手のひらのぬくもり
ガチャガチャと食器同士が当たるような甲高い音。
なにかを言い合うような声。
そんなリビングから聞こえる騒がしい音で目が覚める。
不思議に思いながらリビングのドアを開ける。
「よう、ねぼすけ。ねしょんべん垂れてねぇか?」
意地悪気な笑みを浮かべながら、朝食を食べる包帯だらけのレッドキャップ。
「え……、もう起きていいの?」
あんなに瀕死だったレッドキャップが、何事もなかったかのように朝食を頬張っている姿に驚く。
「言っただろう? 寝れば治るって」
ヒヒッと得意げに笑う。
「おはようございます、お嬢様」
喜伊さんはレッドキャップを気にすることなく、私の前に朝食を並べてくれる。
「おう、アバズレ。おかわり」
空になった皿を、ぶっきらぼうに喜伊さんに差し出す。
喜伊さんの片眉がわずかに上がった気がした。
「……遠慮というものを知らないんですか?」
皿を受け取りながらも、皮肉のように言う。
「なんだよ、たくさん食べた方がハウスキーパー冥利に尽きるだろ?」
皮肉も通じず、眉を顰めるレッドキャップ。
呆れたようなため息をついて、喜伊さんは台所へと向かった。
そんなレッドキャップを、ついまじまじと見てしまう。
「おじょうさまもなんか文句あんのかよ」
首を振る。
「本当に、不思議だなって。だって、あんなにも───」
昨日の血まみれで倒れるレッドキャップを思い浮かべる。
同一人物とは思えないほどの姿だ。
「くたばりそうだったのにってか」
私の言いたかった言葉を、代弁しながら笑う。
「アバズレから”アタシ達”のことをまだ聞いてねぇのか」
コップに入った牛乳をぐびぐび飲みながら言う。
アタシ達、という言葉にドキッとする。
知っているようで知らない、喜伊さん達のこと。
「う、ん。回復力は凄いみたいなことは聞いたけど……」
コップをテーブルに音を立てて置きながらレッドキャップは首を振る。
「なにを勿体ぶっているんだ、アイツは。仕方ねぇなぁ」
そう言いながら、レッドキャップは人差し指でちょいちょいと私に顔を寄せるように合図する。
「アタシとアバズレはな───」
レッドキャップによってつまびらかれる秘密。
私は息をするのも忘れ、レッドキャップの言葉を聞いていた。
ドンッとレッドキャップの声を遮るように、勢いよくテーブルにお皿が置かれた。
思わず見上げると、表情の硬い喜伊さんが立っていた。
「レッドキャップ、余計な事をお嬢様に吹き込まないでください」
私の肩をそっと掴み、レッドキャップから離そうとする。
「なんだよ、人がせっかく親切に教えてやろうと思ってたのに」
邪魔をされたことに不機嫌になりつつも、出されたお皿を引き寄せ、また食事を再開する。
「物事には順序があります。まだ、それは───」
そこで喜伊さんの視線と私の視線がぶつかる。
「教えられないの?」
私の言葉に、喜伊さんは狼狽えるように目を逸らす。
「……少なくとも今ではありません」
申し訳なさの入り混じった小さな声。
「今じゃない。後で。そのうち。また今度───」
呟くように、レッドキャップは言葉を並べていく。
「アバズレよぉ、アタシ達に”次”はあるのか? その確証はどこから来てんだよ」
手に持ったフォークで喜伊さんを指す。
「そんなに悠長なことを言ってると、大事な時になにも残せなくなるぜ」
その言葉に、喜伊さんはなにも言い返すことなく、ただ黙っていた。
「喜伊さん、私も知りたい」
俯く喜伊さんの横顔は、険しいままだ。
レッドキャップはなにも言わず、ただ促すように喜伊さんを見つめる。
「……かしこまりました」
俯きながら、絞り出したかのような声。
「ですが、私も気持ちを整理させる時間をください。今夜、必ずお話ししますから」
喜伊さんは私を見ることなく、台所へと逃げるように向かった。
朝のやり取りを終えて、喜伊さんの口数はいつも以上に少なくなった。
レッドキャップの軽口にもほとんど反応を見せず、レッドキャップはつまらなそうに口を歪めていた。
私も急かすことなく、喜伊さんが話してくれると約束してくれた夜を待った。
その話が私達の行く末に、どう関係するのか。
どろりとした不安が、胸に溜まっていくのを感じながら。
夕食を終えた後、喜伊さんに声をかけられて、向かい合って座った。
レッドキャップは縁側で頬杖を突きながら横になって、私達を見ている。
喜伊さんの顔は、決意を固めたかのように硬く感じられる。
「お嬢様。レッドキャップは、人間だと思いますか?」
居住まいを正した喜伊さんが私に問いかける。
「え?」
その唐突な問いかけに、私は聞き返すように声を上げてしまう。
ちらりと、縁側にいるレッドキャップを見る。
あんな瀕死な状態であるにも関わらず、翌朝には何事もなかったように動く。
少なくとも普通ではない。
「マリオネットはどうですか? サタンは?」
戸惑う私に構わず、喜伊さんは疑問を投げかける。
「それは……」
闇の中を滑るように動き、鋭い爪を持ったサタン。
体の中に機械のようなものが見え、およそ人間らしい感情を持ち合わせていないマリオネット。
思い返してみても、二人とも普通の人間とは言い切れない。
「そのようなものが、なんの因果か生じてしまった。それを見つけ、囲い込み、争わせる。それを娯楽として楽しんでいる者達がいる」
喜伊さんの表情は冷たいまま、ただ淡々と説明している。
その声におよそ感情と呼ばれるものは込められていなかった。
「まぁ、ちょっとお高い見世物小屋みてぇなもんだ」
縁側からレッドキャップが笑いながら茶々を入れるが、喜伊さんの表情は変わることはない。
「様々な思惑や、アイデンティティによる宿命。生じた者達と、利用する者達。それぞれの利害が合致した───」
喜伊さんの言葉に理解が追いつかず、思わず声を上げた。
「ちょっと、待って……よく分からないよ」
私の言葉に、喜伊さんはゆるゆると首を振る。
「分からなくて当たり前なのです。そんなものと関わることなど、本来であればありえない」
喜伊さんの視線が私から外れ、自らの手に落ちる。
「なぜ、生まれてしまったのか。なんの為に生きているのか。そんな世界との疎外感を感じている存在」
喜伊さんの手がきつく、握りしめられる。
「それが”私達”です」
不意に上がった喜伊さんの視線と、私の視線がぶつかる。
喜伊さんの瞳は揺れ、口は微かに震えている。
なにかを恐れているように。
「喜伊、さんも……?」
私の言葉に、喜伊さんの顔色が曇る。
何度か言葉を紡ごうと、喜伊さんの口が開いたり閉じたりする。
「……そうです」
絞り出したかのような、小さな声。
その言葉を発した喜伊さんの口から、重いものを吐き出したかのように吐息が漏れた。
「そんな、だって喜伊さんは」
普通、と言いかけて止まる。
包丁を操り、人間離れをした動きを見せる喜伊さん。
なんの変哲もない包丁で、ガラスや金属を食材のように切ることができる。
達人、というにしては異質だ。
なにより───。
喜伊さんの顔をまじまじと見る。
私が物心つく頃から何も変わらない。
何一つ。
皴一つ増えず。
「……そういうことです、お嬢様。私達が生きづらいこの世の中で、組織は生きやすい場所を提供してくれている。ある意味、私達のようなはみ出し者達にとっては救済者でもあります」
そこで言葉を切った。
目を閉じ、今までの事を思い返すように。
「じゃぁ、悪い人達でもないってこと?」
私の言葉を噛み締めるように、喜伊さんは口を閉じる。
縁側の方でレッドキャップが鼻で笑うのが聞こえた。
「そう、ですね。ですが、それは人としての幸せを犠牲にして成り立っています」
なにを思い返しているのだろうか。
私には分からない。
「その組織の中で生きる為には、争い続けないといけない」
レッドキャップが言った見世物小屋という言葉。
一体、その代償としてどれほどの苦痛を過ごしてきたのか。
喜伊さんの表情が、辛かっただろう過去を感じさせる。
「それを止め、人としての、贅沢ではない平凡な幸せを追い求めると───」
目を開き、私を見つめる。
その悲哀に満ちた瞳。
「粛清が待っているだけです」
涙がこぼれそうなほどうるんだ瞳。
───粛清。
父さんの最期を思い返す。
心臓が大きく跳ねる。
思わずそれを抑えるように、手を胸にあてた。
喜伊さん達は、普通ではなくて。
それを保護する代わりに争わせ、見世物にしている。
そこに人としての幸せはなくて、ただ戦いだけの日々。
それを止めてしまうと粛清される。
震える唇を固く結んだ喜伊さんを見つめる。
「それなのになんで、喜伊さんはそこまで私達の為に……」
言葉が続かなかった。
喜伊さんの答えを聞くのが怖かったのかもしれない。
「真様との契約、と言えば簡単なんですけど───」
言葉がそこで途切れる。
喜伊さんが私を見る目。
なにかを確かめるように、喜伊さんの手が、そっと私の頬を撫でた。
幼い頃から変わらない、柔らかく優しい手。
「なんででしょうかね」
いたずらっぽく笑いながら、でもその瞳には慈愛のようなものが滲んでいた。
始まりは契約だったのかもしれない。
だけど、今はそれだけではない。
喜伊さんが、普通の人間でなくても。
幼い頃から私を守ってきてくれた存在。
今までも、これからも。
その掌の温もりだけで、十分だった。
そんな私達を見ながら、レッドキャップは小さく笑った。
少し小馬鹿にするように、だけど眩しそうに。
自分とは違う生き方をする存在に少しだけ羨ましそうに。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
初めて灯に少し明かされる、喜伊達の秘密。
そして、組織の成り立ち。
それを知った灯は何か変わるのか。
それとも変わらないまま、進んでいくのか。
読んでくれた方が、この続きを少しでも楽しみにして頂ければ幸いです。




