蠢く舞台裏
街の中心に建てられた高層マンション。
その中でも一番高いマンションの中に入り、手慣れた手つきで、エレベーターにカードキーを差し込む。
最上階まで動き続けるエレベーターの中。
今日の出来事の余韻さえも感じさせない静寂。
徒労と終わった今日の出来事を反芻する。
何も成せず、依頼も失敗に終わった。
倦怠感の中、ただエレベーターの回数が変わるランプを眺めていた。
到着を知らせる音と共に、エレベーターの扉が開く。
私のお気に入りの香りが、私の長い黒髪と、ドレスの裾を少しはためかせた。
豪華なラウンジと数人のメイドが私を出迎える。
待ちわびた子犬のように、タキシードを着た可愛らしい少年が駆け寄ってきた。
「おかえりなさい!」
ニコニコしながら私を見上げる。
今朝もかわいがった少年。
その笑顔が愛しくて拾ってきたが、今はそれがどうしようもなく悍ましく感じた。
だから───。
「えっ……!」
その眉間に爪をねじ込んだ。
信じられないものを見るように、自分の眉間に差し込まれたそれを見上げる。
その顔さえも疎ましく感じ、爪先で少し中を掻きまわす。
がくがくと痙攣をしながら、ずるりと少年は床へと倒れた。
───なんで?
そんな表情と、私の人差し指に赤いものを残して。
「片づけておいて」
その声に、控えていたメイドの一人が、手慣れた手つきで零れた血や、少年を片付けていく。
───あぁ。また、してしまった。
また、探さなくちゃいけない。
手近にあったタオルで指を拭きながら、そんなことを思う。
───最近では一番かわいかったのに、あの子。
……えっと、名前なんだっけ。
名前ももう思い出す事ない少年を一瞥する事なく、私はシャワールームへと向かった。
黒いドレスを脱ぎ捨て、シャワールームに入り、コックをひねる。
冷たい水が私の頭の上から降り注ぎ、長い髪を滑りながら、徐々に熱を帯びていく。
水が体を撫でるたびに、今日の出来事が脳裏に浮かぶ。
途中まではよかった。
予定通りに物事は進み、順調だった。
───あの男、ヒーローが出てくるまでは。
奥歯が鳴る。
手に持ったコックがぎしぎしと悲鳴を上げる。
「ぐぐぐ……」
口から漏れる獣のような唸り声。
怒り?
違う。
憎悪?
少し違う。
これは───。
シャワーの水滴が室内に響く。
「くくく……」
口から漏れる音は変わっていた。
シャワーの音にかき消されるほど小さな声。
それが徐々にかき消す側へと変わっていく。
「くく、ふふふ、あーはははははははっ!」
シャワーを浴び、空を仰ぎ笑う。
「あぁ、ヒーロー、ヒーロー、ヒーロー、ヒーロー、ヒーロー、ヒーローッ!」
狂ったように男の名前を叫び続ける。
「そうでなくちゃ! 最高よ! サタンの前に立ちふさがる、それでこそ、ヒーロー!」
宿命だ、と私を見ながら言った男。
「あなたが否定しても、憎悪しても、あなたはヒーローなのよ! ヒーローでなくちゃならない!」
ふらつく体を支えるように、壁に手をつく。
「私は待っているのに、早くその腕で、その剣で、私を───」
壁に突き立てた爪が、豆腐を裂くように沈み込んでいく。
「でも、今じゃなかった……もっと、あなたとは相応しい場所で……」
燃え上がるものを抑えるように、自らを抱きしめる。
「あぁ、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く、早く……」
堪え切れなかったものが溢れるように、自らの体に爪を突き立てる。
ヒーローの剣に切り裂かれる光景を想像しながら。
「私を、サタンを殺して!」
突き立てた爪が、自らの背中を切り裂く。
私の心臓に突き立てられる、ヒーローの剣を思い描きながら。
「そうよ、それが、ヒーローの宿命なのよ!」
恋する乙女のように熱く、情婦のように淫らに。
体は熱を帯びていく。
報告を受け、通話を切ったスマートフォン。
その消えた画面をじっと見つめる。
「なかなか、うまく物事が運ばないですね」
溜息をつきながら、スマートフォンを内ポケットにしまう。
電話から聞こえてきた、熱を帯びた声で報告してくるSATANの声。
背筋が凍るほど、情欲にまみれた声。
それを思い出すだけで、背筋に冷たいものが走る。
「私が、出ましょうか?」
背後から聞こえてくる声。
振り向くと、一人の男が立っていた。
何度も会っているはずなのに、すぐには思い出せないほど希薄な存在。
どこにでもいそうで、記憶にとどまらない顔。
「いえ、あなたが出るまでもありませんよ……まだ、ね」
頭の中で男の情報を探るが、それでも一致させるのに苦労する。
それほどまでに、男の存在は希薄だった。
口に手を当て、しばし考える。
───SATANとMARIONETTEではダメだった。
まさかHEROが介入してくるとは。
なんてことだ。
なんて───嬉しい誤算なんだ。
手の中で、口元が笑みで歪んでいくのが分かる。
机の上に無造作に広げられた書類に目を落とす。
なんの変哲もない、一人の少女の書類。
「白瀬 灯……白瀬 真とMr.SWORDの忘れ形見」
まさか、ここまで踊ってくれるとは。
その横にあるHouse Keeperの書類に手を伸ばす。
「さて、次はどうしましょうかね」
楽しくて、嬉しくて。
かみ殺す笑みが隠し切れず、体がわずかに揺れる。
後ろにいた男が、影も残さず立ち去ったことにも気づかぬほど、私は次の計画を思い描くことに夢中になっていた。




