3
そして、約束の日が訪れる。
僕は五限が終わる三十分前には待ち合わせの場所に着いていた。
もう浮かれに浮かれきっていて、待ち時間なんて苦にも感じず、その場で佇む姿はもはや忠犬の如し。
それからしばらくして校門から出ていく学生達も現れるようになり、
「やほ」
先輩が来た。僕はもう喜びのあまり尻尾を振る犬である。
「お、お疲れ様です、先輩」
「うん。待たせちゃったかな」
「いえ、そんなこと」
「そかそか。じゃ、行こうか」
「はい」
僕達は並んで大学から歩き出す。
これといって会話がない中、僕には一つの言葉が脳内を駆け巡っていた。
もしかして。
いや、もしかしなくても。
これって放課後デートなのでは?
まさかそんな、僕と先輩はそれだけの関係で、デートなんてそんな、ねえ? なんてことを思いつつ、
「望くん」
「え、あ、はい!」
「ふふふ、なんかにやけてた」
「え、ま、まじっすか」
「まじまじ。一人だったら不審者だったよ」
浮かれすぎだ。冷静にならないと、簡単にはなれなさそうだけど。
「あー、その、それで、今日はどこに向かっているのでしょう?」
気を取り直して質問する。
思えば何も聞かされていない。授業が終わったら会おうと言われただけだ。
もちろん一緒に帰れるだけでも光栄なのだけど。
「うーん、どうしよっかな」
少しだけ先輩は悩むそぶりを見せて、
「望くん、お腹空いてる?」
「お腹? え、まあ」
結構いい時間だ。多少の空腹はある。
「じゃ、食べに行こうよ。前から行きたいお店があったんだ」
「は、はい! お供します!」
「お供って、相変わらず面白いね」
クスクスと先輩が笑い、僕は少しだけ恥ずかしくなるけども、僕の言葉がウケたと思えばそれも嬉しい。
しかし、先輩の行きたいお店とはいったいどこだろう。
なんたってこんなに大人っぽく成長した先輩だ。
もしかしたらとてもお洒落なお店かもしれない。例えばドレスコードがあるような、そんなお店が大学の徒歩圏内にあるかどうかは分からないけど、とりあえず僕みたいなモブが果たして入っていいところだろうか少しばかり心配になるが――、それはすぐに杞憂となった。
連れてこられたのはラーメン屋。しかも豚骨醤油が売りの所謂家系ラーメン。
「食べてみたかったんだよね、ここのラーメン」
「そうなんですか?」
「うん。やっぱさ、女一人じゃ入りにくいじゃん。ラーメン屋とか」
「まあ、そうですね」
僕はあんまり気にしたことがなかったけど、言われてみればたしかに女性が一人で入るには敷居が高いかもしれない。
「あ、望くんはここでよかった?」
「もちろん。全然大丈夫です」
というか先輩と来られるならどこでもいい。
お店の中に入ると、まだ夕食時としては早かったのか店内は比較的空いている様子だった。僕達はテーブル席に通されて向かい合って座ってメニューを開く。
「私これ、この特製味玉ラーメン」
先輩はあっという間に注文を決めた。
「決めるの早いですね」
「初めてのお店で冒険したくないもん。美味しくなかったら嫌だし」
「それはたしかに。じゃあ、僕も同じものにしよう」
通りかかった店員を呼び止めてラーメンを注文。
それからお冷を一口飲んで人心地着いたところで、
「でもさ、まさかまさかだよね」
先輩も同じくグラスに口をつけてから僕に顔を向けた。
「こんなところでまた会うなんて思ってもみなかった」
「ですよね。僕もです」
ばったり偶然に、なんて妄想は何度もしたけど。
「どうしてあの大学に入ったの?」
そんな質問をされる。
「大学を選んだ理由・・・・・・。そうですね、実家から近かったのが一番かもですけど」
なんたって電車で二駅だし。
「後はまあ成績的に丁度よかったんで。僕、中学もそうでしたけど、高校もあまりいい成績ではなかったですし。だいたいそんな感じです」
「そか」
「えと、それがどうかしました?」
「ううん。望くんはなんだかんだ真面目だからさ。君ならもっといい大学に、もっと都会とか進めたんじゃないのかなーって思っただけ」
「僕は、僕としては先輩こそ・・・・・・って、思いましたよ」
「そう?」
「あの、よければどうしてか聞いてもいいですか」
僕の記憶では少なくとも中学の頃はとても成績が良かった人だ。
高校もそれなりの学校へ行ったはずだし、僕の勝手な想像ではあるが、大学ももっと上を目指せたのではないだろうか。
「まあ、あれかな。いい子ちゃんでいるのに疲れたからかな」
左耳に付けられたいくつものピアスが目に入る。
「でも大学くらいは出なさいって、親もまあまあうるさかったし、それで適当に入ったのがあそこってだけ」
「そうですか」
「幻滅した?」
「幻滅?」
何を幻滅するのだろうか。
「中学の頃に成績がよかった先輩がさ、ここまで落ちぶれて」
「お、落ちぶれてるなんて思ってませんよ」
「そう?」
「はい。だってそれに、色々変わっていくじゃないですか。状況によって僕達も。成長とかなんかそういうの重ねていったら嫌になることくらいでてきますよ、たぶん」
親に言われたレールを歩く人だっているし、自分で決めた道を歩く人もいる。他にも出会った人、言葉、本など、そういう考え方に感化されて変わることだってあるのだ。
「望くんは、あんまり変わってないね」
「小学生とか、中学生からの友達にもよく言われます」
「ふふ、そういうところ、いいね」
図らずしも褒められてしまって嬉しくなる。
ヘラヘラと笑っていると、店員がやってきて、
「お待たせしましたー。特製味玉ラーメン二つですー」
「ありがとうございます」
注文していたラーメンがテーブルに置かれた。うん、美味しそうなラーメンだ。
「じゃ、食べよっか。伸びないうちに」
「はい」
「「いただきます」」と僕達は麺を啜ることにする。
初めて入るお店だったし、先輩と一緒ということで味が分かるか少し不安だったが、食べてみるとこれは結構美味い。大学からそう離れていないし、時間が空いた時は昼時に訪れてもいいかもしれないなー、なんて、そんなことを考えていると、
「ん、あれ、どうかしました?」
先輩が僕のことを見て微笑んでいた。
「ううん。食べてる姿、結構可愛いと思って」
「え、そ、そうですか」
「なんか小動物みたい」
「まじすか」
「うん、まじまじ」
普通の食べ方をしたつもりだったのだが、いや、そもそもラーメンを食べる姿が小動物を彷彿させるというのも今一つ分からないけど。とりあえずもっとワイルドに食べたほうがいいのか、いや、行儀悪いか。
「悪いことじゃないよ。可愛いの」
「そ、そうですか・・・・・・って、先輩も僕なんか見てないで食べてくださいよ、ラーメン伸びちゃいますよ」
「うん、そうする」
先輩も食事に戻り、今度は僕が箸を止めて先輩へ視線が向かってしまうが、
「あ、私のことはあんまりじっと見ないでね。恥ずかしいから」
「は、はい」
先手を打たれてしまった。僕も大人しくラーメンを食べることにする。
これといって会話をすることなく、ズルズルと麺を啜って二人でスープまで飲み切ったのはほぼ同じタイミングだった。
「美味しかったー」
「ですねー」
「ラーメン欲求満たされた。ありがと、付き合ってくれて」
「いえ、そんな。僕もまたこうやって先輩と話せて嬉しいですから」
なんて言いつつ、会話が続かない。
中学での思い出話、大学での出来事。話題はいくらでもあるはずなのに。
「あ、もうこんな時間か」
腕時計を見て先輩が言う。僕もスマホを見て時間を確認すると十八時を回ったところだった。遅い時間というほどではないけど、
「あ、先輩この後予定ありました?」
「ううん。ただ一人のときはこの時間だとだいたいもう自分の部屋でだらけてるから」
「なるほど」
まずい。これはそろそろ帰りましょうって雰囲気だろうか。僕としてはもっと一緒にいたい、けど。引き留める勇気なんて僕にはないし、理由も思いつかないし、何より先輩に迷惑を掛けたくない。
「そろそろ出ましょうか?」
「うん。私会計してくるよ」
「あ、僕が出します。奢らせてください」
財布を取り出したところで、
「いいよ。今日は私が誘ったんだし、私が奢ります」
「いやいや、でも、せめて自分の分くらい出しますって」
「じゃあ、次の機会には奢ってよ。他にもいきたいところあるんだ」
「え」
次の機会?
「じゃあ払ってくるから」
「あ、ああ、はい」
伝票を手に取り、先輩はレジへと歩いて行ってしまう。僕は思わずフリーズして後姿を見送った。次の機会がある、本当にそんなことがあるのだろうか? いやいや社交辞令ということもある。・・・・・・あるだろうけど、先輩とまた一緒にと思うと期待せずにはいられない。
「どうしたの、固まって」
「い、いえ、なんでも・・・・・・」
支払いを終えた先輩に怪訝そうな目を向けられて正気に戻る。
「すみません。奢ってもらっちゃって。ありがとうございます、ごちそうさまでした、先輩」
「これくらいはいいよ、後輩くん」
冗談めかした言い方に二人でくすりと笑う。
「じゃ、行きましょうか」
「うん」
僕達はお店を出て、とくに行き先を相談することもなく駅の方へと足を向けた。今日はこのまま解散の流れだろう。でも、いいんだ。きっと次の機会があるんだから。
「ラーメン美味しかったね」
先輩の言葉に頷く。
「はい、とっても」
「学校から遠くないし、また来ようかな」
「あ、僕も同じこと考えてました。昼飯のときとか来てもいいかなって」
「いいね。そのときは誘ってよ」
「え、まじすか」
「だめ?」
「い、いやいや、まさか。だめなんてことはないですけど」
僕なんかから誘ってもいいのだろうか。そんなことが頭に過りつつも、そういう考えじゃ駄目だと心の中で自分を叱咤する。
「分かりました。行くときは誘わせていただきます」
「ふふ、うん、よろしく」
先輩から与えられる機会だけに甘んじてはいけない。
僕からも先輩に近付いていかないと。心の中でそう決心しているところで、「そいえば」と先輩が声を掛けてきた。
「望くんはこのまま電車で帰るんだっけ」
「そうですよ」
「じゃあ駅でお別れか」
「あれ、先輩は今どこに住んでるんです?」
「私は駅近くのアパート」
「あ、実家は出た感じですか」
「うん。ま、知っての通り実家からゆーほど離れてないけどね。でも実家にいたって息苦しいだけだったし、両親も生活費とかお金出してくれるって言うから。それから自由気ままの一人暮らし」
「なるほど、一人暮らしなんてしっかりしてますね」
「全然全然。暮らしてる場所が変わっただけだよ。親のすね齧って生活してるわけだし、これといってバイトも今はしてないし」
なんてことを言うが、それでも僕よりずっと大人だと思う。
もちろん一人暮らしに憧れるものはあるが、今実家から出て何もかも一人でやっていく自信はまったくない。近い将来、例えば就職したときとかそんなことを言っている余裕はないだろうけど、それまではとりあえず家族に甘えていたいのが本心だった。
「そだ、今度遊びにおいでよ。なんもないけど」
「え、い、いいんですか?」
「いいよ。私の友達なら歓迎」
「あ、ありがとうございます!」
先輩の聖域であるお部屋へ入っていいどころか、まさか友達にすらカウントしてもらえるなんて光栄の至りだ・・・・・・!
「来てもらったら掃除とか手伝ってもらおうかな。一人だとすぐ手を抜いちゃうんだよね」
「僕はもちろん構わないんですけど、それってむしろいいんですか・・・・・・」
「え、何が?」
「あ、いや、なんでも」
先輩、ちょっと無防備なところがあるな。いや、僕が意識しすぎているだけか。
それから僕達は、先輩の一人暮らしのコツや愚痴みたいなものを聞きながら歩く。そうしているとあっという間に駅へ着いてしまった。
「もう着いちゃった」
「ですね・・・・・・」
もっと一緒にいたいけど、でも、そんなことを言い合える関係でもない。
「それじゃ、今日はありがとう。気を付けて帰ってね。望くん」
手を振ってくる先輩。
「はい、僕こそありがとうございました。先輩もお気をつけて」
「うん」
「それじゃ、また」
「またね」
僕はぺこりと頭を下げて、ここは僕から離れるべきだろうと先輩に背を向けて駅の中へと足を前に出した。後ろ髪を引かれる思いであったが、振り返るのも変な話だし、ここは前を見て歩こう。
「・・・・・・」
そうして駅に入り、僕は周りに誰もいないことを確認してから、
「・・・・・・うおおおおっ!」
思わず声を出した。自分でも少し驚くくらい大きな声が出たが、でも、どうしても我慢が出来なかった。
しかし、それは仕方のないことである。
そうだ。あんな最高の時間を過ごしてしまったのだから仕方がない。
「あー、ほんと、めちゃくちゃ幸せだった・・・・・・」
この先の交流なんて本当にあるかはわからない。
でも、勝手に想像するのは僕の自由だ。
なんたって六年間も片思いをしていたのだから、想像だけで笑顔でいられる。
「ああ、先輩」
好きです。・・・・・・なんちゃって。
にやける顔を元に戻せないまま、僕は最寄り駅へと向かう電車を待つのだった。
*
先輩とラーメンを食べた日から、あっという間に二週間が過ぎ去った。
この頃には流石に僕も先輩のアカウントやトーク履歴を見てニヤニヤすることはなくなり、至って普通に先輩は何をしているのだろうかと、ふとしたときに思いを馳せるだけになっていた。
あれから連絡もこれといって来ていないし、僕からも送っていない。
本当は連絡したい。
暇があれば会話をしていたい。
だけど、僕なんかが連絡しても迷惑なだけかもしれないし、なんなら連絡しすぎて気持ち悪いと思われそうだし、うじうじと色々悩んでいるうちに時間が経ってしまったのだ。自分から近付かないと、なんて思いつつ、少しでも不快にさせるのが怖いのだ。
そんなある日、
「鈴原」
「あー? なに?」
次の授業へと向かう最中、隣を歩く松野に声を掛けられる。
「そいやさ、ほら前に女の人と連絡取り合ってたじゃん。サークルで」
「え、あ、ああ、うん」
「それってどうなった?」
「どうなったって」
別にどうもなってない。
「ああ、別に俺が気になってるわけじゃなくてさ。美幸が気にしてるんだよ」
「うん?」
なんで宮村が出てくるんだ。
「ほら、美幸曰くさ、やっぱり運命みたいな再会なわけだし、その恋の行方的な? そういうのが気になってるんだとさ」
「はあ」
別に恋をしているなんて一言も言っていないが。
好きなのは事実だし、間違いなく恋しているけれども。
「で、実際のところどうなん?」
「いや、別にどうも」
「前に会ったんだろ?」
「会ったけど。その日は普通に会ってラーメン食べて帰っただけ」
本当にそれだけ。最高の時間だった。
「その後は?」
「なんも。それから連絡取り合ってないし」
「そうなのか?」
「そんなもんだろ。そもそもさ、考えてもみてよ。僕みたいな陰キャがそうそう女性と連絡を取り合うなんてね」
「でもさ」
松野は少し溜めて、
「好きなら行動しないと駄目だぜ?」
思いの外真剣な目を向けられて焦る。
「だ、だからさ、別に僕は好きだなんて一言も言ってないし・・・・・・」
「でも、好きなんだろ」
「・・・・・・まあ」
否定なんてできるわけがない。
「だったらちゃんと動かねえと。ほら、スマホ出せ。今すぐデートに誘え!」
「デ、デート? いやいや無理だって。恐れ多いって」
「弱気になるな!」
「弱気にもなるわ!」
そこで会話が途切れる。松野は何か言っていたけど、僕の耳には入らなかった。
目の前から来る女性に視線を奪われたのだ。
「あ、っと・・・・・・。せ、先輩・・・・・・」
口から声が漏れる。
「うん?」
スマホを見ながら歩いていた彼女は、僕の声に反応して顔を上げる。
「あー」
小さな笑みを浮かべてくれる。
「望くん」
「こ、こんにちは。これから授業ですか」
「そ。望くんも?」
「はい。必修授業で」
「頑張れ一年生。必修は落としたら後で苦労するよ」
そう微笑んで「じゃあね」と手を振って去っていく。
まさか校内で先輩とすれ違うことが出来るとは今日は最高にツイている日かもしれない。僕は先輩が見えなくなるまでその後姿を見送って、
「・・・・・・おい、鈴原?」
「え、あ、なに?」
すっかりと松野のことを忘れていた。
「あー、なんだ、今の人が例の想い人?」
「いや、まあ、うん・・・・・・そうだけど」
「なんつーか」
「なんだよ。文句でもあるのか」
「文句はないけどさ、なんつーか、めっちゃくちゃ陽キャの気配というか、俺達とは住む世界からして違うというか」
そんなこと言わなくていい、僕も分かっているから。
「・・・・・・たしかにあれ相手に恋は難しそうだな。美人だったけど」
「先輩をあれ呼ばわりするな」
「あ、わり」
「僕だって不釣り合いなのは分かっているさ」
小声で呟く。
松野の言う通り、僕と先輩とでは住む世界が違うのだ。・・・・・・だから、せめて片思いだけはさせておいてくれ。
「ほら、行こう。授業遅刻するぞ」
「足を止めてたのは鈴原だろ」
「いいから」
二人で早歩きで教室へと向かい、後ろ側の目立たない席に着く。
誇れることではないが僕は数学が苦手だ。
しかし必修授業には理数系も当然存在するのだ。僕はいやいや授業登録をする中で理数系の枠に気象学の授業を見つけた。これなら何とかなるかもしれないと思い、松野と一緒に取ったのだ。
教室は大教室、先生は優しい、授業は何を言っているのか分からなかったが、配られるプリント通りに進んでいくのでそこまでの苦労はなかった。むしろスマホを弄っている余裕すらある。
「お、ソシャゲの周回?」
「そ」
プリントを読み、ノートを取りながらでもできる作業だ。最近のゲームは効率よく時間を使っていかないと強くなれない。
「じゃあ、俺もそうしよっかな」
同じゲームを開いて、松野もオートで進んでいくモードにする。
授業は滞りなく進んでいき、だいたい半分くらいの時間が経ったときだった。
突然スマホの画面に通知が出る。あらかじめミュートモードにしていてよかった。
その通知を見ると、
「ええっ!」
思わず声が出る。
周りの視線が僕の方へと向いたのが分かった。先生も「どうかしましたか?」と声を掛けてくる。
「い、いえ、あの、すみません、ちょっと指を攣っちゃって・・・・・・。大丈夫です」
適当な言い訳でその場をやり過ごして、スマホに目を移して画面をタップすると、見間違いじゃない。先輩からのメッセージが来ていた。
『退屈』
そんな簡潔なものに既読を付けてしまう。
『お、既読付くの早い』
『望くんもおサボりかな?』
そして可愛らしいイラストのスタンプ。
『ちゃんと授業は受けてますよ』
コソコソと返事を送ると。
『ほんとにー?』
『ほんとですよ』
『ちゃんと授業受けてる人は、授業中にスマホを触りませーん』
正論だ。
『先輩は、どうしたんですか』
『授業が退屈だったから』
『抜け出して?』
『ううん。普通に教室で。緩い授業だから』
そうなのか。まあ、僕と似たような環境の授業なのかもしれない。
『ちょっとさ、話し相手になってよ』
そんなメッセージ。僕は返答に困る。
今はどれだけ言っても授業中だ。ある程度は集中しないといけないし、先輩だって同じはずだ。でもこの機会を逃していいものなのだろうか。ほんの少しだけ僕は逡巡して、
『いいですよ』
僕はそんなメッセージを返していた。
煩悩には勝てなかった。
『望くんは何の授業受けてるの?』
『気象となんちゃらっていう、気象学の授業です』
『あー、それ。私も取ったよ』
『そうなんですか』
『めっちゃ先生優しいでしょ』
『はい』
『テストも緩いから安心していいよ。多分』
ありがたい情報を得てしまった。
『先輩は何の授業ですか?』
『社会学のなんか。適当に取ったんだけど退屈』
そしてぐてーっとしたウサギのスタンプ。退屈さをアピールしていた。
そうして僕達はとりとめない文章のやり取りを続けていく。
どんな授業が簡単だったか、この授業は取らない方がいいとか、そんなことを教えてもらっていくうちに時間は過ぎ去っていき。
「じゃあ、今日の授業はここまで!」
先生の言葉が耳に入ってきて、僕は我に返る。
『授業終わったー』
先輩からもそんなメッセージが送られてきて、
『ありがと。楽しかったよ』
『いえ、こちらこそ』
『また退屈になったらメッセージ送るね』
僕はその返答に少しだけ頭を悩ませて、
『いつでも待ってます』
やっぱり煩悩には勝てなかった。
『返事もできる限り返しますね』
少しだけ踏み込んだような気がするメッセージを送る。
すると、返答にはこれまた可愛らしいウサギがハートをまき散らして『ありがと!』と言っているスタンプがきた。うん、僕も後でこのスタンプ買おう。
ゲームも大して進まなかったけど、でも心の充実感はすごい。
こんなに満ち足りた気分で授業が終わったことが今まであっただろうか。
「あー、終わったか」
途中から寝ていた松野も起きて、筆記用具やプリントを片付けだす。
「あれ、鈴原」
「え、な、なに?」
「お前も寝てた?」
「いや、なんで?」
「ノートほとんど書いてないし。珍しくね」
授業をほとんど聴かずに先輩とやり取りしていたのだ。当然ノートも白い。
「あ、ま、まあ、そんなところ」
別に誤魔化すようなことでもないのだが、なんとなく正直に言うのは気が引けた。
「まあ、いいや。いこうぜ」
「うん」
僕も机に出していたものをバッグに放り込んで席を立った。
それからというもの、僕と先輩はちょくちょく授業中や、それ以外でも文章で話をすることが増えた。
そのほとんどがとりとめのないものだったけど、僕にとっては全部最高の出来事で、授業を受けることよりも先輩との会話がメインになっていった。
「・・・・・・なあ、鈴原」
「あ? なに?」
今日も先輩からメッセージが来ていた。
僕はそれに返事をしながら松野の言葉に答える。
「お前、最近ずっとスマホ弄ってるけど、どうしたん?」
「そうかな」
「そうだよ。今までそんなことなかったって。授業中もノートちゃんと取ってないし」
「そんなことないけど」
言いながらも、たしかに前よりは適当になっているかもしれない。
でも、まあ、重要だと言われたところは書いているし大丈夫だろう。
「つーか、何してんの?」
「先輩とトーク」
「は?」
松野は少し驚いた様子で、
「お前、連絡取り合ってないんじゃなかったの?」
「ああ、まあ、そうだったんだけど、最近、授業中暇だからって」
「それさ、お前、暇潰しに使われてね?」
「それは」
そうかもしれない。
けれども、たとえそうだとしてもそれで先輩の役に立てているのならいいのだ。
「お前もさ、もうちょい真面目に授業受けないとやばいって」
「それ、松野にも言えることだと思うけど」
「そりゃ、まあ」
僕よりも適当に受けている男だ。何も言い返せまい。
「大丈夫だよ、別に授業サボってるわけじゃないんだからさ。たしかに集中力は落ちているかもだけど、それくらいだし」
「だったらいいけどな。頼むぜ? お前がちゃんとノート取ってないと俺が困る」
「勝手に困ってろ」
少なくとも誰かに見せるためにノートを取っているわけじゃないのだ。
「まあ、この話はいいよ」
松野は話題を切って、話を切り替えてきた。
「でさ、実際どうなの、憧れの先輩とは」
「どうもしてないけど」
「どうもしてないってことはないだろ。授業中とか、今とか、随分と長い間話してるんだろ?」
「そりゃまあ」
「ある程度の進展はあるだろ」
これがまったくない。
ほとんどが日常の一部を話しているだけだ。
授業が面倒だとか、先生が嫌いだとか、学校のことから、出先にいた猫が可愛かったとか、散歩中の犬に吠えられたとか、日常的なものまで。僕達は薄っぺらい会話を延々と重ねている。
「それでいいのかよ」
「いいんだ」
僕は先輩とこうしてやり取りできているだけで最高だ。
「さて、行こうぜ」
僕はスマホをポケットに入れて立ち上がる。
「あん?」
「次、授業だろ。先輩が授業終わったって。多分そろそろチャイムなるぞ」
腕時計で時間を見るとチャイムまであと一分くらいのところだった。
「まじで授業の終始話してんのかよ」
「い、いや、今回はたまたま」
「お前も、その先輩さんも、いつか単位落としそうだな」
「そこまでじゃないよ」
僕はともかく、先輩は絶対に大丈夫だ。なんたって頭が良いから。
「まあ、いいけど。一緒に卒業できないとか勘弁な」
「一年の内からそんな心配することないでしょ」
僕は適当にあしらって授業へと向かう。
しかし、たしかにもっと節度は守ったほうがいいかもしれないとは思う。
先生によっては指摘しないだけで授業態度として見ている場合があるらしいし、僕との時間のせいで先輩の成績が落ちるのは申し訳ない。と、思っているのだが。
『望くーん』
『はい』
『今は授業中?』
『そうですよ』
『ちゃんと受けないと駄目だぞ?』
それはそうだ。
でも、先輩が連絡をしてくるから集中できないわけで。
『ちゃんと受けてますよ。これは息抜きです』
先輩に指摘できるわけもなく、それっぽい返事を打ち込んで。
『先輩は空き時間ですか?』
『そ。友達とカフェでお茶してる』
『いいですね』
僕達はまたこうして浅い会話を重ねていく。
その日の授業もほとんど頭に入っていなかった。
「で、まずいと思うわけよ」
「そうかな」
「だって授業中とかずっとだぜ。隙あらばスマホ開いて連絡取り合ってるもん」
その日のサークルの時間。僕の目の前で松野と宮村が僕と先輩の話をしていた。ここ最近の授業態度の話だ。最近ずっとメッセージのやり取りをしていること、空き時間や授業中を問わず、ということを話して、
「うーん、鈴原くん」
「はい」
「授業はちゃんと受けたほうがいいよ」
「はい・・・・・・」
宮村からも言われてしまう。
しかし、そんなにまずい状態なのか僕は。
たしかに今までは真面目にノートを取ってきてはいたけど、ほとんどの人はそこまで真面目じゃないわけで。ずっと寝ている人もいれば、スマホでゲームをしている人もいる。別に僕だけがおかしいわけじゃない。
「でも、ちょっと気になるな。鈴原くんがそんなにご執心になる先輩っていったいどんな人なの?」
「どんな人って言われても」
なんて説明すればいいものか。
とても素敵な人なのは間違いないのだけれど、
「あ、俺一度会ったぜ」
横から松野が出てくる。
「ほんと? どんな人だった?」
「なんつーか。俺達とは縁遠い人だったかなー」
「縁遠い?」
「俺達と違って全然さ、雰囲気っていうのかな、オタクっぽさとか感じないわけよ。服装も身につけてるアクセサリーもキマってるし、なんか格好いい人だったな。陽キャの世界を生きてるって感じ」
そんな説明で先輩のことを理解できるのかと思ったが、
「へえ」
宮村は「なるほど」と頷いていた。
「そんなに美人さんなんだ」
「俺はそう思ったよ」
「私より?」
「それは、なんつーか、あれだな。ベクトルが違うっていうか。美幸は可愛い系だけど、あの人は奇麗っていうか大人って感じの気配だった」
大人っぽい雰囲気だったのは認める。
僕達みたいな子供っぽい雰囲気はなくて、ちゃんと自立しているような、そんな印象が先輩からはあった。
「鈴原くんは大人の魅力に落ちたと」
「分からなくはないけどよ」
「もういいだろ。わかったよ、授業はちゃんと受けるって」
二人の言葉が鬱陶しくなって、僕はスマホのゲーム画面を付ける。
言いたいことが分からないわけじゃない。二人が言っていることは至極真っ当なことで、そして、僕のことを心配してくれているってことも理解しているつもりだ。でも、先輩とのやり取りを、先輩との時間を奪われるのは嫌だった。
ムシャクシャした気持ちでゲームをプレイ。そんな中で教室のドアが開く音が聞こえた。誰か入ってきたのか、出ていったのか、これといって気にせずスマホの画面に集中していると、
「うわっ」
唐突に視界が暗くなった。
誰かに後ろから目隠しされたのだ。
「だーれだ」
聞こえてくるのは、よく知っている声。
「せ、先輩っ?」
「当たりー」
目隠しから解放されて、後ろへ振り向くとクスクスと笑っている先輩の姿。
「こんばんは」
「え、あ、はい。こんばんは、す・・・・・・え、どうしてここに・・・・・・」
「前にさ、この辺の教室で遊んでるって話してたでしょ? 丁度近くに来たから望くんの顔でも見ておこうかなって」
他愛のないやり取りの中で、たしかにそんな話もした気がする。
でも、わざわざ僕の顔を見に来てくれるなんて、そんな、なんて光栄なことか。
しかし、先輩はとても目立っていた。
僕達と住む世界が違うと言われるくらいだし、どうも雰囲気が不釣り合いで、サークルメンバーの視線が先輩に向いてしまう。
「んー」
先輩はそれに特に気にする様子もなく、
「あ、君は知ってる。望くんの友達?」
松野を見て言った。
「あ、はい、そうっす。松野健太です」
松野が恐縮した様子で頷く。
「君は初めて見る顔だ」
今度は宮村へと視線を向けて。
「は、はい。宮村美幸って言います。鈴原くんとは友達で」
「健太くんに、美幸ちゃん。私は赤坂。赤坂明乃。三年生」
三人が自己紹介する。
「友達が多くていいね、望くん」
「え、ええ、まあ」
実はちゃんと話すメンバーってサークルに所属している人達しかいないから、決して多くはないんだけども。
「さーて、邪魔するのも悪いし帰ろうかなー」
「邪魔なんてそんな」
「望くんも友達といたいでしょ?」
「い、いや、でも」
せっかく来てくれたのに、早すぎるのではないか。
「それとも」
にっこりと、けれども意地悪そうな笑みを先輩は浮かべて、
「私と一緒に帰る?」
「はい!」
即答だった。
先輩の誘いに僕は勢いよく頷いた。
近くに置いておいたリュックを背負い、帰り支度を一瞬で済ませる。
「じゃ、また!」
そう挨拶すると、松野と宮村は若干引き気味に挨拶を返してくれる。
「お、おう」
「う、うん、またね」
僕は教室の他のメンバーにも「お疲れ様です!」と声を掛けてから、先輩と二人で教室から出た。
なんてラッキーなんだ。先輩と一緒に帰ることができるなんて。
「・・・・・・本当によかったの?」
内心で喜びまくっている僕に先輩は躊躇いがちに訊いてきた。
「え、何がです?」
「友達と一緒にいなくて」
「ああ、大丈夫ですよ」
もちろん松野達やサークルメンバーのことを蔑ろにするつもりもないが、やっぱり今の僕にとっては先輩と一緒にいることの方が大事なのだ。先輩と一緒じゃないとこの幸福感は得られない。
「いつも適当に集まって、適当に解散するサークルですから」
「そうなんだ」
「はい。だから、今日は先輩と帰ります」
「・・・・・・うん」
そうして僕達は授業中にやっているような文章でのやり取りの延長線、他愛のない会話をしながら並んで帰り道を歩く。
幸せだ。
とても幸せだ。
トークアプリで話している間だって幸せだけど、やっぱり二人でちゃんと会話をしているというのがいい。
そうしながら学校から少し離れたところで、
「あれ? ちょっとさ」
そんな男の声はまるで僕達に聞こえるような言い方で、僕は思わず声が聞こえてきた方に視線を向ける。
「ほら、やっぱ明乃じゃん」
「お、ほんとだ」
二人組の男。
彼らは先輩の顔を見るなり言った。
見るからにチャラそうな人達だが、先輩の知り合いなのだろうか? 僕は隣にいる先輩へと顔を向けると、
「あー」
先輩はあからさまに面倒臭そうな顔で、
「何か用?」
「別に用ってほどじゃないけどさ。なんだよ、明乃。何怒ってんの? 偶然顔合わせただけじゃん」
「あそ。じゃあね」
先輩は僕の腕を掴むと構わず歩こうとするが、男は先輩の肩を掴んで引き留めた。
「ちょっと待てよ」
「なに?」
「最近付き合い悪くね。どうしたん」
「どうしたも何も、もうつるむ意味も理由もないよね?」
男の手を振り払う。
「おいおい冷たいこと言うなよ」
「そうそう、せっかく仲良くやってきたんだからさ」
ぐいぐいと先輩に迫る男達。
どうやら僕のことは眼中にないようだ。
てか、なんなんだ、この男達は。せっかく僕は幸せな気持ちでいたのに、先輩は不機嫌だし何もかも台無しだ。そもそも先輩のことを明乃明乃って何様なんだ。僕だってファーストネームで呼んでみたいわ。
・・・・・・よし。
絡まれるのは怖い。
因縁付けられるのも怖い。
だけど、そのままじっとしていることもできない。
僕は自分を奮い立たせて一歩前に出た。
「ま、まあまあ、この辺で」
「あ?」
ぎろりと二人の睨みが僕に刺さる。けども、ここで引き下がるわけにはいかない。
「その、ほら、先輩――赤坂さんも嫌がってるみたいですし、ね? 女性に無理強いするのは良くないんじゃないかって思うんですけど」
ビビりながらも愛想笑いを浮かべた。
そんな僕に男達は舌打ちして。
「なに、お前?」
「何でもいいけどさ。君には関係ないでしょ? 引っ込んどいてくんね?」
更に睨みつけられる。普通に怖い。
「い、いや、関係ないかもですけど、その」
怖いけど、僕は目を逸らさず男達と向き合う。
「はあぁぁ・・・・・・白けたわ」
やがて、男の一人がそう言った。
「だりーよ、お前」
「それ」
男の一人がそう言ってこれ見よがしに溜息を零した。
「明乃。今度は一人のときに声かけるわ」
「じゃあねー」
男達はそんな言葉を残して去っていった。
男達の姿が見えなくなって、そこで僕の緊張の糸が切れた。思わずその場で崩れ落ちて動けなくなる。
「・・・・・・怖かったぁ」
本当に怖かった。
今まで喧嘩なんてしたこともないし、ああいった連中と関わろうと思ったこともない。まさかもまさか、こうやって立ち向かうときが来るとは考えてもいなかった。
「の、望くん、大丈夫?」
「あ、ああ、はい。先輩こそ」
「私は何ともないよ」
それならよかった。
「えーっと、あれって先輩の知り合いですか?」
「まあ、うん、知り合いっていうか」
ちょっと言いにくそうにして、
「その、元カレの友達」
「・・・・・・元カレ、すか」
「うん。・・・・・・あれ、どうかした?」
「あ、い、いや、なんでもないです・・・・・・」
元カレ。元カレってなんだ。あれだ。
つまり前の彼氏。
そうか、そうなのか。
いや、でも当然か。
先輩のような美しい人だ。一人や二人、それ以上の誰かとお付き合いしていても何ら不思議じゃない。しかし、そうは思っていても重くのしかかる何かが僕にはあった。
「今は、というか、昔から全然関係のない奴らなんだけどね、たまに会ったら話す程度の普通に他人」
「は、はあ、そうですか」
「ごめん、巻き込んじゃって」
「いえ、僕は別に・・・・・・」
勝手に間へ入っただけだ。
「あとね。助けてくれてありがと」
「助けられた自信はないんですけど、でも、役に立てたなら何よりです」
「立った立った。格好よかった」
「格好いいことはなかったと思いますけどね」
めちゃくちゃ声は震えていたし、今も座り込んだままだし、格好いいからはあまりにも程遠いと思うけども。
「もう立てる?」
「あ、はい」
差し伸べられた手を握る。先輩の手は細くて、小さくて、少し冷たかった。
「すみません、ありがとうございます」
「ううん」
先輩の手を握れたというのに、踊りたくなるくらい嬉しいのに、心が鉛のように重い。
「どうかした?」
「え?」
「手、じっと見てたから。・・・・・・あ、ごめん、汚れてた?」
「あ、ああ、いや、そんなことないです。僕の手こそ汚れてなかったかなって、ちょっと気になっちゃって」
「そう? 大丈夫だよ」
「それならよかった。じゃあ、帰りましょうか。今度こそ」
「そうだね」
そうして僕達は今度こそ帰り道を歩く。
とくに会話はなかった。僕からも、先輩からも、何の話題も出てこなくて無言のまま足だけを前に動かしていた。
やがて、僕達は駅に着いてしまう。
「あーっと」
別れの時くらい何か気の利いた話を、なんて僕には出てこなくて。
「それじゃ、先輩」
一言ぺこりと頭を下げるだけだった。
「うん。またね」
「はい、また」
駅の中に入って改札をくぐり、ホームに降りてから大きく溜息を零した。
「・・・・・・元カレ、か」
自分でも不思議なくらいショックを受けている。
別に僕が彼氏になりたいとか、なれるとか思っているわけじゃない。好きだけど傍にいられるだけで幸せだと思っていた。でも、先輩は少なくとも一度他の誰かの女性だったという事実は僕の心に重くのしかかっていた。
「はあぁぁぁ・・・・・・」
また大きく溜息。
これが応援していたアイドルの結婚報告を聞いた時の気分か。いや、違うか。
そもそもだ。
今だって彼氏がいるのかもしれない。僕はただの友達、いや昔からの顔見知りで相手をしてくれているだけだと思うと、いや、それでももちろん光栄なことなんだけれど、なまじ最近やり取りが多かった分ダメージになる。
「舞い上がってたのは僕だけだもんな・・・・・・」
そう呟いて、僕は背中を丸めた。