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 思っていたのが、


「本当にこれでよかったのか・・・・・・」

 当日になって僕は頭を抱えていた。

 自分の姿を何度も気にしながら校門前で明乃さんを待つ。

 僕も色々考えた。

 髪を気にすべき、服を気にすべき、色々と考えて大して変わらない姿となってしまったのだ。そもそもファッション誌で輝く男達とは違うモブの僕だ。突然モテ顔のイケメンになって格好つけるには整形手術から始まる。

 とはいうものの納得はいかずに前髪を弄っていると、

「お待たせー」

 明乃さんの声がした。

 僕はその方向へと顔を向けて、

「あ、い、いえ、全然――」

 そして固まってしまった。

「どうかした?」

「いえ、その」

 あまりにも美しかった。

 珍しい、というか、制服以外では初めて見たスカートの姿。ブラックとダークグリーンのチェック柄で大人しい色ではあるが元々明るい色を着ない人だ。しっくり着こなされている。グレーの縦柄セーター。肩から掛けられたショルダーバッグもいつものリュックと違う。女性らしさを感じられる姿に僕は固まってしまった。

「あ、どこかおかしかったかな」

「い、いえ、いえ、そんなこと」

 よく見ればピアスの数も少ない。耳たぶに二つ小さいものが付けてあるだけだ。

「あの、本当に奇麗で、思わず見惚れちゃいました」

「望くんとのデートだったから気合い入れちゃった」

「こ、光栄なんですけど」

 こんな美しい人の横に立つのは僕でいいのだろうか。いつもと変わらない野暮ったい姿の僕で。

「望くん?」

「あ、はい、なんです?」

「望くん。顔、曇らせてる」

 優しく「どうかしたの?」と訊かれ、僕は正直に口を動かした。

「いや・・・・・・改めて不釣り合いだなと思いまして・・・・・・」

「不釣り合い?」

「明乃さんは美しい人です。誰よりもそうです。でも、その横にいるのが僕みたいな奴だと思うとあまりにも釣り合っていないなーと思いましてね、ちょっと思うところがあったといいますか、なんといいますか」

「そんなことないよ」

 そう言って、明乃さんは僕の両頬を押さえて。

「私はさ、望くんにはいつも通りの姿でいてほしいの」

「そ、そうですか?」

「だって望くんの魅力に気づかれても困るの。私以外の誰かが望くんのこと好きになられると困るから」

「はあ」

 そんなことはないと思うけど。

でも、明乃さんが良いと言ってくれるならそれでいいのかもしれない。自分でも単純な男だと思うけど、僕の判断基準は基本的に全て明乃さんだ。

「分かってくれた?」

「は、はい、明乃さんが望むなら僕は僕のままでいます」

「よろしい」

 笑顔で僕の顔から手を離すと、今度は僕の左手を捕まえた。

「じゃ、いこうか。文化祭デート」

「は、はい」

 僕達は手を繋いで校内の敷地へと入っていく。

 大学の文化祭のもなれば一つのお祭りみたいなものだ。

いろんな出店が出ていて、保護者会の出し物まである。僕達はまず校舎内のものから見ていこうと普段は授業で使っている建物に足を踏み入れた。

「どこか回りたいところとかあります?」

「そうだねー」

 明乃さんはパンフレットを開きつつ、

「あ、ここ行きたい」

「どこですか?」

 僕は指を差された場所を覗き込む、指を差されていたのはアニメ・ゲーム同好会の展示会。どこかで見覚えしかないサークル名だった。

「・・・・・・いや、その、くっそつまらないサークルですよ。まじで」

「そんなことないよ」

「いやいや、隣の出してるレトロゲーム同好会の方が絶対面白いですって。何でも一昔前のゲーム機でパーティーゲームができるらしいですよ。どうですか!」

「私、ゲームに興味ないから」

 それならなんで何もしていないに近い同好会の場所へと行こうとしているのか。

「ここって望くんが参加しているサークルだよね」

「まあ、はい」

「望くんの物も出てるよね?」

「そ、そうですね」

「それ見たい」

「・・・・・・そうですか」

 ダメとは言えなかった。

 何かやばいものを出していなかっただろうか。

 まあ、バレなければ問題ないだろう、多分。そんなことを考えつつ、僕達はエスカレーターを上って展示会をやっている教室へと向かう。レトロゲームで盛り上がっている教室はスルーして閑散としている隣の教室にやってきた。

「お、鈴原」

「鈴原くん」

 今の時間帯は松野と宮村が当番の時間だった。

「おー」

 返事をしながら、

「あれ、増田さんも当番の時間じゃなかったっけ」

 言いつつ教室を見渡しても姿は見えない。今日も当番だったはず(会長だから毎日いるし当番時間も多い)なのだが、

「先輩なら隣だよ。熱中してて帰ってこないんだ」

「ああ、レトロゲームの?」

「そう。増田先輩ああいうの大好きだからな」

「なるほどね」

 挨拶くらいはと思ったけど、ゲームに熱中しているなら仕方ない。挨拶するほうが野暮というものだろう。

「あ、こんにちは」

 明乃さんが松野と宮村にぺこりと挨拶すると、

「赤坂先輩、どうもっす」

「こんにちは、ご無沙汰してます」

 二人も同じように頭を下げた。

「あの、デートですか」

 宮村が踏み込んだ質問をして、

「そう。邪魔しないでね」

「はーい」

「で、ここが望くんのいるサークルなんだ」

 そう言いながら明乃さんは教室を見渡す。

 可愛い女性キャラクターのタペストリーやポスターで埋まった壁。机を合わせて作られたコーナーはロボットのプラモデルや女の子のフィギュアが飾られている。

「ねえ」

 明乃さんは僕でなく、宮村へと顔を向けて。

「はい、なんでしょう」

「望くんの展示物はどれ?」

「いやいや、ちょっと明乃さん!」

「いいじゃない。出しているなら見られても困らないものでしょ?」

「そ、それは、まあ」

 そういうオタク趣味のものに関心のある人達に見られるのは気にしないけども。自分の彼女に、明乃さんに僕の出したものが見られるのは流石に恥ずかしい。それに幻滅される可能性だってある。

「あ、これです。ここに置いてあるプラモデル」

 宮村は僕の気持ちなんか気にしないで教えてしまう。明乃さんはそれに近付いて、

「あー、これは知ってるかも。なんか見たことある」

「有名なロボットアニメですからね・・・・・・」

「そうなんだ。格好いいね」

「そうですか?」

「うん」

 ちょっと喜んでしまう。

 しかし、ここでこのロボットことやアニメのことを深く語ったらダメだろうとも思う。僕は堪えて「それならよかった」と返すに留める。

「他には?」

「他ですか」

 その言葉に思わず固まる。僕は自分が何を持ってきたのか思い出していた。

「それならこれですね」

 宮村は気にすることなく指差す。

 そこには壁に貼り付けられたタペストリー。

 女の子がきわどいポーズをしているゲームの特典だったものだ。せめてもの救いは対象年齢が十五歳以上だったことだろうか。いや、そういう問題ではないか。

「ふーん」

 明乃さんはそのタペストリーをじっと見て、

「望くん、こういうのが好みなんだ」

「いや、その、好きというか、なんというか」

 僕は冷や汗をかきながら釈明しようとする。しかし、いい言葉は思いつかない。

「髪の色、派手だね」

「まあ、そうすね」

「おっぱいも私より大きいよね」

「そ、そうでしょうか」

 目を逸らしながら答えていると、

「なんだよ、鈴原。そのキャラクターめっちゃ推してたじゃん」

 余計なことを言うやつがまた一人増えた。

「ちょい黙ってて」

「結婚したいとかなんとかさ」

「おい松野!」

 そんな話をする必要はないだろう。しかも明乃さんの前で!

「へー。そうなんだ」

「い、いや、それは言葉の綾と言いますか」

「私のことずっと好きだとか言いながら」

「明乃さんのことはずっと好きでしたけど、ほら、これはその、ね? えっと、二次元の話ですし! リアルには関係ないというか!」

「あーあ、君も浮気性なんだ。幻滅」

「そんなぁ」

 情けない声が出る。

「なーんて、嘘だよ」

「明乃さん・・・・・・」

「でもさ、アニメもゲームもいいけど、私が一番じゃないと駄目だから」

「は、はい!」

 もちろんだ。僕には先輩がいればいい。本当の気持ちだ。

「なんだよ、思ってたより仲いいじゃん」

「幸せそうでいいよね」

 そんな言葉が聞こえてくるが耳にはまともに聞こえてこない。僕は明乃さんとの二人の世界にいて他のものは入っていなかった。

「あ、望くん」

「え、はい」

「でも浮気したからペナルティね」

「・・・・・・まじすか」

 浮気したつもりはないんだけれど、明乃さんの笑顔は本気のものだった。

「ち、ちなみに、どういうものでしょう」

「うーん、これから考える」

「そうですか」

 ほどほどなものにしてください。

 内心で祈りつつ、教室を後にして、僕達は色んな場所へと顔を出していく。

 パンフレットを見てみれば、知らないサークルもたくさんあった。そのほとんどが色々な出し物をしている。

 伝統あるスポーツサークルが女装喫茶をやっていたり、最近設立されたらしいサークルが自家用プラネタリウムで気合いの入ったものをやっていたり、僕達は飽きることなく回っていって、

 そうして校舎を回り、やがて外に出る。

「色んなサークルがあるんですね」

「この学校そういうの多いらしいね。設立条件が緩いからかな」

「なるほど」

「私も詳しくは知らないけど。でも、これだけサークルが出し物してると楽しいよね」

「ですね」

 校舎の外は食べ物の出店が多い。火が使えるからだろう。フランクフルト、フライドポテト、焼きそばから聞き覚えのない国の郷土料理まで色んな出店がある。匂いだけでお腹が空いてきた。

「どこか回ります?」

「うーん、とりあえず一休みかな」

 そう言って明乃さん近くのベンチへと座った。僕も倣って隣に座る。

「望くん、楽しんでる?」

「楽しんでますよ」

「ほんと?」

「本当ですよ」

 この大学に入学して明乃さんほど月日は経ってないが、こんなにもサークルがあるなんて知らなかったし、活動的な場所が多いことも知らなかった。それを知れただけでも文化祭に来た価値があると思える。

「どうかしました?」

「ううん、私の勝手で連れ回してたら悪いなーって」

「大丈夫ですよ。明乃さんと一緒ならどこでも楽しいですから。てか、文化祭に誘ったの僕じゃないですか」

「そうだけどさ。望くんが行きたかった場所とかあったんじゃないかなーって。ほら、この教室とかチア部が喫茶店やってるらしいよ」

 そう言ってパンフレットを指差す。

「だ、大丈夫ですって」

「でも望くん。好きそうだし」

「そりゃあ嫌いじゃないですけど・・・・・・」

「ムッツリだね、望くん」

「・・・・・・すみません」

「ま、いいけどね」

 明乃さんは笑って僕の両頬をむにむにと触って、

「だって何の欲求もなかったら不安になるじゃん」

「そ、そうれふふぁ?」

「そうなの」

 言いながら僕の頬を離した。

「でも、ありがと。今日は誘ってくれて」

「い、いえ、そんなの」

「私、自分の通ってる学校がこんな雰囲気なんだって初めて知った気がする」

「そんなの僕だって。明乃さんと一緒じゃなかったら一生知ることなかったかもしれませんよ」

 二人でにへっと笑う。

「あー、歩き回ってたらなんか喉乾いちゃった」

「それじゃあ、何か買ってきますよ」

「いいよいいよ、それなら一緒に行く」

「いいですって。明乃さんは休んでいてください」

「そう?」

「はい」

「じゃあ、お願いしていい? 適当に自販機で買ってきてくれればいいから」

「任せてくださいよ」

 そう言って僕は近くの自動販売機へと向かう。丁度少し歩いたところに自販機があることを知っていたのだ。

 明乃さんの好みはなんだったろうか、ココアが好きなのは知っているけど、それ以外だと紅茶かコーヒーか、コーヒーよりもたしか紅茶の方を飲んでいることが多かった気がする。

「よし」

 僕はホットのミルクティーと自分の緑茶を買って、明乃さんが待っているベンチへと向かうと、

「・・・・・・?」

明乃さんの前には二人組の男がいた。

「アイツら、たしか・・・・・・」

 遠目からでも分かる。

 忘れるわけもない、僕を蹴って殴った連中だ。ここの学生ではないと思うから大学が文化祭で自由解放になっているから入ってきたのか。僕は慌てて明乃さんの元へと走って、

「おいっ!」

 僕は明乃さんと不良二人組の間に滑り込む。

「あ? なんだお前」

 当然の如く睨みつけられた。

「の、望くん・・・・・・!」

 僕は明乃さんを背に隠すように立って、

「彼女に何の用ですか」

「お前・・・・・・」

「何の用ですかと、聞きました」

 もう一度問う。

「ああ、そうか。害虫くんか。何? もう一度痛い目に遭いたいの?」

 酷いあだ名をつけられたものだ。

でも、それで引き下がってはいられない。

「殴られたことは覚えてますよ」

「だったら退けよ。俺達は今明乃と話してるの」

「退けません」

 僕はありったけの勇気を振り絞って言った。

「僕は明乃さんを護ります」

「あ?」

「これ以上絡むようなら大声を出しますよ。あなた達のことは警察にだって話してありますし、当然学校にも話してあります。この場所で不利なのはあなた達だ」

「お前、ガキが・・・・・・!」

 二人分の怒りを向けられる。

僕はそれだけで怖くて崩れそうだったけど、それでも引けない。じっと二人のことを睨みつける。

「・・・・・・ちっ」

 舌打ちされて、二人組は「いくぞ」と背を向けた。

 不良の姿が見えなくなって、僕は深々と息を吐きだす。

「だ、大丈夫ですか、明乃さん」

「うん・・・・・・望くんこそ」

「僕は大丈夫ですよ」

 勝手に間へ入ってきただけだ。

 そうだ、と、明乃さんに買ってきたミルクティーを渡そうとする。僕の手がちょっと震えていて格好悪かったけど、それよりも明乃さんの様子がさっきと違うように見えた。

「あの、どうかしました?」

「な、なんで」

「いや、えっと・・・・・・もしかして何か言われました?」

「・・・・・・ごめん」

「なんで謝るんですか」

 先輩が悪いことなんて何もないのに。

 向こうが勝手に絡んできただけだろう。

「・・・・・・ごめん、ごめん、望くん・・・・・・」

「いったいどうしたんですか?」

「アイツらに言われたんだ。あの人が待ってるって、私に会いたがってるって・・・・・・」

「あの人、って」

 誰だ、と思いつつ。

 何故か何となく理解していた。話してもらった前の彼氏のことか。

「私、それに一瞬揺らいじゃった。・・・・・・一番は望くんなのに、望くんのはずなのに」

 涙を流しながらそういう彼女に、

「明乃さん」

「ごめん、最低だ、私」

 気にする必要なんてない。僕はまだ明乃さんの一番になれていないだけだ。

 そう言えばいい。

「明乃さん」

 僕は明乃さんの隣に座って、口を開く。

「たとえば、僕が、僕達がいつか別れたとして、それでも僕はすぐに明乃さんを忘れられないと思います。たとえ新しい彼女ができても、たとえ新しい伴侶に出逢えても、僕はきっと明乃さんを思い出すと思います。そんなもんなんです」

 明乃さんと別れる未来なんて想像したくはないけど、でも、そういう未来があるとしたら、きっといつまでも引きずることになると思う。我ながら気持ち悪い話だが。

「・・・・・・望くん」

「だから、その、気にしないでって、話なんですけど」

 そんなことを言いながら、僕の心には嫉妬の炎が熱く燃えている。

「・・・・・・そういう話をしたいです。したいはずなんですけどね」

 僕は一番じゃないといけないって、一番にしてほしいって、叫んでくる。

「・・・・・・ごめんなさい。謝っても仕方ないんですけど、ごめんなさい。本当は嫉妬してます。なんで一番じゃないんだって思ってます」

 隠しきることが出来なくて、僕は自分の気持ちを吐きだした。。

「どうすればいいですか、どうすれば明乃さんの一番になれますか」

 分かっている。本当は分かっている。

 僕にできることなんて何一つない。

 僕がどれだけ想っていても、想っただけ気持ちが返ってくるわけではないし、明乃さんに届かないとしたら、それはもう仕方のないことなのだ。

「望くん、好きだよ」

 隣で明乃さんが言う。

「本当に好きなんだよ。・・・・・・信じてもらえないかもしれないけど」

 信じたい。僕と明乃さんの気持ちは通じ合っているんだって思いたい。

「・・・・・・はい」

 そのためにはどうすればいいのか。

 僕は深く深く息を吸って、ゆっくりと吐き出して、自分の頬をペチンと叩いた。

「すみません! 明乃さん、弱音を吐きました!」

 にっこりと笑ってみせる。

「信じますし、信じてます。僕は明乃さんを疑いません」

「・・・・・・望くん?」

 ぎゅっと強く、明乃さんの肩を抱く――勇気はなくて、手を握る。

「僕は明乃さんが好きです。明乃さんの言葉ならなんだって信じられますよ!」

 こうしてこそ僕らしいはずだ。ウジウジ悩むのは一人になってからでいい。

「望くん」

「はい?」

 チュッ、と唇が塞がれる。

「あ、明乃さんっ」

「えへへ、ありがとう」

 明乃さんも僕の手を握って、

「こんな私のこと、ずっと好きでいてくれて、今も最低な私のこと好きでいてくれて、本当にありがとう」

「そんなの、当たり前じゃないですか」

 僕の気持ちがそう簡単に薄れることはない。

「そもそも最低なんて思ってないですし」

「そっか」

「明乃さんはいつも最高の人ですよ」

「そんなことないよ。望くんが思ってるほどいい人じゃないもん」

「そうかな」

「望くんは私を神格化させすぎ」

 困った彼氏くんだよ、望くんは。と笑って、

「私ね、会いに行くよ」

 しっかりと僕の目を見て言った。真剣な瞳だった。

 誰に会いに行くのかなんて分かっているけど、僕にはやっぱり心配で。

「大丈夫、なんですか?」

「うん、大丈夫だよ。ちゃんと会ってちゃんと別れてくる」

「でも・・・・・・」

 明乃さんの意思は固く、瞳も揺るがなかった。

「もうお前なんか必要ないって、私は望くんと一緒にいるんだって。私にはそれくらいしかできないけど、そうしたら望くんも安心してくれるでしょ?」

「ぼ、僕は、僕には明乃さんが一緒にいてくれたらそれでいいですよ・・・・・・」

 僕の得る安心のために、明乃さんが無理をするなんてそんなのは駄目だ。

「大丈夫」

 微笑んで握った僕の手を持ち上げる。

「逃げたことを清算するだけなんだ。私が私のために、望くんと一緒にいるために」

「明乃さん」

「もう逃げないよ、頑張る」

「・・・・・・はい」

 行かないでくださいとは、もう言えなかった。

「望くんの気持ちもちゃんと受け止めるからね」

「はい」

 頑張ってくださいって、僕には応援することしかできない事が悔しい。

 それから僕達はただ隣に座っているだけだった。

 会話もなく周りの喧騒に耳を傾けているだけ。

 せっかくの文化祭だ。横入はあったけどそろそろまた楽しみましょう。なんて、そんなことを言おうとして、でも口を閉じることを繰り返している。

「ねえ、望くん」

「は、はい?」

「なんかさ、文化祭回る気持ちじゃなくなっちゃったね」

「そう、ですね」

 その通りな雰囲気だ。

「あーあ、せっかくデートのために服も一式買ったんだけどなー」

「え、まじすか、いや、ほんとすみません・・・・・・」

「望くんは悪くないでしょ。悪いのはアイツら」

 まあ、たしかに。

「せっかくだしさ、うち来ない? 一緒にココア飲も」

「え、いいんですか」

「もちろん。私の彼氏くんなら尚更大歓迎」

 なんてことを言いながら明乃さんはベンチから立ち上がる。

「じゃあ、お供します」

「うん、いこっか」

「はい」

 僕達はどちらともなく手を繋いで学校を後にする。

 相変わらず会話はなかった。

 何か話をしないとなんて思うけど、都合のいい言葉は思いつかない。僕はただ歩幅を合わせて歩くだけ。

 やがて明乃さんの住むアパートへと着き、僕は部屋にお邪魔させてもらう。

「適当に座ってて」

「あ、はい」

 僕は前と同じようにソファに座って小さくなっていると、やがて明乃さんが二つのマグカップを持ってやってきた。

「熱いから気を付けてねー」

「はい、ありがとうございます」

 カップを受け取って啜る。ココアの甘みと温もりに心が落ち着く。

「美味しい?」

「美味しいです」

「ふふ、よかった」

 明乃さんも隣に座ってココアを一口。

「あれ、明乃さん」

「んー、どうかした?」

「煙草はいいんですか」

 たしか以前に帰ってきたときはココアを飲んで煙草を一服することがルーチンと言っていた。でも、テーブルには煙草も出していないし、灰皿もない。

「あー、禁煙中。やめようと思って」

「そうなんですか?」

「うん、まあ、グループにいた影響で吸ってたところも大きいし、望くんと付き合うようになったならそういうのもやめようって。それにさ、キスするときに煙草の匂いがしたら嫌じゃん」

「そ、そうですか」

 別に気にしないでいいのに。でも、身体には良くないものだ。理由はどんなものでも明乃さんの健康に繋がるならそれでいいか。

「あの、質問してもいいですか」

 思わず出てきた疑問が口を開かせる。

「ん、なーに?」

「明乃さんは、その、グループにいたときはどんな感じだったんですか」

「えー、知っても面白くないよ、そんなこと」

「知りたいんです。明乃さんのこと」

 真剣な目を向けると、明乃さんは「そうは言われてもなー」と、

「少し悪ぶってただけかな」

「悪ぶってた」

「そ。夜遅くに集まってさ、煙草吸ったり、お酒飲んだりして騒いだり。本当に大したことなんてしてなかった。でも、それだけで楽しかったし、それで大人になってた気がしたかな」

「ですか」

 僕の知っている明乃さんはやっぱり真面目な姿のものだ。

悪ぶっている明乃さんの姿なんて想像できないけども、知っている人がいると思うとちょっと嫉妬してしまう。

「ん、どうしたの?」

「ちょっと嫉妬してました」

「なんで急に」

「明乃さんの元カレつーのは知っているわけじゃないですか。明乃さんが悪ぶっているところ。僕の知らない一面を知っていると思うと、こう、ムカムカしてくるというか。いいなーというか」

「そっか」

「ごめんなさい、僕、器量の狭い男です」

 こんなことで嫉妬していけばキリがない。

 明乃さんの持つ色んな一面も、抱擁も、キスも、それ以上のことだって、僕はどれも初めてじゃないのだろうから。

「いいよ」

 明乃さんはそんな僕を撫でて、

「何も感じてなかったら、私に興味ないかもって少し凹む」

「でも、あんまり嫉妬させないでください」

「お互いにね」

「僕は嫉妬なんかさせませんよ」

 なんたって一番はずっと明乃さんだ。

「どうかなぁ」

「本当ですって」

「でも、結婚したいキャラはいるんだよね?」

「うぐっ、今その話持ってきますか・・・・・・?」

「冗談」

 僕達は笑い合って、自然と顔が近づいていき、唇はココアの味だった。

「ねえ、望くん」

「なんですか」

「今日さ、泊っていってよ」

「え」

「駄目?」

「い、いや、そんなことはないんですけど」

 それがどういう意味なのかくらい、僕だって分かる、つもりだ。

「僕は」

 僕でいいのか。なんて言葉はきっと今相応しくない。

「ん?」

「あの、僕も、その・・・・・・泊めてほしいって思ってました」

「うん」

「だから、泊めてもらえますか」

「もちろん。・・・・・・じゃあ、色々用意しないとだね」

「はい」

 頷いて、また僕達は唇を重ね合わせた。


       *


 深夜――というよりも早朝に近い時間。

「・・・・・・っんあ?」

 見慣れない天井。パンツしか穿いていない自分。なんだこれはと回らない頭で横を向くと、僕の腕を握っているのは僕と同じようにほぼ全裸の愛しい人。彼女の姿が目に入ってようやく頭が動き出す。

 ああ・・・・・・。

 そうか。

 そうだったか。

 記憶を呼び戻し、噛み締める。

 幸せだ。これが幸せなのか。

 隣ですやすやと眠る彼女の頭を思わず撫でてしまいそうになるが、余計なことをして起こしたくない。僕はぐっと堪えて見つめるだけにする。

 うーむ、しかし、完全に目が覚めてしまった。

じっとしていればまた眠気もくるだろうと思うのだが、彼女の姿を見ていると冷静な気持ちでいられなくなる。かといって悪戯心に手を伸ばす勇気もなく、僕はただ明乃さんの寝顔を見つめ続けていた。

「んん・・・・・・」

 やがて、

「・・・・・・望くん?」

 まどろんだ瞳で明乃さんは僕の名前を呼ぶ。

「あ、ご、ごめんなさい。起こしちゃいました?」

「ううん。だいじょうぶ・・・・・・」

「だったらよかったですけど」

 話したらもう少し気まずい気持ちもあるかと思ったが、そんなことは全然なくて。ただ愛しい明乃さんの頭を撫でる。

「どうします? もう少し寝ますか?」

「んー。起きる」

「まだ結構早いですけど」

 窓の外はまだ薄暗い。日がちゃんと昇るにはまだ少し時間があるだろう。

「望くんは?」

「明乃さんが起きるなら僕も起きます」

「じゃ、一緒に起きようか」

「はい」

 ベッドから起き上がって身体を伸ばす。流石にシングルのベッドで二人は狭い。多少の身体のコリは感じるなーと思いつつ、

「って、明乃さんっ!」

「んん?」

「前! 前! あ、あなた、その、パ、パンツしか穿いてないんですよ!」

「望くんもじゃん」

「いや、そうですけど! 男と女は違いますって!」

「今更恥ずかしがることもないのにー」

 なんて言いながら床に脱ぎ捨てたままの衣服を羽織る。

「・・・・・・って、それ僕のシャツじゃないですか」

「彼シャツでーす」

 可愛い。

「グッときた?」

「・・・・・・めちゃくちゃきました」

「やった。ねえ、ちょっと借りててもいい?」

「別にいいですけど」

 僕は緊張を押し殺して、

「ボタンはちゃんと閉めてください」

 そう言っても明乃さんは僕をからかって閉じてくれない気がして、自分で閉じることにした。これはこれでドキドキするけど、ずっと肌色が見えていたんじゃ心臓が持たない。

「ありがと、望くん」

「いいえ」

「じゃあ、お茶入れてくるね」

「あ、はい」

 明乃さんがベッドから立ち上がってキッチンへ向かう。上は僕のシャツを着てくれたけど、下はパンツのままだから結局僕の理性は試されていた。脚とか、お尻とか、目が釘付けになりそうなところを気合いで離す。

 脱ぎ散らしたままのTシャツやズボンを穿いて着替え終えると、ちょうど明乃さんがお盆にカップを二つ乗せて持ってきてくれた。

「紅茶だけど大丈夫?」

「あ、はい、大丈夫です」

 受け取ってずずずと一口。うん、ちょっと熱い。

「そいや、明乃さんってコーヒーは飲まないんですね」

「コーヒーは苦手なの。苦いから」

「なるほど」

「ちょっとカッコ悪いよね」

「そんなことないですよ」

 好き嫌いなんて誰にでもあるものだし。

「望くんは苦手なものってないの?」

「これといってないですね。わりかし何でも飲めるし、食べられますけど、あーでも極端に辛かったり、甘かったりするものは嫌かな」

「おー、えらい」

「それほどでも」

 そんな雑談をしながら紅茶をゆっくり飲む。

 うむ、今まで生きていて一番幸せな朝だ。間違いない。

こんな朝が何度でも続けばいいと思う。

例えば、そう、お互いに大学を卒業して就職したら同棲するとか、そんなことを考えるには少し早すぎるか。三年の明乃さんはともかく、僕はまだ一年生なわけだし。

「どうかした?」

「へ?」

「なんか嬉しそうな顔してた」

「あ、ああ、なんか、こういう朝って、なんか幸せだと思って」

「そっか」

 微笑みながら頷いて、

「私も幸せ」

「それならよかったです」

 二人で笑い合う。

 ああ、本当に幸せな時間だ。

「ほんと、こんな時間もあるんだね・・・・・・」

 明乃さんはマグカップを両手で持ちながらどこか遠い目をしてそんなことを言う。

「えっと、今まではなかったんですか」

「なかったよ。会って終わり。寝て終わり。一緒の時間を共有したことなんて全然」

「そう、ですか」

「あ、ごめん・・・・・・彼氏の前でする話じゃなかった」

「い、いやいや、聞いたのは僕ですから」

 どんな人なのかは知らないけど、明乃さんが好きだったんだからすごい人なのだろうと思っていた。でも、実はそんなことなくて、裏では悪いことをしているかもしれない人で、明乃さんのことを幸せにできない人で。

「望くん」

「え、はい?」

「ちょっと怖い顔してる」

「ま、まじですか」

 笑って誤魔化す。今僕が知らない人に怒りを覚えても仕方ない。僕にできることは明乃さんが今までのことを忘れるくらい幸せになってもらうこと、だと思う。

「明乃さん」

「なに?」

「えっと、これからのあなたの時間は僕が貰います。僕の時間もあなたにあげます。だから、一緒に過ごしていけたらいいなというか、いきましょうというか」

 ちょっと格好つけようと思ったのがいけなかった。緊張して言葉がぶれてしまう。そんな僕をキョトンとした目で見て、それから、

「あはは、望くんテンパりすぎ」

 明乃さんは声を出して笑っていた。

「ですね」

 僕も思わず笑う。

「でも、格好いいこと言えるようになっちゃって」

「めちゃくちゃ緊張してましたけどね・・・・・・締まらないな、僕ってやつは」

「ううん、いいよ、望くんらしくて」

「今度はもっと上手く格好つけますからね」

「うん、楽しみにしてる」

 自分でハードルを上げてしまったかもしれない。

 まあ、いいだろう。明乃さんを笑顔にできれば上出来だ。

「・・・・・・で、話はちょっと変わるというかなんですけど」

 少し聞きたかったことを訊くことにする。

「うん、なーに?」

「前の彼氏に会うって昨日言ってましたけど、どうやって会うつもりなのかなって、連絡先とか残っているとか?」

「連絡先は逃げるって決めたときに消しちゃった」

「まあ、ですよね」

「グループも抜けてるんだけど、流石にスマホの電話番号までは変えてないからメンバーの奴らはショートメールとかでたまに連絡送ってくる。望くんが怪我させられたときみたいに」

「なるほど」

 では、どうするのだろう。

「屯している場所を知ってるの。いつも通り、何も変わってないならそこにいると思う」

「そうなんですか」

「うん。ささっと行って、ちゃちゃっと帰ってくるよ」

「・・・・・・あの」

「ん?」

「僕、一緒に行ってもいいですか」

 少しだけカップを握る手に力が入った。

「え、望くんも?」

「はい。・・・・・・邪魔にしかなりませんかね」

「そんなことはないけど、もしかしたら危ないかもしれないし」

「危ないところに行くなら尚更一人では行かせられませんよ!」

「私は大丈夫だよ。顔見知りだし」

 なんて言いながら「多分・・・・・・」と小さく呟いた。

「僕も絶対連れて行ってください。てか、駄目って言われても尾行してでもついていきますからね」

「わかった、でも、危ないって少しでも思ったら・・・・・・」

「はい、その時は二人全力で逃げましょうね!」

「ふふふ、うん、そうしよう」

 二人で笑い合う。

 僕は明乃さんの過去の全てを知ったわけじゃない。

だから、その清算に干渉することはできないだろう。きっと、本当にその場へ付き合うだけだ。でも、せめて辛い思いをするかもしれない明乃さんの手を握っていられるようにしたい。それが僕にできる精一杯のことだと思う。

「それで、いつ行きます? 僕はもうサークルのシフトノルマ終わらせてるんで文化祭期間中ずっと空いてますし、明乃さんが都合悪ければ授業が始まってからでもサボっていきますよ」

「授業サボってまで付き合ってもらうことじゃないよ。でも、そうだね・・・・・・先延ばしにしても嫌な思いする時間が増えそうな気がするから、うん、行くのは明日かな。それでいい?」

「はい、僕は大丈夫です」

 念のために防犯グッズとか買って持っておいたほうがいいかな。なんて考えていると、

「望くん、お茶飲み終わった?」

「あ、はい。ごちそうさまでした」

「うん。おかわりは?」

「いえ、今は大丈夫です。ありがとうございます」

 明乃さんは「じゃ、カップ貰うねー」と僕からカップを受け取り、シンクに持っていくのかと思えばテーブルの上に自分の分と二つ置いた。それから僕の方へ向き直って、

「さてと」

「はい」

「今日は英気を養う時間にします」

「はい――って、ちょ、ちょっと!」

 僕の太腿に「どーん」なんて言いながら頭を乗せてきた。

「え、ど、どうしたんですか、いきなり・・・・・・」

「んー? にゃー」

 可愛い。

 可愛いけど、日本語じゃなくなってしまった。

「まあ、いいか・・・・・・」

 とりあえず頭を撫でておく。明乃さんは少しくすぐったそうにして、

「にゃーにゃー」

 甘えてくる彼女はとても可愛い。いつもとは違う一面に心がぎゅっと締め付けられる。

「えへへ」

「どうしました?」

「にゃーっていうの、ちょっと恥ずかしかった」

「あら」

「でも、今日はこうやって二人で過ごそうね」

「・・・・・・はい、そうしましょう」

 僕の理性との戦いも幕を開けつつ、僕達は明乃さんの部屋で二人の時間を満喫することになったのだった。


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