私とアタシ
庭の縁側に座り、昨日の事を考える。
いまだに残る掌の感触。
鹿の瞳から命が消える光景。
柱に身を預ける。
自らが整えた庭。
穏やかに吹く風に、なびく草花。
森から聞こえる鳥の鳴き声。
こんなにも、この世界には命が溢れているのに。
たった一つの命に、私の心は苛まれる。
「私は、どうすれば良かったのだろう」
呟きは風に乗って、運ばれていく。
「よう」
聞いた事のある声。
「え?」
声のする方を見ると、この場にそぐわない少女が立っていた。
「なに、しけたツラしてんだ」
目深に被った赤いキャップで顔が隠され、口元しか見えない。
その口を大きく歪め、笑う。
「なんで……」
いるはずのない存在。
あり得ない光景に、思考が追いつかない。
「アバズレは───」
そう言いながら、私の後ろを見て、嬉しそうに笑う。
「いるじゃねぇか」
振り返ると、いつの間にか喜伊さんが立っていた。
「レッドキャップ」
冷たく重い声。
手はすでに懐に納められている。いつでも抜けるように。
「遠かったぜ、どんだけ逃げてんだよ」
そんなことは気にせず、近づいてくる。
固いブーツが、耕した畑を気にすることなく、踏みにじっていく。
「こんなところで、隠れきれると思ったか?」
レッドキャップは歩みを止めない。
「まあ、無理だろうな。いずれ見つかる」
私達の目の前でその足を止めた。
「また、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて……」
喜伊さんは庇うように私の前に立った。
「その逃げた先になにがある? お前は満足なのかよ」
レッドキャップは腰に下げたものに触る事無く、ただつまらなそうに言う。
「なあ、どこに行くんだ。お前は何を求めている?」
チラリと私を見た。
「そのガキさえいればいいのか」
その冷たい瞳に、私の背筋が凍る。
「お前はなんだ。ハウスキーパー? 違うだろ!」
初めてレッドキャップは声を荒げた。
「アタシと同じだ、そうだろ?」
喜伊さんは首を振る。
「違う、私はハウスキーパー───」
その言葉に被せるようにレッドキャップは言い放つ。
「違わないね! アタシと同じだ」
自分の胸を握り締める。
「ここに欲望があるだろ? お前をお前たらしめるものが」
なぜ分からないんだ、とレッドキャップの口が歪む。
「素直になれよ。もっと自分に忠実になれ」
一体レッドキャップは、喜伊さんのなにが分かるのだろうか。
喜伊さんになにを求めているのか。
「レッドキャップ。私はハウスキーパーで、喜伊です。今までも、そしてこれからも」
その言葉にレッドキャップは舌打ちをする。
「自分を取り繕うんじゃねぇ、ごまかすんじゃねぇ! お前は───」
そこで、レッドキャップの動きが止まる。
喜伊さんの顔も、森の奥へと向いた。
「───あの、クソどもがぁ」
レッドキャップの顔が怒気に歪む。
悪態をつきながら、レッドキャップは振り返り、森へと進んでいく。
「おい、アバズレ」
足を止め、振り向く事無く、レッドキャップは言葉を続ける。
「逃げた先には何もない。偽りの先には破滅しかない。自分がどういう存在なのか、よく考えておけよ」
それだけ言って、レッドキャップは返事を待つことなく森へと消えて行った。
喜伊さんはなにも言わず、懐から手を出した。
「お嬢様、行きましょう。ここはもう、危のうございます」
私はただ頷くしかできなかった。
───逃げた先には何もない。
レッドキャップの言葉が、私の胸に重しのように残っていた。
森を切り裂くように走る。
「くそが、くそが、くそが、くそがっ!」
呪詛のように悪態が口からあふれる。
目の前に見えてくる複数人の人影。
驚いたように私を見る。
「アタシの邪魔をしやがって!」
近くにいた人間の、その顔面に、腰に下げた手斧を抜き、振り下ろした。
動揺が周囲に走る。
「おい、味方だぞ!」「なにをする!」と周囲がざわめく。
もう動かなくなった”それ”から手斧を抜きながら叫ぶ。
「うるせぇ! てめぇら、覚悟はできてるんだろうな!」
肉の感触がアタシの手に残る。
それが、たまらなくアタシを高揚させる。
───そう、これだ。
血が流れるたびに。
恐怖が蔓延するたびに。
アタシをアタシたらしめる。
「邪魔した分、楽しませろよ!」
狂ったように笑いながら、密集している者達へ躍りかかっていった。




