヤツの顔が少し曇った。
「そんな陳腐な言葉で、ボクを穢さないでくれるかな。とても不快だ」
周囲の温度が一段下がったような気がした。
だが、その中心にいるヤツの周囲だけは、逆に熱を帯びて揺らめいている。
「ヒヒッ、格好つけるなよ。一皮むけばアタシもお前も血袋なんだからよ」
そうだ、もっと怒れ。
感情をむき出しにしろ。
そのキザったらしい笑顔の仮面なんか脱いじまえ。
そんな思いをこめながら、笑ってやる。
「アタシの前に立つってことは、どういうことか分かってるんだろうなぁ、イグニス」
腰に下げたナイフと、手斧を抜き放った。
「分かってるさ、レッドキャップ。分かっているからこそ、ボクは求めに応じ、ここに立っている」
目の前のヤツ───イグニスが手のひらから滑り出るようにレイピアを取り出した。
「さぁ、長い長い幕間は終わりを告げた。待ち望んだ再演だよ、レッドキャップ。パ・ド・ドゥを踊ろうか」
レイピアの刃先をアタシに向ける。
チリッと熱のようなものが、アタシの頬を撫でた。
イグニスの周囲に、青い炎のようなものが浮かんでは、弾けて消える。
その物言いに、思わずアタシの背筋に悪寒が走った。
その声。
その笑み。
その言葉遣い。
───あの頃となにも変わらない。
「気持ちわりぃ。お前のそういうところ、嫌いだぜ!」
唾棄するように吐き捨てて、アタシはイグニスに躍りかかった。
踊りたければ踊ってやる。
それがどちらかを死に誘う舞踏だとしても。
アスファルトを蹴るブーツの乾いた音が響いた。




