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 先輩と一緒にラーメンを食べた日から、あっという間に二週間が過ぎ去った。

 この頃には流石に僕も先輩のアカウントやトーク履歴を見てニヤニヤすることはなくなり、至って普通に先輩は何をしているのだろうかと、ふとしたときに思いを馳せるだけになっていた。

 あれから連絡もこれといって来ていないし、僕からも送っていない。

 本当は連絡したい。

暇があれば会話をしていたい。

だけど、僕なんかが連絡しても迷惑なだけかもしれないし、なんなら連絡しすぎて気持ち悪いと思われそうだし、うじうじと色々悩んでいるうちに時間が経ってしまったのだ。

自分から近付かないといけない。

そんなことは分かっている。

好きならどんどんアタックしていくべきとももちろん思う。でも、僕は臆病なのだ。少しでも不快にさせるのが怖い。そして、自分が傷つくもしれないことをずっと恐れている。

 そんなある日のことだった。

「なあ、鈴原」

「あー? なに?」

 次の講義へと向かう最中、隣を歩く松野に声を掛けられる。

「ああ、いや、そいやさ、ほら、お前さ、前に女の人と連絡取り合ってたじゃん。サークルの教室で」

「え? あ、ああ、うん」

 先輩とのことか。

「それってどうなった? 進展あった?」

「進展って」

 別にどうもなってない。

「そんなこと気にしてどうするんだよ」

「ああ、別に俺が気になってるわけじゃなくてさ。その、美幸が気にしてるんだよ」

「うん?」

 なんで宮村が出てくるんだ。

「ほら、美幸曰くさ、やっぱり運命みたいな再会なわけだし、その恋の行方的な? そういうのが気になってるんだとさ」

「・・・・・・はあ」

 別に恋をしているなんて一言も言っていないが。

 好きなのは事実だし、間違いなく恋はしているけれども。

「で、だ。実際のところどうなのっていうね?」

「いや、別にどうも」

「会ったんだろ?」

「会ったけど。その日は普通に会ってラーメン食べて帰っただけ」

 本当にそれだけだけど、それはそれは最高の時間だった。

「その後は?」

「なんも。それから連絡取り合ってないし」

「え、そうなのか?」

「そんなもんだろ。・・・・・・そもそもさ、考えてもみてよ? 僕みたいな陰キャがそうそう女性と連絡を取り合うなんてね」

「でもさ」

 松野は少し溜めて、

「好きなら行動しないと駄目だぜ?」

 思いの外真剣な目を向けられて焦る。

 わかってるよ、そんなこと。

「だ、だからさ、別に僕は好きだなんて一言も言ってないし・・・・・・」

「でも、好きなんだろ」

「・・・・・・まあ」

 否定なんてできるわけがない。

「だったらちゃんと動かねえと。そうだ。ほら、スマホ出せ。今すぐデートに誘え!」

「デ、デート? いやいや無理だって。恐れ多いって」

「弱気になるな!」

「弱気にもなるわ!」

 そこで会話が途切れる。

松野は何か言っていたけど、僕の耳には入らなかった。

 目の前から来る女性に、僕は思考の全てを奪われたのだ。

「あ、っと・・・・・・。せ、先輩・・・・・・」

 口から声が漏れる。

「うん?」

 スマホを見ながら歩いていた彼女は、僕の声に反応して顔を上げる。

「あー」

 小さな笑みを浮かべてくれる。

「望くん」

「こ、こんにちは。これから講義ですか」

「そ。望くんも?」

「はい。必修で」

「頑張れ一年生。必修は落としたら後で苦労するからね」

 そう微笑んで「じゃあね」と手を振って去っていく。

まさか。

まさかまさか!

なんだかんだ広い大学の校内で先輩とすれ違うことが出来るとは、もしかしたら今日は最高にツイている日かもしれない。

僕は先輩が見えなくなるまでその後姿を見送って、

「・・・・・・おい、鈴原?」

「え、あ、なに?」

 すっかりと松野の存在を忘れていた。

「あー、なんだ、もしかしてさ、今の人がお前の好きな先輩さん?」

「まあ、うん・・・・・・。そうだけど」

「いやー、なんつーか」

「なんだよ。文句でもあるのか」

「別に文句はないけどさ、ほんと、なんつーか、陰キャってわけでもないし、言うなれば、めちゃくちゃダウナーな気配を感じるというか」

「おかしいかな?」

「おかしくはない、と思うけどさ。なんか俺達とは住む世界からして違うというか」

 そんなこと言わなくていい。僕も分かっているから。

「・・・・・・たしかにあれ相手に恋は難しそうだな。美人だったけど、うん。ドンマイ」

「先輩をあれ呼ばわりするな」

「わり」

「僕だって不釣り合いなのは分かっているさ」

 小声で呟く。

 松野の言う通り、僕と先輩とでは住む世界が違うのだ。

・・・・・・だから、せめて片思いだけはさせておいてくれ。

「ほら、行こうよ。講義遅刻するぞ」

「足を止めてたのは鈴原だろ」

「いいから」

 二人で早歩きで教室へと向かい、後ろ側の目立たない席に着く。

 誇れることではないが僕は昔から数学が苦手だ。

しかし必修授業には理数系も当然存在する。

いやいや授業登録をする中で理数系の枠に気象学の授業を見つけた。これなら何とかなるかもしれないと思い、松野と一緒に取ったのだ。

 教室は大教室、先生はとても優しい人だった。前職は気象予報士だったらしい。正直なところ講義は何を話をしているのか全然分からなかったが、配られるプリント通りに進んでいくのでそこまでの苦労はなかった。むしろスマホを弄っている余裕すらある。

「お、ゲームの周回?」

「そ」

 プリントを読み、ノートを取りながらでもできる作業だ。最近のゲームは効率よく時間を使っていかないと強くなれない。

「じゃあ、俺もそうしよっかな」

 同じゲームを開いて、松野もオートモードにする。

 授業は滞りなく進んでいき、だいたい半分くらいの時間が経ったときだった。

「ん?」

 突然スマホの画面に通知が出る。・・・・・・講義中だからとあらかじめミュートモードにしていてよかった。

 その通知を見ると、

「ええっ!」

 思わず声が出る。

 周りの視線が僕の方へと向いたのが分かった。先生も「どうかしましたか?」と声を掛けてくる。

「い、いえ、あの、すみません、ちょっと指を攣っちゃって・・・・・・。大丈夫です!」

「あらあら、お大事にね」

「はい、すみません」

 適当な言い訳でその場をやり過ごして、スマホに目を移して画面をタップする。見間違いじゃない。先輩からのメッセージが来ていた。

『退屈』

 そんな簡潔なものに既読を付けてしまう。

『お、既読付くの早い』

『望くんもおサボりかな?』

 そして可愛らしいウサギのイラストのスタンプ。

『ちゃんと受けてますよ』

 コソコソと返事を送ると。

『ほんとにー?』

『ほんとです』

『ちゃんと講義受けてる人は、授業中にスマホを触りませーん』

 まったく正論だ。

『それで、先輩。どうかしたんですか』

『授業が退屈だったから』

『抜け出して?』 

『ううん。普通に教室で。緩い授業なんだよねー』

 そうなのか。僕と似たような環境の授業なのかもしれない。

『ちょっとさ、話し相手になってよ』

 そんなメッセージ。

僕は返答に困る。

 今はどれだけ言っても講義中だ。ある程度は集中しないと置いていかれるし、先輩だってそれは同じはずだ。でもこの機会を逃していいものなのだろうか。ほんの少しだけ僕は逡巡して、

『いいですよ』

 僕はそんなメッセージを返していた。

 煩悩には勝てなかった。

『望くんは何の講義受けてるの?』

『気象となんちゃらっていう、気象学の授業です』

『あー、それ。私も一年の時に取ったよ』

『そうなんですか?』

『うん。めっちゃ先生優しいでしょ』

『はい』

『テストも緩いから安心していいよ。たぶん』

 ありがたい情報を得てしまった。

『先輩は何の授業ですか?』

『社会学のなんか。適当に取ったんだけどすごい退屈』

 そしてぐてーっとしたウサギのスタンプ。退屈さをアピールしていた。

 そうして僕達はとりとめない文章のやり取りを重ねていく。

 どんな授業が簡単だったか、この授業は取らない方がいいとか、そんなことを教えてもらっていくうちに時間は過ぎ去っていき。

「じゃあ、今日の講義はここまでー」

 先生の言葉が耳に入ってきて、僕は我に返る。

『授業終わったー!』

 先輩からもそんなメッセージが送られてきて、

『ありがと。楽しかったよ』

『いえ、こちらこそ』

『また退屈になったらメッセージ送るね』

 僕はその返答に少しだけ頭を悩ませて、

『いつでも待ってます』

 やっぱり煩悩には勝てなかった。

『返事、できる限り返しますね』

 少しだけ踏み込んだような気がするメッセージを送る。

すると、返答にはこれまた可愛らしいウサギがハートをまき散らして『ありがと!』と言っているスタンプがきた。うん、僕も後でこのスタンプ買おう。

 ゲームも大して進まなかったけど、でも心の充実感はすごい。

こんなに満ち足りた気分で講義が終わったことが今まであっただろうか。

「あー、終わったかぁ」

 途中から寝ていた松野も起きて、筆記用具やプリントを片付けだす。

「あれ、鈴原」

「え、な、なに?」

「お前も寝てた?」

「え、いや、なんで?」

「ノートほとんど書いてないし。珍しくね?」

 講義をほとんど聴かずに先輩とやり取りしていたのだ。当然ノートも白い。

「あ、ああ、まあ、そんなところ」

 別に誤魔化すようなことでもないのだが、なんとなく正直に言うのは気が引けた。

「まあいいや。いこうぜ」

「うん」

 僕も机に広げていたものをバッグに放り込んで席を立つ。


 それからというものだ。


僕と先輩はちょくちょく授業中や、それ以外でも文章でやり取りをすることが増えた。

そのほとんどが取り留めのないものだったけれど、僕にとっては全部最高の出来事で気が付いたら、講義を受けることよりも先輩との会話がメインになっていった。

「・・・・・・なあ、鈴原」

「あ? なに?」

 今日も先輩からメッセージが来ていて。

僕はそれに返事をしながら松野の声に返事をする。

「お前さ、なんか最近ずっとスマホ弄ってるけど、どうしたん?」

「そ、そうかな。気のせいじゃない?」

 心の何処かで分かっていながらも、そんな言葉を返す。

「いーや、そんなことなかったって。お前って一応真面目系じゃん。それなのにここずっと講義中もノートちゃんと取ってないし」

「そんなことないけど」

 言いながらも、まあ、たしかに前よりは適当になっているかもしれない。

 でも、重要だと言われたところは書いているし大丈夫だろう。

「つーか、何してんの?」

「えっと、なんていうか、先輩と話してる」

「は?」

 松野は少し驚いた様子で、

「お前、連絡取り合ってないんじゃなかったの?」

「ああ、まあ、そうだったんだけど。・・・・・・なんか、最近、授業中暇だからって」

「・・・・・・えっと、それさ」

「なんだよ?」

「お前、暇潰しに使われてね?」

「それは」

 たしかにそうかもしれない。

 けれども、例えそうだとしても。それで先輩の役に立てているのならいいのだと思ってしまう、というか間違いなく思っている。

「お前さ、もうちょい真面目に講義受けないと後々やばいって」

「それ、松野にも言えることだと思うけど」

「・・・・・・そりゃ、まあ」

 僕よりもずっと適当に受けている男だ。何も言い返せまい。

「大丈夫だよ。別に講義サボってるわけじゃないんだからさ。たしかに集中力は落ちているかもだけど、それくらいだし」

「だったらいいけどな。頼むぜ? お前がちゃんとノート取ってないと俺が困る」

「勝手に困ってろ」

 少なくとも誰かに見せるためにノートを取っているわけじゃないのだ。

「まあ、この話はいいよ」

 松野は話題を切って、話を切り替えてきた。

「でさ、実際どうなの、憧れの先輩さんとは」

「別にどうもしてないけど」

「いやいやいや、どうもしてないってことはないだろ。授業中とか、今とか、随分と長い間話してるんだろ?」

「・・・・・・そりゃまあ」

「ある程度の進展はあるだろ」

 これがまったくない。

 ほとんどが日常の一部を話しているだけだ。

 講義が面倒だとか、先生が嫌いだとかみたいな学校のことから、出先にいた猫が可愛かったとか、散歩中の犬に吠えられたとか、本当にそんな日常的を切り取ったようなものだけ。僕達は薄っぺらい会話を延々と重ねている。

「それでいいのかよ」

「いいんだ」

 僕は先輩とこうしてやり取りできているだけで最高だ。

「さて・・・・・・、そろそろ行こうか」

 僕はスマホをポケットに入れて立ち上がる。

「あん?」

「次の講義だろ。今先輩が講義終わったって。もうチャイムなるぞ」

 言いながら腕時計で時間を見るとチャイムまであと一分くらいのところだった。

「お前さ、マジで講義の時間終始話してんのかよ」

「い、いや、今回はたまたま」

 ということにしておく。

「お前も、その先輩さんも、いつか単位落とすよ」

「そこまでじゃないって」

 僕はともかく、先輩は絶対に大丈夫だ。なんたって頭が良いから。要領だって良い。何でも上手くこなしてしまう。

「まあ、いいけどね。一緒に卒業できないとか勘弁な」

「一年の内からそんな心配することもないでしょ」

 僕は適当にあしらって授業へと向かう。

 しかし。

松野の言うことも一理あるというか、たしかにもっと節度は守ったほうがいいかもしれないとは思う。先生によっては指摘しないだけで授業態度として見ている場合があるらしいし、僕との時間のせいで先輩の成績が落ちるのは申し訳ない。と、頭には過っているのだが。

『望くーん』

『はい』

『今は授業中?』

『そうですよ』

『ちゃんと受けないと駄目だぞー?』

 それはそうだ。

 でも、先輩が連絡をしてくるからどうにも集中できないわけで。

『ちゃんと受けてますよ。これは息抜きです』

 とはいっても先輩に指摘できるわけもなく、それっぽい返事を打ち込んで。

『先輩は空き時間ですか?』

『そ。友達とカフェでお茶してる』

『いいですね』

『でも、あんま興味ない話題で盛り上がっててさー』

『あらら』

 僕達はまたいつものように浅い会話を重ねていく。

当然の如く、今日の講義も僕の頭にはほとんど入っていなかった。


 その日のサークルの時間。

僕の目の前で松野と宮村が話をしていた。チラチラと僕に視線を向けながら。

話題はもちろん、ここ最近の僕の様子の話だ。先輩とずっと空き時間や講義中を問わずメッセージのやり取りをしていることである。

「で、結構まずいと思うわけよ」

「そうなの?」

「だって講義中とか本当にずっとだぜ。隙あらばスマホ開いて連絡取り合ってるもん」

「うーん、鈴原くん」

 宮村は少し眉間に皺を寄せて、

「・・・・・・はい」

「講義はちゃんと受けたほうがいいよ」

「いや、あの、はい・・・・・・。その通りだと思います」

 そう返すしかない。本当にその通りなのだから。

 しかし、そんなにまずい状態なのか僕は。

たしかに今までは一応真面目にノートを取ってきてはいたけど、ほとんどの人はそこまで真面目じゃないわけで。ずっと寝ている人もいれば、スマホでゲームをしている人なんていくらでもいる。別に僕だけがおかしいわけじゃない。

「でも、ちょっとだけ気になるな。鈴原くんがそんなにご執心になる先輩っていったいどんな人なの?」

「どんな人って言われても」

 なんて説明すればいいものか。

とても素敵な人なのは間違いないのだけれど、

「あ、俺一度会ったぜ」

 横から松野が出てくる。

「ほんと? どんな人だった?」

「なんつーか。俺達とは縁遠い人だったかも」

「縁遠い?」

「俺達と違って全然さ、雰囲気っていうのかな? ダウナー系なんだけどさ、例えばオタクっぽさとかまったく感じないわけよ。服装も身につけてるアクセサリーもかなりキマってるし、なんか格好いい人だったよ。自分の世界を生きてるって感じ」

 そんな説明で先輩のことを理解できるのかと思ったが、

「へえ」

 宮村は「なるほど」と頷いていた。

「そんなに美人さんなんだ」

「俺はそう思ったよ」

「私より?」

「それはないな」

 あ?

「先輩は最高に美人だろうが」

「いやそんな殺気立つなよ。なんつーか、あれ、美幸とはベクトルが違うっていうか。美幸は可愛い系だけど、あの人は奇麗っていうか大人って感じの気配だった」

 大人っぽい雰囲気なのは認める。

 僕達みたいな子供っぽい雰囲気はなくて、ちゃんと自立しているような、そんな印象が先輩からは昔からあるのだ。

「鈴原くんはそんな大人の魅力に落ちたということか」

「分からないとは言わねえけどな」

「もういいだろ。わかったよ、講義はちゃんと受けるって」

 だんだんと二人の言葉が鬱陶しくなってきた。

話題を切って二人から離れると、僕はスマホのゲーム画面を付ける。

 言いたいことが分からないわけじゃない。二人が言っていることは至極真っ当なことで、そして、僕のことを心配してくれているってことも理解しているつもりだ。でも、先輩とのやり取りを、先輩との時間を奪われるのはどうしても納得できない。好きにさせてくれと思ってしまう。

 ムシャクシャした気持ちでゲームをプレイしていると。

ガチャリと、教室のドアが開く音が聞こえた。誰か入ってきたのか、出ていったのか、これといって気にせずスマホの画面に集中していたら、

「――うわっ?」

 唐突に視界が暗くなった。

誰かに後ろから目隠しされたのだ。

「だーれだ」

 聞こえてくるのは、よく知っている声。

「え、せ、先輩っ?」

「ふふふ、当たり」

 目隠しから解放されて、後ろへ振り向くとクスクスと笑っている先輩の姿。こういうところも可愛らしい人なんだけど、なんでこんなところに先輩が?

「こんばんは」

「え、あ、はい。こんばんは、す・・・・・・え、どうしてここに・・・・・・?」

「前にさ、この辺の教室で遊んでるって話してたでしょ? 丁度近くに来たから望くんの顔でも見ておこうかなって思って」

 他愛のないやり取りの中で、たしかにそんな話もした気がする。

 でも、わざわざ僕の顔を見に来てくれるなんて、そんな、なんて光栄なことか。

 しかし、先輩はとても目立っていた。

僕達と住む世界が違うと言われるくらいだし、どうも雰囲気が不釣り合いで、サークルメンバーの視線が先輩に向いてしまう。

「んー」

 先輩はそれに特に気にする様子もなく、

「あ、君は知ってる。望くんの友達?」

 松野を見て言った。

「あ、は、はい! そうっす! 松野健太っていいます!」

 松野が恐縮した様子で頷く。

「君は初めて見る顔だね」

 今度は宮村へと視線を向けて。

「は、はい。宮村美幸です。鈴原くんとは友達で」

「うん。健太くんに、美幸ちゃん。私は赤坂。赤坂明乃。三年生」

 三人が自己紹介する。

「友達が多くていいね、望くん」

「え、ええ、いや、まあ」

 実はちゃんと話すメンバーってサークルに所属している人達しかいないから、決して多くはないんだけども。

「さーて、望くんの驚く顔も見られたし、邪魔するのも悪いし帰ろうかな」

「邪魔だなんてそんな」

「望くんも友達といたいでしょ?」

「い、いや、でも」

 せっかく来てくれたのに、早すぎるのではないか。

「それとも」

 にっこりと、けれども意地悪そうな笑みを先輩は浮かべて、

「私と一緒に帰る?」

 そんな質問。そんな質問・・・・・・。

「――はい!」

 我ながら即答である。先輩の誘いに僕は勢いよく頷いた。

近くに置いておいたリュックを背負い、帰り支度を一瞬で済ませて。

「じゃあね! また!」

 そう挨拶すると、松野と宮村は若干引き気味に挨拶を返してくれる。

「お、おう」

「う、うん、またね・・・・・・」

 僕は教室の他のメンバーにも「お疲れ様です!」と声を掛けてから、先輩と二人で教室から出た。

 なんてラッキーなんだ! また先輩と一緒に帰ることができるなんて!

「・・・・・・本当によかったの?」

 内心で喜びまくっている僕に先輩は躊躇いがちに訊いてきた。

「え、何がです?」

「友達と一緒にいなくて」

「ああ、いいですよ別に」

 もちろん松野達やサークルメンバー達のことを蔑ろにするつもりはないが、僕にとっては先輩と一緒にいることの方が大事であり、優先すべきことなのだ。先輩と一緒じゃないとこの幸福感は得られない。

「ま、いつも適当に集まって、適当に解散するサークルですから」

「そんなこと言ってたね」

「はい。だから、今日は先輩と帰ります」

「そっか、うん」

 そうして僕達は授業中にやっているような文章でのやり取りの延長線、他愛のない会話をしながら並んで帰り道を歩く。

「でさ、真美がさ。美味しいクレープ屋さん見つけたって言うから、二人で行ってみたらすごく混んでてね?」

 真美という方は先輩のお友達だ。先輩が一年の頃からずっと親しくしているらしい。

「おー、僕は失礼ながらたかが甘いものって思っちゃいますけど」

「実は私も」

「まあ、先輩が甘いもの食べてる印象あんまりないですね」

「嫌いじゃないよ。チョコレートとか・・・・・・。あ、あとね、ココアが大好き」

「おー、ココアですか」

 大きな情報を手に入れた気がする。先輩はココアが好き。

 しかし、幸せだ。

 とてつもなく幸せだ。

 メッセージを送りあっている間だって幸せだけど、やっぱり二人でちゃんと会話をしているというのが心地良い。今日は最高に運のいい日だと思う。松野や宮村との会話でイラついていた自分はもういなかった。

そうして学校から少し離れたところで、


「あれ? おい。ちょっとさ」


 男の声。

まるで僕達に聞こえるような言い方で、僕は思わず声が聞こえてきた方に視線を向ける。

「あ、ほら、やっぱ明乃じゃん」

「ほんとだ」

 二人組の男がそこにいた。

彼らは先輩の顔を見るなり。

「久しぶりじゃん。どうしたの? 元気してた?」

先輩へ気安く声を掛けてくる。見るからにチャラそうな人達だが、先輩の知り合いなのだろうか? 僕は隣にいる先輩へと顔を向けると、

「あー」

 先輩はあからさまに面倒臭そうな顔をしていて。

「何か用?」

「いや、別に用ってほどじゃないけどさ。なんだよ、明乃。何怒ってんの? 偶然顔合わせただけじゃん」

「あそ。じゃあね」

 先輩は僕の腕を掴んで。

「行こ、望くん」

「え、あ、はい」

二人構わず歩こうとするが、男達の一人が先輩の肩を掴んで引き留めた。

「おいおい、ちょっと待てよ」

「・・・・・・なに?」

「最近付き合い悪いじゃん。どうしたん」

「どうしたも何も、知ってるんでしょ? もうつるむ意味も理由もないよね?」

 男の手を振り払う。

「えー、冷たいこと言うなよ。明乃」

「そうそう、せっかく今まで仲良くやってきたんだからさ」

 ぐいぐいと先輩に迫る男達。

 ――ふむ。どうやら僕のことは眼中にないようだ。

てか、なんなんだ、この男共は。せっかく僕は先輩と一緒にいられて幸せな気持ちでいっぱいだったのに。先輩は不機嫌だし何もかも台無しだ。そもそも先輩のことを明乃明乃って何様なんだ。僕だってファーストネームで呼んでみたいわ。

・・・・・・よし。

絡まれるのは怖い。

因縁付けられるのも怖い。

だけど、そのままじっとしていることもできない。

僕は自分を奮い立たせて一歩前に出た。

「ま、まあまあ、この辺で」

「あ?」

 ギロリと二人の睨みが僕に刺さる。

けれども、ここで僕が引き下がるわけにはいかない。

「えっと、その、ほら、先輩――赤坂さんも嫌がってるみたいですし、ね? 女性に無理強いするのは良くないんじゃないかって思うんですけど」

 ビビりながらも愛想笑いを浮かべた。

 そんな僕に男達は舌打ちして。

「なに、お前?」

「何でもいいけどさ。君には関係ないでしょ? 引っ込んどいてくんね?」

 更に睨みつけられる。普通に怖い。

「い、いや、関係ないかもですけど、その」

 怖いけど、僕は目を逸らさず男達と向き合う。

「迷惑ですよ。あなた達」

 はっきりと声に出す。

 僕達はそれからしばらく睨み合って、

「はあぁぁ・・・・・・白けたわ」

 やがて、男の一人が言った。

「だりーよ、お前」

「ほんとそれ」

 賛同するようにもう一人の男も頷いて、これ見よがしに溜息を零した。

「明乃」

「なに」

「今度は一人のときに声かけるわ」

「じゃあねー」

 そんな言葉を残して男達は去っていく。

男達の後ろ姿が見えなくなって、そこで遂に僕の緊張の糸が切れた。思わずその場で崩れ落ちて動けなくなる。

「の、望くんっ?」

「・・・・・・いやあ、怖かったぁ」

 本当に怖かった。

今まで喧嘩なんてしたこともないし、ああいった連中と関わろうと思ったこともない。まさかもまさか、こうやって立ち向かうときが来るとは夢にも思わなかった。

「ご、ごめんね? 大丈夫?」

「あ、ああ、はい。先輩こそ」

「私は何ともないよ」

 それならよかった。

「え、えーっと、あれって先輩の知り合いですか?」

「・・・・・・まあ、うん、知り合いっていうか」

 ちょっと言い難そうにして、

「その、なんというか、あれ。元カレの友達」

 元カレ。そんな単語が耳に入ってきた。

 その単語は少なからず、いや、男達が与えてきたストレスが飛んでいくほどの力があった。もっともっと衝撃的なものだった。

「・・・・・・元カレ、すか」

「うん。・・・・・・あれ、どうかした?」

「あ、い、いや、なんでもないです・・・・・・」

 元カレ。元カレってなんだ。あれだ。

つまり前の彼氏。

 そうか、そうなのか。

いや、でも、普通に考えて当然か。

先輩のような美しい人だ。一人や二人、それ以上の誰かとお付き合いしていても何ら不思議じゃない。

しかし、そうは思っていても重くのしかかる何かが僕にはあった。

「今は、というか、昔から全然関係のない奴らなんだけどね、たまに会ったら話す程度の普通に他人」

「は、はあ、そうですか」

「ごめん、巻き込んじゃって」

「いえ、僕は別に・・・・・・」

 勝手に間へ入っただけだ。

「助けてくれてありがと」

「助けられた自信はないんですけど、でも、役に立てたなら何よりです」

「立った立った。格好よかった」

「格好いいことはなかったと思いますけどね」

 めちゃくちゃ声は震えていたし、今も座り込んだままだし、格好いいからはあまりにも程遠いと思うけども。

「立てる?」

「あ、はい」

 差し伸べられた手を握る。先輩の手は細くて、小さくて、少し冷たかった。

「すみません、ありがとうございます」

「ううん」

 先輩の手を握れたというのに、本当なら踊りたくなるくらい嬉しいはずなのに、心が鉛のように重い。

「望くん、どうかした?」

「え?」

「手、じっと見てたから。・・・・・・あ、ごめん、もしかして汚れてた?」

「あ、ああ、いや、そんなことないです。むしろ僕の手こそ汚れてなかったかなって、ちょっと気になっちゃって」

「そう? 大丈夫だよ」

「それならよかった。・・・・・・じゃあ、帰りましょうか。今度こそ」

「うん。そうだね」

 そうして僕達は今度こそ帰り道を歩き出す。

 もう、これといって会話はなかった。

 僕からも、先輩からも、何の話題も出てこなくて、ただ無言のまま足だけを前に動かしていた。

 やがて、僕達は駅に着いてしまう。

「あー、っと」

 別れの時くらい何か気の利いた話を、なんて思っても僕には何も出てこなくて。

「・・・・・・それじゃ、先輩。また」

 一言残してぺこりと頭を下げるだけだった。

「うん。さっきは本当にごめん。・・・・・・またね」

「はい」

 先輩と静かに別れて、駅の中に入って改札をくぐる。

そしてホームに降りてから、ぼくは大きく大きく溜息を零した。

「・・・・・・元カレ、か」

 自分でも不思議なくらいショックを受けている。

 別に僕が彼氏になりたいとか、なれるとか思っていたわけじゃない。

 もちろん先輩のことは好きだけど、好きだけども、僕はただ傍にいられるだけで幸せだと思っていた。

・・・・・・でも、先輩は少なくとも一度。僕ではない他の誰かの女性だったという事実は僕の心に重くのしかかっていて。

「はあぁぁぁ・・・・・・」

 また大きく溜息。

 これが応援していたアイドルの結婚報告を聞いた時の気分か。いや、違うか。

 そもそもだ。

 今だって彼氏がいるのかもしれない。

 僕はただの友達、いや、それどころかただの昔からの顔見知りで、久々に会ったから相手をしてくれているだけだと思うと心が苦しくなる。いや、それでももちろん光栄なことなんだけれど、なまじ最近やり取りが多かった分ダメージになっていた。

「まあ、でも」

 舞い上がっていたのは僕だけだもんな・・・・・・。

 そう呟いて、僕は背中を丸めた。


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