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最強魔術師は初恋を忘れられない  作者: 平瀬ほづみ


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拾遺 アンナの頼もしい番犬 2

 夕食の準備をし、ラルスとともに夕食をとる。

 エヴァンのぶんも用意したのに、エヴァンは帰ってこなかった。

 ラルスは話し上手で、二人だけの夕食会はそれなりに楽しいものになったものの、やはりエヴァンの行方がわからないというのは気になった。

 エヴァンが残務整理で王都に出かけたまま数日帰らないことはしょっちゅうだけれど、行き先ははっきりしているので、こんなに不安になったことはない。


 ――朝の時点ではエヴァンの意識が残っていたのは確実だけれど、夕方はどうかしら。もう残っていなかったのかも?


 楽しそうにソファからソファにジャンプしたり、クッションを食いちぎったりなんて、エヴァンならしないだろう。でも犬なら? やってしまうかもしれない。


 ――どうしよう。私のことを忘れてただの犬になっちゃったら、もうこの家には帰ってこないかも。


 それなのに大声を出してしまった。犬としては怖いだけだ。

 そんなことになったらどうしよう。


 ――あの呪い、ラルスにもわからないのではお手上げだわ。どうやったら解けるの……って、はっ! もしかしたらメーアの屋敷の書斎に何かヒントがあるかも!


 ラルスは、呪いについてはエヴァンが詳しいと言っていた。

 理由は、エヴァンがメーアの集めた本を読んでいたから。

 ということは、呪いの解呪方法のヒントはメーアの本の中にあるのかも。

 メーアの屋敷は現在、エヴァンが所有している。メーアの書斎もそのままだ。


 前世の記憶は保っているものの、何もかもくっきりはっきり覚えているわけではない。特に読んだ本に関しては、大半が忘却の彼方だ。

 知識は繰り返し定着させなければ薄れていくのである。


 とはいえ、魔術の知識がゼロではないので、メーアの所蔵本を読んでもまったくわからない、ということにはならないはず。


 ――屋敷の鍵のありかは……たぶん、わかる。明日、ラルスに連れていってもらおう。


 転移門を使えば王都なんてすぐだ。ただし、魔術師と一緒でなければ使えない。

 そういう結論を出したアンナは、食器を片付けたあとラルスのために客間を整えた。


***


 事件は夜半に起きた。

 前触れもなく居間の窓ガラスが轟音とともに飛び散り、何人もの人間がなだれ込む。そのままの勢いで主寝室のドアが開かれる。


「女はどこだ!」

「いないぞ!」


 そんな声が聞こえた。


「まさか狙いが奥さんとはねぇ」


 マジかよ、とラルスが低く呟く。

 アンナも同じ気持ちだった。

 どうせこんなことだろうとアンナもラルスも着替えずに、見つかりにくく脱出しやすい台所の隣の貯蔵室に身を潜めていたのである。


「エヴァンがいたら八つ裂きにされるとわかっているから、先にエヴァンを犬にしたわけか。それで奥さんを人質にしてエヴァンを捕まえる算段、ってところか? 犬になっても警戒されているところはさすが『英雄』だな。まったく……」


 ずるがしこいねえ、とラルス。


「複数人で押しかけてくるということは、外にも見張りがいるな。だが目立つからせいぜい一人だ。ここは一軒家でまわりは畑、外に逃げたらあいつらの思うつぼだな。……が、私は家の中をめちゃくちゃにされたくはない。おまえの正体に気付いているのかいないのかわからないが、気付いていないことに賭けよう。おまえは魔術師として活動していないからな。私が裏口からあいつらをまとめておびき出す。裏庭に大きな楡の木がある。その木の陰に隠れるから、ラルスは後ろから魔力を撃て」


 低い声で一気に言うと、アンナは立ち上がった。


「え、ちょっと」

「こう見えて私は足が速い。でもか弱い。魔力もない。遅れるなよ、ラルス。あいつらにつかまりたくない」


 そう言い残してアンナは貯蔵室のドアを開けると、台所の机の上に置いてあった皿をわざと落とし、裏口を開けて外に飛び出した。

 全速力で楡の木を目指す。


「あっちだぞ!」

「隠れてやがったか!」

「おい、客はどこだ」

「出てこねーんだからどっかで縮こまってんだろうよ!」


 背後から足音とともにそんな声が聞こえる。

 丸聞こえなんですけど、と思いながら空を仰いだ。今日は曇り空で月明かりがないのが心許ない。夏の始まりのぬるい風がアンナの体を包む。時々足を取られながら楡の木の後ろに飛び込んだ瞬間、ドンという音が響いて、次々と人々が倒れる音が聞こえ、やがて静かになった。


 ――やったか?


 そう思った刹那、


「逃げろ!」


 ラルスの切羽詰まった声が聞こえた。

 アンナは振り返ることなく楡の木の陰から飛び出して敷地の外を目指したが、間に合わなかった。

 背中に強い衝撃が走り、その場にうつぶせに倒れ込む。すぐ近くの地面が大きく抉れる。アンナが立っていたら、頭を直撃していただろう。

 地面についた膝や手のひらが痛い。でもこの程度で済んだ。立っていたら、さっきの攻撃が頭を直撃していた。


 手をついて顔を起こし、背後を見る。

 月明かりがないにもかかわらず、建物の前でこちらを見ている男の姿はよく見えた。全体的にうすぼんやり光っているのだ。あふれる魔力を隠していない証拠である。魔力がなくても、向こうが見せるつもりでいればちゃんと見える。


 男のこぼす光のおかげで、裏口の前に三人の男が倒れていることがわかった。裏口のドアにもたれかかるようにして気絶しているラルスも確認できた。

 この男はアンナの誘導にひっかからず、ラルスの後ろからやってきたのだろう。そしてラルスを倒した。


 ――よりにもよって魔術師を取りこぼすなんて。


 そして倒れるアンナの前に、一匹の大きな犬がまるでアンナを庇うようにして立っていた。さっき体当たりしてアンナを守ってくれた犬だ。

 生ぬるい風の中に、かすかに覚えのある甘いにおいがする。

 暗くてよく見えないけれど、その犬はきっと銀色の毛並みをしている。


「まさか『英雄』か?」


 ぼんやり光りながら近づく男が犬を見てあざ笑う。


「情けないことだな! 犬っころになっちまったんじゃあ、自慢の魔力も使えないし!」


 男が構える。前に大きく魔法陣が開く。

 この国の魔術師は魔法陣を使わない。この男は外国から来た魔術師だ。

 犬が姿勢を低くし、唸り声をあげる。


 ――間に合わない……!


 アンナは慌てて手を伸ばし、目の前にいる犬を抱き込んだ。

 大丈夫ですよ、という声が聞こえた気がした。

 聞き慣れた、夫の低い声だ。

 犬の湿った鼻がアンナの唇に触れる。




「おまえのふざけた呪いは見逃してやってもよかったんだが、妻に魔力を向けたことは許せないな」


 男が放った攻撃を難なく弾き返し、エヴァンが立ち上がる。


「なっ……おまえ、どうやって呪いを……!?」

「おまえはまだこの世界の理を理解していないな? それを知らずに呪いなんて扱うのはやめたほうが身のためだぞ」


 エヴァンの目の前にふわっと魔法陣が浮かび上がる。


「ま……まさか……!」

「そのまさかだよ。俺はこの世界の理を知っているから呪いの解析も可能だ。この程度の呪いなんてすぐに解除できるし、なんだったら」


 魔法陣から強い光が放たれ、男を直撃する。やめろぉっ、という叫び声は途中でかき消され、光が消え去ったあとには男物の服が一式と、ぽつんといかつい顔の犬が残されていた。


「呪いの再現も問題なくできる。ああ、犬はつないでおいたほうがいいな」


 エヴァンはそう言うとどこからか取り出した大きな首輪を持って怯え切った犬に近付き、手早く首輪を取りつけた。

 犬はその場から動かなかった。動けなかったのだろう。なんとなく、エヴァンが魔力で拘束している気がする。

 アンナはその様子を呆然と地面に座り込んだまま見つめていた。


「ラルス、起きてくれ。警察を呼ぶぞ」

「う……」


 エヴァンの声にラルスが目を覚ます。

 そしてエヴァンを見つめ、


「…………なんでおまえさん、全裸なんだよ……?」


 ラルスが困惑した目でエヴァンを見上げた。


「さっきまで犬だったからな」


 そう言うとエヴァンはくるりとアンナに向きなおり、すたすたと近づいてきて、アンナを抱き上げた。

 そのままエヴァンはアンナを抱っこして家の中に入る。


「ひどいなあ。まあ、でもあの魔術師に家の中で魔法を使われたらもっとひどいことになっていたでしょうから、許容範囲、かな」


 エヴァンの魔力に反応する魔鉱石にポッと光が灯り、家の中が明るくなる。これはこの家の中だけに設置された、特別な照明システムだ。

 エヴァンは居間のイスにアンナを座らせた。


「窓ガラスは粉々ですね。これは早急に手配しましょう。それ以外は片付ければなんとかなりますね。アンナ、ケガを見せて」

「……エヴァン、どこにいたの。夕方、私が怒ってから。あと、服を着て」


 相変わらず全裸のまま救急箱を探して持ち出してきたエヴァンに、アンナは困惑した目を向けた。


「ついはしゃぎすぎて、あなたに怒られて、飛び出した先に、あいつらがいたんですよ。首謀者というか、魔術師には見覚えがありましてね。服はあなたの手当てが済んだらちゃんと着ますのでご安心ください。あなたに見せびらかすぶんにはぜんぜんかまわないんですが、ラルスに見られるのは我慢ができません。俺の体はあなたのためにあるんです。観覧料を取らなくては」

「見覚えがあった?」


 セリフの後半は丸っと無視して、アンナがたずねる。


「そう。昨日、畑仕事から帰る際、知らない男に道を聞かれたんですよ。とはいえ、実在する人物を訪ねてきたのでてっきり知人かと思っていまして」


 エヴァンがアンナの擦りむいた膝小僧と手のひらを消毒し、くるくると包帯を巻く。そんな大げさな、と思ったが、その手際のよさに制止しそびれた。


「その時に妙な気配を感じたんですけどね。まあ、いいかなって」

「いいかな、って……」

「たいした術でもなさそうでしたし。しかし朝起きたら犬になっていたのには驚きましたね。なかなか新鮮な経験でした……って、アンナ?」


 ぼろぼろと泣きだしたアンナに、エヴァンが焦った声を出す。


「何よ、あなたは最初からたいしたことじゃないと思っていたのね? 解除の方法だってわかってたのね!? でもね、私はすごく、すごーく心配したんだから!」

「それは……申し訳ないことをしました。ですが、声が出せなかったので、あなたに伝える手段がなく」

「わかっているけれど! それでも!」


 エヴァンはこの国で一番の魔術師だが、もし彼にもどうすることもできない呪いだったら? ずっとこのまま犬の姿になってしまったら? それよりも怖いのは、人間の意識が薄れ自分のこともアンナのこともわからなくなることだ。

 もしそうなったらどうしようと思って、不安で不安でたまらなかったのに!


「ごめんなさい、アンナ」


 涙の止まらないアンナの前にひざまずき、エヴァンが俯いて泣いているアンナの顔を下から覗き込む。


「ごめんなさい、アンナ。もう二度とあなたに心配はかけませんから」


 エヴァンの大きな両手がアンナの頬を包む。


「でも、あいつらがまたやってきたら面倒だから片付けておきたかったんです。たいした呪いでもないから大丈夫だろうと、すぐに終わるだろうと……俺の認識の甘さであなたを悲しませることになって、俺もつらい。もうこんなことはしません」


 アンナは手を伸ばしてエヴァンの銀色の髪の毛をつかむと、引き寄せた。

 驚いたのか、エヴァンの手が離れる。

 その隙にアンナはエヴァンの首筋に顔を埋めた。


「アンナ?」


 さらさらと優しい手触りの中に、懐かしい甘いにおいがした。

 ああ、エヴァンだ。

 これはもう、エヴァンのにおいだ。

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