覚悟を預かって
手に最低限の荷物を持ち、お嬢様の手を引きながら山を駆け降りる。
───逃げた先になにがある?
レッドキャップの声が頭に残る。
分かっている、この行動は延命にしかならないことも。
───逃げた先は破滅しかない
それも知っている。
だが、レッドキャップ。破壊しか知らないお前に、私のなにが分かる。
思わず奥歯を噛み締め、軋む音が鳴る。
「待って……喜伊さん───」
私に手を引かれながら、つんのめるように走るお嬢様。
知らず知らずのうちに、お嬢様の事を考えずに走っていた。
「申し訳ございません」
立ち止まり、お嬢様の息が整うのを待つ。
耳を澄ませると、遠くで命の燃える音がする。
組織はレッドキャップの邪魔をしてしまった。
レッドキャップは、なによりそれを嫌う。
今、その代償を払わされていることだろう。
時間は稼げるはずだ。
「喜伊さん」
荒い息を整えながら、お嬢様が私を見る。
その瞳に問われている気がする。
このまま逃げ続けるの? と。
心が揺れる。
このまま手を取って、次の安息地へと向かうのか。
それとも、共に死地へと進むのか。
「私───」
お嬢様の言葉に、喉が鳴る。
「逃げる為に、ここに来たの?」
小刻みに震えるお嬢様。
「逃げ続ける為に、生きているの?」
震える体とは裏腹に、まっすぐな瞳。
「その為に、私はこの選択肢を選んだわけじゃない」
両手を固く握りしめ、胸に抱く。
「お願い、喜伊さん……」
皮膚が裂けるのではないかというほど、お嬢様の手は強く握りしめられている。
「私の、私の為に───」
次の言葉を発しようとする口。
言葉を出そうと必死に喘ぐ、その顔。
「───私の敵を、倒して」
お嬢様の言葉は、私の胸に火を灯し、それと同じぐらい影を作った。
初めてお嬢様が明確にした言葉。
鹿を殺せと、私が選択を迫った時とは違う、自分の言葉。
それが意味することを知ってなお、願う。
その思いに、その願いに、私の体が震えた。
───ここに欲望があるだろ? お前をお前たらしめるものが。
脳裏をよぎるレッドキャップの言葉に、思わず胸に手を当てる。
早鐘のように打たれる私の鼓動。
そうだ、これこそが。
未だ握りしめ続けるお嬢様の手を、そっと両手で包む。
そこにある灯火を、私も確かめたくて。
「かしこまりました、灯お嬢様。露払いは、この喜伊にお任せを」
殺して、と言わないその優しさ。
その優しさごと引き受けましょう。
お嬢様は決断を、私は願いの遂行を。
お嬢様の手を引き、来た道を戻る。
私達が通ったことにより、獣道が開かれている。
私にはそれが、引き返せない道のように輝いて見えた。
事務スタッフのトップの机の上の電話が鳴る。
そこに表示される番号を見て、訝しげに思いながらも受話器を取った。
「どうしましたか? 何か問題でも?」
暫くの無音。
その異様さに眉を顰めていると───。
「あぁ、大問題だな」
受話器から聞こえてくる少女の声に、思わず背筋が伸びる。
「な、なぜ、あなたが……」
ヒヒッと楽しそうに笑う少女───レッドキャップ。
「やってくれたなぁ」
まるで子供の悪戯を暴く大人のように、レッドキャップは意地悪気に言う。
「これは、誤解です。その者たちはあなたを補佐するために……」
嫌な汗が背筋を伝う。
「あぁ、そうだな、誤解だ。お前たちはアタシを誤解している」
頭の中で、なにが起きたのかと混乱し、思考がまとまらない。
ただ、分かるのは、私の手配によって最悪の事態になってしまったということだけ。
「誤解して、ナメている。アタシを御することができると。首輪がはまっていると安心している」
受話器を通して話しているはずなのに、まるですぐ耳元で囁かれているような錯覚。
「言ったよなぁ、邪魔をするなって」
もうレッドキャップの笑い声は聞こえない。
聞こえてくるのは、悪魔の囁き声。
「聞いてください、私は───」
私の言葉を遮るように、冷たく鋭い声が響く。
「言葉は、いらねぇ。お前に残っているのは贖いだけだ」
その冷たい言葉に、心臓が掴まれる。
「私、は」
その言葉はレッドキャップに届くことなく、通話が終わったことを知らせる規則正しい音だけが残った。
その音は、まるで処刑台の階段を上らされる足音のように聞こえた。
───私は、間違ってしまったのか。
受話器を置くこともできず、耳に当てたまま呆然とする。
固いブーツが床を叩く音が、聞こえるような気がした。
契約を破られた悪魔はどう動くのか。
ただ、その恐ろしさに身を震わせることしかできなかった。




