静かなカーテンコール
私の喉に鋭い爪が突き立てられる。
ナイフのように鋭く、冷たい。
その爪が皮膚を破り、熱いものが流れた。
「───ッ!」
その恐怖に、思わず悲鳴から口が漏れる。
悲鳴に喜伊さんの顔が歪む。
とてつもない間違いを犯してしまったような、そんな後悔の感情。
高らかに笑う少女───サタン。
その笑い声の中、喜伊さんの手は力なく落ちた。
諦め。
悔しさ。
そして───。
その顔に、私は覚えがある。
昨日の事のように思い出す。
父さんの命が、尽きる寸前の顔。
その喜伊さんに、曲がった悍ましい腕を伸ばすマリオネット。
その表情は、なんの感情もなく、ただ命令を遂行するのみ。
───だめ、喜伊さん!
声にならない声を上げる。
喜伊さんはただ、運命を受け入れるようにマリオネットの伸びる腕を見つめた。
色々な感情がごちゃ混ぜになっている喜伊さんの顔。
その中に、ほんの少しの安堵がまざっているように見えた。
それがなによりも、私は怖かった。
───決して私より先に、死なないでください。
そんな喜伊さんの顔を見て、あの言葉が脳裏に浮かぶ。
喜伊さんは覚悟したのか。
私を少しでも生き永らえさせるために。
自分の命を捧げようと。
そう決めてしまったような決意。
そして、約束が守られたことの安堵。
違う!
喜伊さん、それは違う!
そんなの、私は嬉しくない!
声を上げようとする口は、ただ息を漏らすだけ。
その私の気持ちを裏切るように、すべては進んでいく。
私を残して。
───あぁ、お願い。私からこれ以上、奪わないで!
胸が熱く、苦しい。
小さかった灯火が、大火のように燃え上がる。
その炎は私からあふれ、私の瞳から熱いものが零れる。
それは頬を伝い、床へと落ちた───。
突如響いた、鉄がひしゃげる音。
その音に、サタンの笑い声が止まる。
その場にそぐわない、あまりにも現実的な音。
オーケストラの演奏の途中で、急に響いたかのような異音に、サタンが私を抱きかかえる手が緩んだ。
その隙を逃がさないように、闇が動いた。
「もう、やめろ」
サタンの手を掴む、闇から延びる傷だらけの手。
その言葉と共に、私は服を引きちぎられんばかりの力で、後ろに引っ張られた。
手加減も、優しさもない力。
手足を拘束された私は、大した受け身も取れず、もんどりうちながら転がる。
何が起こったのか分からないまま、顔を上げると、サタンの腕を掴み対峙する男がいた。
腕まくりされた黒い長袖シャツ。
深緑のカーゴパンツ。
後ろ腰には鞘に収まった無骨な剣。
サタンより少し高いだけで、背はそれほど高くない。
だが、腕は太く、胸板も厚い。
数字よりも、大きく感じるような男。
ただ、傷だらけだった。
頭には包帯がまかれ、隙間から黒い長髪が伸びている。
腕まくりされた太い腕も包帯がまかれていた。
包帯のない顔や、襟元から見える肌にも、火傷のような跡や縫合の跡が見える。
その異様さに、私は身を強張らせる。
───止めたからといって、味方とは限らない。
それでも、私はその状況を見守るしかなかった。
掴んだ手の持ち主を睨むサタン。
「ヒィーロォーッ! 私の邪魔をするなッ!」
激昂し、襲い掛かる爪を、傷だらけの男───ヒーローはかわし、サタンの腹に前蹴りを放った。
サタンは自分から後ろに跳ね、衝撃を和らげる。
「なんで、お前が……」
呟きのような言葉が、喜伊さんの口から漏れた。
ヒーローは、真新しい包帯の巻かれた頭を乱暴に掻いた。
「まぁ、なんだ。お前にはお前の宿命があるように、俺には俺の宿命があるんだよ」
ちらりと、転がった私を見ながら答えるヒーロー。
「勘違いすんなよ。俺は正義の味方じゃない」
にっと歯を見せ笑うその横顔は、獰猛な肉食獣のように見えた。
「喜伊さん!」
その私の声に、はっと我に返ったように喜伊さんは動く。
マリオネットの伸びる腕をかわし、私に向かって走る。
「させな───ッ」
止めようとするサタンの前に、ヒーローが壁のように立ちふさがった。
「……本当のヒーローにでも、なったつもり」
ヒーローの手が、腰に下げられた剣の柄にかかる。
「義を見てせざるは勇無きなり、なんて言うつもりはない───分かるだろ」
その言葉に、サタンの顔は一層怒りに歪む。
「お嬢様!」
永遠にも思えた数歩の距離を、飛ぶように駆け寄った喜伊さんは、私を強く抱きしめる。
「喜伊さん!」
抱き返せない代わりに、私は喜伊さんの頭に頬を寄せる。
「今、これを外しますからね」
そう言いながら拘束具に目を落とす。
私の動きで擦れ、血のにじんだ拘束具。
喜伊さんの顔が悲痛に歪む。
手に持ったシェフナイフを拘束具にあてる。
「喜伊さん、それじゃあ……」
カシュッと小気味いい音がして、鉄製だろう拘束具は真ん中からすっぱりと切れた。
「すいません、お嬢様。残りは、ここを出てから外しますので」
そう言いながら、足の拘束具も同じように切っていく。
「あ、ありがとう」
ふらつきながらも、喜伊さんの手を借りて立ち上がる。
「もう、いいわ……」
その様子を見ていたサタンがつまらなそうに、呟く。
「興覚めよ。せっかく面白いパーティだったのに。とんだドン・キホーテのせいで台無しだわ」
忌々しく、対峙するヒーローを睨む。
その言葉を聞いて、ヒーローも剣の柄から手を離した。
「あなた達と違って私達のハンニバル・バルカは来ないし」
そう言いながら、窓の向こうを見る。
「それに、あなた達と触れ合って、これ以上汚れるのは嫌だわ」
長い髪をかき上げながら、立ち去ろうと私達から背を向ける。
「あと、ヒーロー」
ふと足を止め、首だけで振り向いた。
「───私は、忘れない」
息が止まるほど、怖く。
そして、凍てつくほど美しい。
恋慕にも似た、激しい憎悪。
思わず、隣にいる喜伊さんの服を掴む。
「おう」
背中しか見えないヒーローが、どんな表情をしているのか、私には分からない。
それでも、当たり前のように簡単に返事をする。
その背中は、少し喜んでいるようにも感じられた。
逢魔が時にさしかかり、世界は薄ぼんやりと色を失っていく。
「チッ、なんだよつまんねぇな」
鉄塔の上でつまらなそうにレッドキャップは舌打ちをした。
「せっかく、面白くなってきたのに」
忌々しく、傷だらけの男を見る。
「もう少しだったんだけどなぁ、宝は龍の手に戻ったか……。だが、その折れかけた爪で、いつまで守り切れると思うなよ」
ハウスキーパーに寄り添うように立つ少女を一瞥する。
「ふん……」
つまらなそうに鼻を鳴らし、レッドキャップは夕暮れに溶けるように消えていった。




