第十三章 無縁 五話
便器から飛び出し、手にもション便塗れ。
その手で襟元を掴まれたオセロは、包容力があるかのようにハンカチで、ダージュの手と、襟元に着いたション便を拭う。
「あんたが困惑する理由は分かる。血管を切った出血死ではなく、手術中に抗血栓薬を投与され、切開された箇所からによる出血性ショック死だ。ルチンは今、副医学部長だ。近い内に文字通りの医学部長になるだろう。あんたは人に尽くし、己の存在価値を見出していたが、片やルチンは人の下に就く事を誰よりも嫌い、上に居る人間を憎む。自分自身が価値ある存在と諦めなかった。如何にもカースト制度を助長するような絵面なのが現状だ」
「黙れ! 人と人は支え合う事で共存できる! それが社会であり秩序だ! 私が今まで尽くすと言う意味を、私自身、履き違えた事はない! 人に尽くせば、未来はある!」
落ち着かせるように話すが、どこか他人事のように話すオセロ。
それに激怒したダージュは、手に力をさらに込める。
「いや、ないね。あんた自身わかってるはずだ。ソル元医学部長があんたを傀儡し、その足元を蹴り転がそうとしたルチンに罪を着せられ、今はあんたより彼女が立場も地位も権力も上だ。あんたのやってる事は、ただ、人に利用され踏み台にされるだけの人生で生涯を終えようとしてる。人に尽くすと言う意味を履き違えてるのはあんたの方だ」
今度は、オセロが眉間に皺をよせ、ダージュを睨みつける。
ダージュは言葉と圧に押し負けたかのように、震える様にしてオセロから手を放し、その場で俯き両膝を床につける。
今までの自分は何だったのか? ルチンのように貪欲で居る事の方が、誰よりも生き甲斐を感じられるのか? 自分は最初から間違っていたのか?
様々な考えが、脳裏を錯綜する。
過呼吸になる手前まで来ているかのように、困惑するダージュ。
そんなダージュを横切り、便所の扉に手を掛けようとするオセロは、その場でピタリと立ち止まる。
「ここまで診断がいけば十分だ。約束の金は貰って行く。それと、診断結果の報告は直で聞きたい。その時には、良い答えを期待している。じゃあな」
ガチャ、バタン。
淡々とそう言ってオセロはダージュの元を去っていった。
ダージュは心ここにあらずと言った様子だった。
尿の入った試験管が、落ちていた。
ふと、それに目がいき、気付けば片手で拾っていた。
「……わたしは……わたしは……この世界に……見合うのか?」
自分が分からなくなってきたと言うよりも、自分がこの世界に相応しい人間かどうか考え始めたダージュ。
全ての価値観や理念が崩壊し、それしか考えが浮かばず、ただの空っぽになるダージュ。
こうして、ダージュは真実を知るだけでなく、その代償として、人として大事な何かを失ってしまったのだ。
月日が経ち、二週間後。
あれからダージュは医師など止め、もしかしたら自殺でもするのでは? と思わせるくらい消沈していたはずだが、それでも生きる事と医師だけは止めなかった。
諦めきれなかった。
それはソル医学部長の存在が影響していた。
ダージュを手籠めにする事も、人形にする事も容易にやってのけるソルだったが、それ自体、ダージュは嫌ではなかった。
いい思いもさせてもらい、誰よりも優遇される。
そこでダージュはある答えが脳裏に浮かび、次第にそれは今まで以上に歪な形となっていく。
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