15
翌日。
流石に二日連続の外泊はまずい――というか、親への言い訳も思いつかず、服も着替えたかったために家へ帰ることにした。明乃さんの「帰っちゃうの・・・・・・?」なんて甘い誘惑をギリギリの理性で抑えつけつつ。
――そうして、お昼をちょっと過ぎた頃。
僕は先輩の住む部屋のドアホンを鳴らした。
『はい』
「あ、明乃さん。僕です。望です」
『望くん。今開けるから』
「はい」
パタパタと足音がドアの向こうから聞こえてきて、
「望くん!」
ドアが開いたと思ったら、ぎゅっと抱きしめられた。
「ど、どうしたんですか、明乃さんっ」
「もう来ないかと思って、その、心配で・・・・・・」
そんなことあるわけないのに。僕は彼女の背中をぽんぽんと叩いて、
「大丈夫ですよ」
そう言った。
「僕は絶対にどこにもいきません。必ず明乃さんの傍に帰ってくるんです」
「うん」
これが僕にできることだ。
「ごめん。・・・・・・ちょっと取り乱したね」
一回、二回と深呼吸をして、明乃さんは僕に向き直る。
「うん、ごめん。緊張してたのかも。もう大丈夫」
「それならよかった」
僕は明乃さんの頭を撫でて、
「でも、無理はしないでくださいね」
「わかってる。・・・・・・で、もう行く? 私も準備はできてるけど・・・・・・」
「明乃さんがいいなら僕も大丈夫ですけど、本当に大丈夫ですか? 一休みしてからでも全然いいんですよ?」
「ううん。今きっと一休みしてたら、望くんから離れたくなくて動けなくなっちゃうから」
そんな可愛いことを言ってくれる。
「じゃ、じゃあ、行きましょうか。・・・・・・さっさと終わらせて、その後二人でのんびりしましょう」
「うん」
――そうして二人で街を歩く。
とはいえそんなに長く歩く距離ではなかった。訪れたのは駅近くの繁華街。
「この辺って・・・・・・」
丁度僕が襲われた場所の近くだ。
「あの、こんな近くに屯ってるんですか」
「うん。だから当時の私にとって大学も住む場所も都合良かったんだけどね」
「でも、これじゃあ、部屋に押し寄せてくることもあるんじゃないですか」
「あー、最初の頃はあったけど、警察に通報してからはばったり。今は静かな毎日だよ」
「なるほど」
流石は警察の力か。
「それで、どこに向かうんですか」
「こっち」
指示された方向へと明乃さんと一緒に道を歩く。
繁華街の裏通りに入り、営業しているのか怪しい居酒屋や、どこにニーズを寄せたか分からない風俗店の前を通り過ぎて、やがて目に入ってきたのは一軒の喫茶店。
「もしかして、ここですか」
「そう」
「いや、でも、普通の喫茶店に見えるんですけど」
その周りからは普通さを感じられなかったけど、この場所だけは普通の喫茶店としてそこにある。どうにも異様な光景だった。
「普通だよ。夜にはバーとして営業してるんだけど」
「そうなんですか」
まだ二十歳ではない僕はお酒が飲めないから縁遠い場所だけども、いつか僕にもこういった場所の良さが分かるのだろうか。
「ん」
そんなどうでもいいことを考えていると、隣に立つ彼女の手が少し震えているような気がした。
「大丈夫ですか?」
握る手にぎゅっと力を込める。
「え、う、うん、平気。望くんこそ大丈夫?」
「大丈夫です。怖気づいてなんていませんよ」
「そっか。・・・・・・うん、じゃあ、行こうか」
頷いて、僕達はお店の中へと入る。
カランカランと、ベルの音が鳴った。カウンターで立っているカフェのマスターと思しき壮年の男がこちらに視線をくれて、
「いらっしゃい」
「お久しぶりです。・・・・・・あの、彼は?」
「ああ、久しぶりだね。アイツならいつも通り。奥の席にいるよ」
「ありがとうございます」
明乃さんは店の中へと歩いてき、僕もその後ろをついていくと。
言われた通り、奥の席に一人の男がいた。
認めるのは癪だが整った顔立ちだ。
長めのブラウンの前髪を弄りながら、ぼけーっと煙草を吸っている。テーブルに置いてある煙草の箱が目に入って、それは明乃さんが吸っていた煙草と同じ銘柄だった。
「・・・・・・卓司」
明乃さんはその席に座っている男をそう呼んだ。
「あん?」
男――卓司と呼ばれた彼の目が僕達の方へと向いた。
「おお? おおお?」
少しだけ驚いた様子で声を出すと、
「――よお、明乃」
人懐っこい笑みを浮かべる。
見た目は不良っぽいが、どこか飄々とした印象だった。
座っていても分かる。背は僕よりもずっと高いだろう。カラフルな柄シャツとジーンズがよく似合っていた。どこにでもいる青年にも見えるが、何故かそうとは思えない雰囲気を感じる。
「久しぶりだな。お前がここに顔出すの。あれ、どんくらいぶりだっけ」
「あの、卓司」
「あん?」
「話があってきたの」
「・・・・・・そうかい」
卓司さんは「まあ、でしょうね」と言いつつ煙草の火を消して、
「ま、座ってくれよ。・・・・・・お連れさんもさ」
「うん」
「し、失礼します」
言われた通りに明乃さんが向かいのソファへ座る。僕もその隣に座った。
「えーっと、明乃はココア? お前好きだったろ。ここのココア」
「う、うん」
「お連れさんはどうする? 酒でもいいよ。・・・・・・ああ、そうだ、良いワインが入ったんだよ。俺達の出会いを祝してそれを開けようか」
「あ、あの、すみません。僕まだ十九で・・・・・・」
「ああ? そんな細かいこといいじゃん――と言いたいところだが、ここが営業停止になると困るからな・・・・・・」
しぶしぶと言った様子で、
「じゃあ、どうする? ここは酒以外もおすすめなんだ。明乃と一緒にココアとか?」
「え、あ、はい」
訊かれて頷く。
「おっちゃん。ココア二つ。あー、あと、コーヒー。アメリカンね」
卓司さんがカウンターに向かって言うと「あいよ」と注文が通り、しばらくして僕達の前にココアが、卓司さんの前にコーヒーが置かれる。
「さて。明乃」
「うん」
「用件は何だい」
世間話もせず本題へと切り込む。
「俺に話があって来たんだろ」
卓司さんの声は優しかった。
ここは僕が口を挟むことじゃない。
じっと見守ることしかできない。僕は「頑張れ」と祈る。
「わ、私と・・・・・・」
明乃さんは卓司さんへと目を合わせた。
「ああ」
「・・・・・・私と別れてほしい。もう、私に関わらないでほしい」
そうはっきりと告げた。
その言葉に、
「は、はは」
卓司さん声が漏れる。
「はははははははは!」
フラれたはずの本人は笑っていた。
「はははははははっ! そんな、そんなことをわざわざ言いに来たのかよ!」
店の中だというのに大声で豪快に笑う。
「ははは、いや、失礼。失礼なんだが、はははははっ!」
「何がおかしいの」
「い、いやいや、すまん。・・・・・・俺は、俺のグループは来るもの拒まずだが、去るもの追わずだ。いや、少なくとも俺はそう思っているんだけどな、今更そんなこと言われると思ってなかった。まさかはっきり面と向かってフラれるときがくるなんて思ってもなかったぜ」
実に面白そうに言う。
「で、でも、あなたの友達を名乗る人が」
僕は思わず間に入っていた。
「あ?」
「あなたの友達が明乃さんに会いたいって、明乃さんに近付くなって、僕も暴力を振られました」
「あー?」
睨みつけられ、僕は竦んでしまうが、もう引き下がることはできない。
「なんだ、その話」
「本当のことだよ。一昨日だって大学の文化祭に来てたの。あなたが私に会いたがってるって」
「・・・・・・知らねえな」
「でも」
「まあ、待ってくれ。俺は何も知らん」
「明乃さん、話を聞こう」
「でも、だって・・・・・・、望くんだって入院したんだよ? それくらいの怪我を負わされて」
「僕のことはいいんだ。だから、とにかくこの人の話を聞こう」
「・・・・・・うん」
僕にも卓司さんが嘘を付いているとは思えなかった。
興奮気味の明乃さんを宥めて、卓司さんへと目を向ける。
「すみません、卓司さん。話を聞かせてもらえませんか」
「ああ」
卓司さんを頷いて、
「真実、俺は何も知らないんだ。さっきも言った通りだが、俺のこのグループってやつは来るもの拒まず去るもの追わずの方針だ」
「はい」
「・・・・・・明乃が去っていったのは、たしかに残念だとは思ったけど、でも、追えと指示したことは一度もない。・・・・・・だから、明乃。お前が俺のグループを離れた後は何も知らないんだ。住んでるアパートはそりゃ知っているが、俺が近づいたことは一度もないよ」
「でも、明乃さんはストーカー被害と通報したこともあると」
「なんだそりゃ」
「本当のことです」
目を逸らさず卓司さんへと視線を向ける。卓司さんも逸らすことはなく、
「なるほどな」
そう頷いて、
「じゃあなんだ? 俺のグループで、俺の望んでいないことをする奴がいるってことかい?」
「僕はそう思います」
頷いて、
「ふうぅぅぅぅぅ」
卓司さんは深々と息を吐き出した。
「ちょっと待っててくれ」
テーブルに置いていたスマホを弄りだして、誰かに電話をかけるようだった。
「もしもし、俺だ」
「どうして連絡してきたか、わかるよな? わからない?」
「飲みの誘いじゃねえよ。馬鹿か、お前は」
「明乃のことって言えばわかるか? 俺の名前まで出して随分余計なことしてくれたみたいだな、ああ?」
「・・・・・・謝ったところで許す気もねえ。脱退すれば済むなんて生ぬるいことはしねえ。一つだけ言っておく。覚えておけよ。このクソ野郎」
ドスの利いた声でそう言うと、スマホを耳から離した。
そして。
バンっとテーブルに手をついて、僕達に深く頭を下げた。
「・・・・・・すまなかった、明乃。お前のことを気に入っていた馬鹿共がいたのは気づいていた、つーか、知ってたんだ」
「そう、なの?」
「ああ」
卓司さんは頭を下げたまま言葉を続ける。
「でも、まあ、お前は俺の女だって公言してたし、そのつもりだった。俺の傍にいるんなら何もないと思っていたんだ」
「うん」
「・・・・・・でも、そうだよな。俺のグループは自由だ。自由なら、そうだよな。余計なこと考える奴だっているか・・・・・・」
そう呟くように言って、顔を上げると、
「なあ、煙草いいかい?」
「あ、はい。僕は大丈夫です」
「明乃は? 吸う?」
「ありがとう、でも、禁煙中」
「そうかい」
卓司さんは箱から一本取り出すと火をつける。そして、深く深く煙を飲んで、
「お連れさん」
僕に向かって、
「名前はなんつーの?」
「の、望です。鈴原望」
「オーケー、鈴原望。望でいいかい」
卓司さんの言葉に頷く。
「まずは謝罪を。・・・・・・すまなかった、望。あんたが怪我をすることがあったなんて本当に知らなかった。治療費はご両親が?」
「あ、はい、そうですけど」
「そうか。それをお返ししたい。いくらだったかわかるかな」
「い、いえ、そんな。卓司さんがお支払いするものでは」
「馬鹿共のやったこととはいえ、グループの面して出てきたなら俺の責任だ。それがリーダーってもんの責任だ」
「それでも、えっと、僕はそうやって謝ってもらっただけで十分ですから。両親もきっとそう言うと思います」
「・・・・・・ありがとう。そう言ってくれるだけで救われる」
また深々と頭を下げて、
「それに明乃」
「え、う、うん」
「お前にもすまない、本当にすまなかった。ストーカー被害も、それ以外に会っていたことも知らなかった。グループリーダーとしての汚点だ」
卓司さんの最初の印象とは違う。イメージにあった不良とは程遠い一本筋が通った男と感じる。明乃さんの話を聞いた限りでは随分な悪者とも思っていたのだが、案外そうではないのかもしれない。
「あんまり信じない方がいいよ」
明乃さんが横からそんなことを言う。
「え?」
「内心では何考えてるか分からないから。昔からそうなんだよ」
「手厳しいね」
卓司さんは苦笑して、
「だけど、まあ否定はしないよ。俺は自分がクズだってことくらい自覚しているし、まったくもってロクでもない男だ。信用しろなんて言わんさ」
言いながら卓司さんはまた煙を吐き出した。
「・・・・・・さて。話を戻そう」
「はい」
「明乃は色んな奴から人気だったんだ。最初はやっぱり真面目な女の子だったからな。珍しさもあって色んな奴が興味を示していたし、俺もそうだった。俺の手から離れたから近づこうとしたメンバーがいても、そりゃ、不思議じゃない。これからも多少のちょっかいはあるかもしれない」
「そう、ですか」
「ただ、どこのどいつが何をしてようと関与しないというのも俺のスタンスだ。まあ、だから今回みたいな問題も起こるわけだが」
「あなたの言葉も聞いてくれないの?」
そんな明乃さんの言葉に卓司さんは少し悩んで、
「どうかな」
そう言った。
「聞いてくれる奴もいるだろう。でも、逆もいるだろうと思う」
「あの、どうにかしてもらえませんか」
「ああ、もちろん。こういうトラブルが起きた以上は黙って静観もできねえ」
あっさりとそう返事をされた。
「何が目的なの」
明乃さんも訝しんで問うが、
「おいおい、少しは信用してくれよ、何も考えてない。俺だってメンバーに不祥事を起こされると困るんだ。後が色々面倒なんでね」
面倒とはグループでやっている悪いことだろうか。
でも、今はそれを糾弾したいわけじゃない。僕は黙っておく。
「明乃」
「なに?」
「いや、なんだ」
煙を吐き出して煙草の火を消して、
「お前はやっぱりこっち側の人間じゃなかったな」
卓司さんはしみじみと言った。
「どういう意味?」
「真面目ちゃんでいたほうが、お前は幸せだってことだよ」
そう言って卓司さんは二本目の煙草に火をつけると、
「さて」
「はい」
「うん」
僕達は揃って頷くと、
「あんたらの話は分かった。謝ることは謝ったし、残りのことはこっちで何とかしておくよ。万が一また絡まれるようなことがあればすぐに俺に連絡してくれ」
「あなたの連絡先なんて消しちゃった」
「まじかよ、しゃーねえな」
溜息交じりにスマホを弄って、
「望」
「は、はい」
「これが俺の連絡先だ。何かあったら連絡しな」
「・・・・・・はい」
僕達は連絡先を交換する。
まさか明乃さんの元カレの連絡先をもらうことになるとは。
「さて、じゃ、二人とも帰んな。・・・・・・ここにいるとまた絡まれるかもしれんだろ」
「あ、は、はい。あ、ココアの代金を」
「それくらい奢ってやるよ。気にしなさんな」
「え、あ、ありがとうございます」
頭を下げて、席を立つ。
「じゃあな。明乃」
「うん」
「もう会うこともないだろうが、元気でな」
「・・・・・・あなたも、元気で」
「なんだかんだ楽しかったよ。会えてよかった」
「私も、会えてよかった」
「おう、じゃあな」
ひらひらと手を振る卓司さんを背に僕達はお店を出る。
・・・・・・思いの外、あっさりと話は終わってしまった。
並んで歩き、裏通りを離れ、人の賑わう繁華街へと戻ってきて。
「これで」
「はい?」
「これで一安心だよね、望くん」
「ええ、はい」
たしかにこれで不良に絡まれることはないだろう。絡まれても、きっと、卓司さんが助けてくれるという認識だ。
僕達は、明乃さんはグループからちゃんと離れることが出来る。
「どうかしたの?」
「いえ」
でも、これでよかったのかと心が言っている。
何か足りない。
何か伝えていない。
「・・・・・・ごめんなさい、先に帰っていってもらっていいですか」
「え、どうかしたの?」
「あの、ちょっと、忘れ物しました!」
そう言って明乃さんを置いて、僕は裏通りへと走って戻る。
一つだけ聞いておきたいことがあった。
聞かなければならないことがあった。
さっきの喫茶店まで向かうと、ちょうど卓司さんが店から出るところだった。
「卓司さん!」
「あん?」
こっちに視線をくれて。
「どした、忘れ物か?」
「はい」
僕は頷いて、
「あなたに一つ聞かなければならないことがありました」
「あ? なんだよ」
卓司さんは僕の方に向き直る。
「どうして」
こんな質問をする意味がどれだけあるのか、僕にも分からなかった。
聞く必要なんてない。無駄なことをしていると思う。
「どうして、どうして、あなたにとって明乃さんは一番じゃなかったんですか」
それでも聞かずにはいられなかった。
「明乃さんは、本当にあなたのことが好きだったんです。あなたのことを本気で想っていたんです。それなのに・・・・・・どうして・・・・・・」
「ちっ、面倒臭い質問だな」
「・・・・・・すみません」
「そんなこと知ってどうするんだよ、ええ?」
「い、いえ、どうするとかはなくて、ただ気になって、といいますか・・・・・・」
僕のあやふやな答えに卓司さんは溜息を零して、
「ま、価値観の差と言えば簡単だけどな」
言いながら煙草を咥える。
「俺のスタンスはグループを作ったときからずっと変わってない。来るもの拒まず去るもの追わずだ。一番とか、二番とか、そんな重いこと言われても困るんだよ」
「重い?」
「重いよ、正直だるい。・・・・・・ああ、でも、そういうところが真面目ちゃんの明乃らしいところだったのかな」
思い出すように言って煙を吐き出す。
僕は拳を握りしめていた。
もうこの人には明乃さんへ関心がないんだと思うと、ふつふつと怒りが湧いてきた。今すぐにでも殴りかかりたい、明乃さんの気持ちを「重い」だなんてたった一言で片づけられたことが本当に腹立たしかった。
「おいおい、そうキレるなって」
卓司さんは僕の目を見て鼻で笑った。
「それとも俺と喧嘩してみるか? もう一度病院送りになるぞ」
「・・・・・・っ」
自分でもわかる。殴り合いになったとして卓司さんには絶対に勝てない。
でも、ここで何もできないというという事実があまりにも悔しくて、歯を噛みしめる。
「つーかさ、望」
「・・・・・・なんですか」
「俺が今でも明乃を大切にしていたらお前が困るだろ。え? 今は都合が悪い立場にいるんじゃないのかい?」
「僕は・・・・・・」
その通りだ。卓司さんが明乃さんを一番にしていたら、きっと彼女は僕から離れてしまうことになる。
でも。
それでも。
「・・・・・・僕は、僕は、明乃さんが幸せならそれでいいんです」
明乃さんが笑っていてくれるなら。
幸せでいてくれるなら。
そうすることができるのは、僕じゃなくてもいい。・・・・・・もちろん僕でありたいけども、そんなことよりも一番は明乃さんの気持ちだ。
「若いねえ」
「若さなんて関係ないじゃないですか」
「そうか? まあ、そうかもな。・・・・・・何してもだよ。あんたらと俺じゃそもそも住む場所が違うんだよ。真面目ちゃんは真面目ちゃん同士よろしくやるのが一番ってことだ」
「そう言いますけど、あなたが明乃さんをそっちに引き入れたんじゃないですか」
僕の反論に「色々知ってるねぇ」と呟き、
「そうだよ。俺がグループに引き入れた。そうだがね、そこから先は各々が決めることだろう。合わないから抜ける奴もいるし、自分の居場所と思って住み着く奴もいる。ただ明乃は抜ける奴だったってことだ。単純な話だろ」
「それは、でも、じゃあなんで明乃さんに手を出したんです? それが彼女を縛ることになるかもしれないって思わなかったんですか!」
「おいおい。それはお前の八つ当たりだ。俺は可愛くていい女だと思ったから手を伸ばしただけだよ。払いのけなかったのは明乃の方だ。悪いオオカミに捕まりたくなかったら、毒でも棘でも仕込んでおけばいいんだよ」
「それは・・・・・・」
そうなのかもしれない。
「望、お前にとって明乃は一番かい」
「・・・・・・もちろんですよ」
「じゃ、大切にしてやりな」
「言われなくてもそうします、・・・・・・僕は、僕が明乃さんを幸せにしますから」
「ああ、そうしてくれ」
卓司さんは「じゃあな」と背を向けて去っていく。
僕はこれ以上言えることもなくて、ただ見送ることしかできなかった。
「望くん」
卓司さんの背中が見えなくなった頃、後ろから声を掛けられる。
「明乃さん・・・・・・」
「帰ろ」
「・・・・・・はい」
僕は明乃さんに手を引かれて道を歩く。
歩幅は合わない。僕の足が遅いのだ。
「ごめんなさい」
「何が?」
「余計なことしました」
「うん、そうだね」
はっきりと頷かれる。
「・・・・・・でも、でも。僕は本当に明乃さんに幸せになってほしかったから、だから、あの人がどう思っていたのか知りたかったんです」
「もし、卓司が私のこと一番だって言っていたら?」
「 そうだったら、明乃さんに、本当に僕でいいのか選んでもらいたかった。明乃さんが幸せになれる方を選んでほしかったんです」
「勝手なこと言うね。望くん、一番にしてくれって言ってたのに」
「それは、はい・・・・・・」
僕でよかったのか自信が持てなかったのも事実で、そして、明乃さんを信じ切れなかったと言われれば、その通りだという他ない。
明乃さんは足を止めて、僕と目を合わせる。
「私、怒ってる」
そう言う明乃さんは、泣きそうな目をしていた。
「・・・・・・はい」
「でも、信じられないのも分かるよ。私だって信用されるような人間じゃないし」
「それは、そんなこと」
でも、言葉が続かない。
僕が明乃さんを疑ったのは事実なのだ。
「・・・・・・大馬鹿野郎だ、僕は」
もう、項垂れることしかでない。
「ごめんなさい、僕はただ明乃さんには幸せになってほしくて・・・・・・ただ、本当にそれだけで・・・・・・」
「望くん」
「はい」
「望くんと一緒いる私は幸せじゃない?」
「それは、それは・・・・・・」
幸せでいてほしい。幸せであってほしい。
・・・・・・僕とずっと一緒に。
「明乃さん」
そうだ。もう疑わない。
僕はずっと明乃さんと一緒にいるのだ。
「ん?」
「僕が幸せにします」
僕の口から出た言葉は、きっと明乃さんへの答えになっていない。
でも、
「幸せにさせてもらえませんか」
明乃さんの手を握って、目を合わせて、はっきりと告げる。
「ええ?」
「僕があなたのことをずっと絶対幸せにします。卓司さんと話したからじゃありません。僕の意思で明乃さんを幸せにしたいんです」
「・・・・・・うん」
「明乃さんが、僕といて幸せだって思わせてみせます」
「うん」
「明乃さんも、僕でいいですか」
「――いいよ、私も望くんと一緒にいたい」
ここが人気の少ない裏通りでよかった。遠慮なく明乃さんを抱きしめられる。
「ふふふ」
「な、なにかおかしいところありました?」
「ううん、なんかプロポーズされたみたい」
「それは・・・・・・」
たしかにそんな気がする。
「それはまた、僕がもっとちゃんと、大人になってから言います」
今はまだ子供すぎる。
「約束だからね」
「はい。明乃さんこそ待っていてくれます?」
「うん、楽しみにしてる」
「よかった」
「でも、あんまり待たされたら困るなー」
「は、はい、努力します」
二人で笑い合って、僕達はまた手を取り合った。
「帰ろ、望くん」
「はい、明乃さん」
今度こそ歩幅を合わせて歩く。
「明乃さん」
「なに?」
「好きです。ずっと好きですからね」
「うん」
「僕、必ず幸せにしますからね」
「うん」
握り合う手に力が込められて、僕も少しだけ力を込めた。




