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そうして。
あっという間に夜が訪れてしまった。
「ふう・・・・・・」
まずは一息。
何、そこまで考えることはない。ただメッセージを送るだけだ。
こんなことで緊張している場合じゃないだろ。そう自分に言い聞かせて、意を決して明乃さんへとメッセージを送る。
『こんばんは』
『まだ起きてますか』
そんな僕のメッセージにすぐ既読が付いて、
『待ってたよー』
そして可愛らしいハートをまき散らしたウサギのスタンプ。
さて、今日はどんな話をしようか、これといって大した話はいつもしてないけど。
「あ、そうだそうだ」
頭の片隅で考えていたことがあった。せっかくなら声も聞きたいし、『今から電話はできますか?』とメッセージを送ると、すぐにOKのスタンプが返ってくる。
「あ、もしもし?」
『うん。どうかしたの?』
「あーっと、こ、声を聞きたくなってーとか、どうです?」
『さらりと言えてたら点数高かったなー』
「ですか・・・・・・」
僕にはまだ難易度の高いことだったらしい。
『でも嬉しい。私、望くんの声好きだよ』
「え、あ、そうですか? なんつーか嬉しいです」
特質することのない平凡な声だと思うけど、好きな人に好きって言ってもらえるのはそりゃ嬉しい。
『ところでどうしたの? 本当に声を聞きたかっただけ?』
「あ、は、はい。声ももちろん聞きたかったんですけど、えっと、昼に話してたことと言いますか、そろそろ文化祭が始まるじゃないですか。うちの大学」
『うん』
「あー、あの、文化祭の日って空いてますか」
『んーと、全日?』
「あ、なんか予定ありました?」
『初日の日は真美とショッピングにいく約束しちゃってて』
そうか・・・・・・。文化祭に関係ない人達にとっては休日。分かっていたんだから早々に約束を取り付けないといけなかったのだ。とはいっても明乃さんが友達と遊ぶことの制限はしたくもないし、今回は仕方ないか。そう諦めかけたところで、
『二日目以降は全部空いてるんだけど』
「え」
てっきり全日埋まっているのかと思った。
『どうかしたの?』
「あ、いや、じゃあ、それで、その二日目以降でいいんで僕と一緒に回りませんか、文化祭」
『ふーん』
「・・・・・・駄目ですかね?」
『駄目じゃないけど、それはデートのお誘いかな、望くん?』
デート。
そうか、これはデートになるのか。
僕は初めての文化祭だし、明乃さんも行ったことがないという話だった。いい機会だと思っただけで意識はしてなかったけど。それならもっと初デートにふさわしい場所があるか。一瞬だけ考えて。
「・・・・・・はい。僕とデートしてくれませんか、明乃さん」
とはいっても遊園地が近場にあるわけじゃない。水族館も動物園もない。
都心に足を延ばしてショッピングもいいけど、真美さんと行ってすぐにまた僕とショッピングというのも明乃さんが退屈だろう。それに、せっかくならお互いに初めての体験という方が楽しめる気がする。
『いいよ、デートしよ?』
そんな返事に、僕は思わずガッツポーズする。
「楽しみです!」
『うん、楽しみ。さてさて、望くんはちゃんと私をリードできるかなー?』
「えと、はい、が、頑張ります・・・・・・!」
できます! とはっきり男らしく言えないのが現実だ。
『そこは自信持って言ってよー』
「とは言われましても・・・・・・」
『あーあ、望くんの彼氏レベルが下がったなー』
「え、彼氏レベルってなんですか」
もしかして下がりすぎるとフラれるとか? それは困る。嫌だ。
『彼氏レベルが下がると』
「下がると?」
ごくりと生唾を飲む。
『私が主導権を握ります』
「主導権」
『そう。望くんは尻に敷かれるようになるんです』
「それは・・・・・・」
そこまで気にするようなことでもないけど。
でもまあ、僕はこれでも男だ。できることなら腕を引かれるより腕を引く立場でいたい気持ちがあるのもたしか。
「これから頑張って上げますよ!」
『お、望くんは主導権を握りたい派?』
『腕を引く立場ではありたいと思います! 男の沽券として!』
『そっか、頑張って!』
頑張りますよ! 僕は!
『ふふふ、私も頑張らないとなー』
「え、何をです?」
『真美とのショッピング。初デートの服がそこで決まるからね。ちゃんと似合ってるって思われないと嫌じゃん?』
「そんな、明乃さんは何着ても似合うと思いますけど」
よく見る姿はパーカーにジーパンだけど、いつも格好いいと思う。
『とかいってピンクのフリル着て来たら引くでしょ』
そりゃ、うん。引きはしないと思うけど、間違いなく驚くな。
『ま、そういうわけだからしっかり考えてくるからね! 望くん、覚悟するよーに!』
「はい、頑張ります!」
『あ、下着の好みとか訊いといたほうがいい?』
「え、え、ええっ?」
『冗談』
心臓に悪い冗談だ。
それでなくとも、未だに明乃さんの半裸(ほぼ全裸)のことを思い出してドキドキしているのに。
『望くん』
「は、はい」
『初デート、楽しみにしてるからね』
「僕もです」
それからくだらない雑談を挟んで、お互い眠くなったところでお開き。
眠ってまた日常がやってきて。
そんなことを少し繰り返していると、やがて学校全体は文化祭の話題一色となってきた。
学生全体がどこか浮かれていたし、サークルの中でも何を展示するのか、どう展示をするのか、そういった話題が増えてきた。高校でも文化祭ってものはあったが、大学でもこのお祭りみたいな雰囲気は変わらない。
そうして。
あっという間に文化祭当日を迎えた。
迎えた。迎えたのだが、
しかしだ。
「・・・・・・くっそ暇だー」
思わず声を漏らしてしまう。
一日目のサークルの当番(といっても展示物の監視)は僕と数人のサークルメンバーだった。松野と宮村が初日にデートをしたがって不在。僕も翌日に時間を貰ったし、そこは何の文句もないのだが、如何せん暇すぎる。
「まさかこんなに暇だとは」
「まあまあ、そう愚痴るな。俺なんて毎日いるぜ。会長になんかなっちまったから」
同じ当番の増田さんがスマホでゲームをしつつ、
「ほら、周回イベの消化に丁度いいぞ」
「そうかもですけど」
とはいっても文句を並べても仕方ない。僕はスマホをポケットから出して、増田さんに倣ってゲームを開く。たしかに周回には丁度いい。最近プレイしている暇もなかったし良い機会なのかもしれない。
「なあ、鈴原」
「はい?」
ポチポチと画面を押しつつ返事を返す。
「えーっとだな、その、なんというか、えーっとだな、まだ、続いてるのか?」
「んん? 何がです?」
「ほら、あれ、アイツだよ。その、赤坂明乃と・・・・・・」
「あー・・・・・・」
そう言えば何も言ってなかった。心配してくれていたんだし、増田さんには一言伝えておくべきだったのかもしれない。
「えっと、あのですね、付き合うことになりました」
「え? はあ?」
ガタンと増田さんは椅子から落ちそうになって、
「どういうことだ?」
「いや、その、明乃さんと。色々話して、交際しましょうってなって、それで今お付き合いさせてもらってます」
「・・・・・・まじ?」
「まじす」
「・・・・・・はぁぁあああ」
深々と溜息を零して、「ここにもカップルかよ」と吐き出すと、
「てかさ、お前、あんな目に遭って付き合えるのかよ」
「まあ、明乃さんがやったわけじゃないですし」
それに今のところ誰にも絡まれていない。まだ短い日数だし、一人で帰ることを避けているからかもしれないけど。
「そもそも推しがどうとか言ってただろ」
「そりゃ言いましたけど、まあでも、その、付き合えるなら、やっぱり、はい」
我ながら現金な性格だった。そんな僕に増田さんはもう一度大きく溜息を吐き出して、
「鈴原、お前苦労すんぞ」
「はい、どんとこいです」
きっと、おそらく、明乃さんと一緒にいられる苦労ならなんてことはない。
「まあいいや、せいぜい幸せにな」
「はい」
「サークルも蔑ろにすんなよ」
「はい」
「あーあ、今年の一年生は色恋に励みすぎだよな、まったく」
増田さんの愚痴を聞き流しながら、僕はゲームをしつつ明乃さんのことを思う。
今日はお友達とショッピングって言っていたけど楽しめているだろうか。メッセージを送ることも考えたけど、鬱陶しそうな気がしてやめておく。
(明日会えるもんな)
そう、明日は僕達が大学の文化祭を回る番だ。
「楽しみだなぁ」
「あん、何がだよ」
「あ、ああ、いや」
思わず声に出てしまった。
しかし、本当に楽しみなのだ。早く今日一日が過ぎ去ってほしい。
「けっ、浮かれやがって」
「あはは・・・・・・」
増田さんの気持ちも分からないでもない。少し前まで僕もそうだったのだから。
でも、初デート。浮かれないわけがないのだった。
――と、この時まではそう思っていたのが、
「本当にこれでいいのか・・・・・・」
当日になって僕は自室のクローゼットの前で頭を抱えていた。
デート。初デート。きっと明乃さんだってオシャレしてくる、というか、するだろう。となると僕はどうする? 当然オシャレをするべきだ。デートは一人がするものじゃないと思うから。
僕なりに色々考えた。
髪を気にすべき。
服を気にすべき。
匂いを気にするべき。
色々と考えて、考えて、考えて、出来上がったのが普段と大して変わらない姿。カジュアルシャツにジーンズというものである。
そもそもだ。
ファッション誌で輝く男達とは違うモブ姿の僕だ。突然モテ顔のイケメンになって格好つけるには整形手術から始まる。
「これ以上悩んでも無駄だよな・・・・・・」
道中、自分の姿を何度も気にしながら大学へと向かう。せめて服くらいはデート用のを用意しておくべきだったかと後悔しつつ。
そして、待ち合わせの校門前に着いても、少しでも良くならんかという見栄もあって、諦めきれずに前髪を弄っていると、
「お待たせ」
明乃さんの声がした。
僕はその方向へと顔を向けて、
「あ、い、いえ、全然――」
そして固まってしまった。
「どうかした?」
「いえ、その」
美しかった。
あまりにも美しかった。
珍しい、というか、中学時代の制服以外では初めて見たスカートの姿だ。
ブラックとダークグリーンのチェック柄で大人しい色ではあるが元々明るい色を着ない人イメージだったから、違和感なくしっくり着こなされている。グレーの縦柄セーターに肩から掛けられたショルダーバッグもいつものリュックと違う。女性らしさを感じられる。
そんな姿に僕は上手く反応することができなくて、
「あ、えっと、どこかおかしかった?」
「い、いえ、いえいえ、全然そんなこと」
よく見ればピアスの数も少ない。両の耳たぶに二つ小さいものが付けてあるだけだ。
「あの、本当に奇麗で、思わず見惚れちゃいました」
「望くんとのデートだったから気合い入れました」
「こ、光栄なんですけど」
本当に光栄なんだけども。
こんな美しい人の横に立つのは僕でいいのだろうか。いつもと変わらない野暮ったい姿の僕で。
「望くん?」
「あ、はい、なんです?」
「望くん。顔、暗いよ」
優しく「どうかしたの?」と訊かれ、僕は正直に口を動かした。
「いや・・・・・・改めて不釣り合いだなと思いまして・・・・・・」
「不釣り合い?」
「明乃さんは美しい人です。誰よりもそうです。でも、その横にいるのが僕みたいな奴だと思うとあまりにも釣り合っていないなーと思いましてね、ちょっと思うところがあったといいますか、なんといいますか」
「そんなことないよ」
そう言って、明乃さんは僕の両頬を強めに押さえて。
「ぶえっ」
「私はさ、望くんにはいつも通りの姿でいてほしい」
「そ、そうですか?」
「だって望くんの魅力に気づかれても困るもん。私以外の誰かが望くんのこと好きになられるのは嫌」
「そ、そうれふか?」
そんなことはないと思うけど。
でも、明乃さんが良いと言ってくれるならそれでいいのかもしれない。自分でも単純な男だと思うけど、僕の判断基準は基本的に全て明乃さんだ。
「分かってくれた?」
僕の頬を開放して、
「は、はい、明乃さんが望むなら僕は僕のままでいます」
「よろしい」
今度は僕の左手を捕まえた。
「じゃ、いこうか。文化祭デート」
「は、はい」
僕達は手を繋いで校内の敷地へと入っていく。
大学の文化祭のもなれば一つのお祭りみたいなものだ。
いろんな部活、サークルから出店が出ていて、保護者会の出し物まである。僕達は手始めにまず校舎内のものから見ていこうと普段は講義で使っている建物に足を踏み入れた。
「どこか行ってみたいところとかあります?」
「そうだねー」
明乃さんは入り口で貰ったパンフレットを二人で見つつ、
「あ、ここ行きたい」
「どこですか?」
僕は指を差された場所を覗き込む。指を差されていたのはアニメ・ゲーム同好会の展示会。どこかで見覚えしかないサークル名だった。
「・・・・・・いや、その、くっそつまらないサークルですよ。まじで。やめときません?」
「そんなことないって」
「いやいやいや、ほら、その隣でやってるレトロゲーム同好会の方が絶対面白いですって。何でも一昔前のゲーム機でパーティーゲームができるらしいですよ。どうですか!」
「ごめん。私、あんまりゲームに興味ないから」
それならなんで何もしていないに近い同好会の場所へと行こうとしているのか。
「ここって望くんが参加しているサークルだよね」
「まあ、はい」
「望くんの物も出てるよね?」
「そ、そうですね」
「それ見たい」
「・・・・・・そうですか」
もはやダメとは言えなかった。
何かやばいものを出していなかっただろうか。
まあ、バレなければ問題ないだろう、多分。
そんなことを考えつつ、僕達はエスカレーターを上って展示会をやっている教室へと向かう。レトロゲームで盛り上がっている教室はスルーして、閑散としている教室にやってきた。
「お、鈴原」
「鈴原くん」
今の時間帯は松野と宮村が当番の時間だったらしい。
「おー」
返事をしながら、
「あれ、増田さんも当番の時間じゃなかったっけ」
言いつつ教室を見渡しても姿は見えない。今日も当番だったはず(会長だかららしく毎日いるし当番時間も多い)なのだが、
「先輩なら隣だよ。熱中してて帰ってこないんだ」
「ああ、レトロゲームの?」
「そう。増田先輩ああいうの大好きだからな」
「なるほどね」
挨拶くらいはと思ったけど、ゲームに熱中しているなら仕方ない。それなら挨拶するほうが野暮というものだろう。嫉妬されて機嫌悪くされても困るし。
「お邪魔しますよ」
「あ、赤坂先輩、どうもっす」
「こんにちは、お疲れさまです」
二人はぺこりと明乃さんへ頭を下げた。
「あの、デートですか」
宮村が踏み込んだ質問をして、
「そう」
「わー!」
「邪魔しないでね?」
「はい!」
宮村はキラキラした目で頷いて「運命の二人がついに・・・・・・」なんてボソボソ言っている。まあ、気にしないようにしよう。
「で、ここが望くんのいるサークルなんだ」
そう言いながら明乃さんは教室を見渡す。
色んな作品の可愛い女性キャラクターのタペストリーやポスターで埋まった壁。机を合わせて作られた展示コーナーはロボットのプラモデルや女の子のフィギュアが所狭しと飾られている。
「ねえ」
明乃さんは僕でなく、宮村へと顔を向けて。
「あ、はい、なんでしょう」
「望くんの展示物はどれ?」
「いやいや、ちょっと明乃さん!」
僕じゃなくて他人に聞くのはずるい。
「いいじゃん。出しているなら見られても困らないものでしょ?」
「そ、それは、まあ」
そういうオタク趣味のものに関心のある人達に見られるのは気にしないけども。自分の彼女に、明乃さんに僕の出したものが見られるのは流石に恥ずかしい。それに幻滅される可能性だって大いにある。
「あ、これです。ここに置いてあるプラモデル」
宮村は僕の気持ちなんか気にしないで教えてしまう。明乃さんは僕のプラモデルに近付いて、
「あー、これは知ってるかも。なんか見たことある気がする」
「有名なロボットアニメですからね・・・・・・」
「そうなんだ。格好いいね」
「そ、そうですか?」
「うん」
ちょっと喜んでしまう。
しかし、ここでこのロボットことやアニメのことを深く語ったらダメだろう。僕は堪えて「それならよかった」と返すに留める。
「他には?」
「他ですか」
その言葉に固まる。僕は自分が何を持ってきたのか思い出していた。
「あとは、これですね」
宮村は気にすることなく指差す。
そこには壁に貼り付けられたタペストリー。
派手な髪色をした女の子が大変きわどいポーズをしている。服装も、隠さなければならないところを最低限といったもので、これはお気に入りのゲームの特典だったものだ。せめてもの救いは対象年齢が十五歳以上だったことだろうか。いや、そういう問題ではないか。
「ふーん」
明乃さんはそのタペストリーをじっと見て、
「望くん、こういうのが好みなんだ」
「いや、その、好きというか、なんというか」
僕は冷や汗をかきながら釈明しようとする。しかし、いい言葉は思いつかない。
「髪の色、派手だね。ピンク色だ」
自身の黒い髪と見比べながら言う。
「まあ、そうすね」
「おっぱいも私より大きいよね」
「そ、そうでしょうか」
バスタオル越しで触れ合った明乃さんの胸もなかなか・・・・・・。まて、そうじゃない。
「なんだよ、鈴原。そのキャラクターめっちゃ推してたじゃん」
余計なことを言うやつが一人増えた。
「ちょっと黙ってて」
「結婚したいとかなんとかさ」
「おい松野!」
そんな話をする必要はないだろう! しかも明乃さんの前で!
「へー。そうなんだ」
「い、いや、それは言葉の綾と言いますか」
「私のことずっと好きだとか言いながら」
「明乃さんのことはずっと好きでしたけど、ほら、これはその、ね? えっと、二次元の話ですし! リアルには関係ないというか!」
「あーあ、君も浮気性なんだ。幻滅」
「そんなぁ」
情けない声が出る。
「なーんて」
「へ?」
「嘘」
「明乃さん・・・・・・」
「でも、アニメもゲームもいいけど、これからは私が一番じゃないと駄目だから」
「は、はい!」
もちろんだ。僕には先輩がいればいい。本当の気持ちだ。
「なんだよ、思ってたより仲良いじゃん」
「幸せそうでいいよね」
そんな言葉が聞こえてくるが耳にはまともに聞こえてこない。僕は明乃さんとの二人の世界にいて他のものは入ってこなかった。
「あ、望くん」
「はい」
「でも浮気したからペナルティね」
「・・・・・・まじすか」
浮気したつもりはないんだけれど、明乃さんの笑顔は本気のものだった。
「ち、ちなみに、どういうものでしょう」
「うーん、これから考える」
「そうですか・・・・・・」
どうか、ほどほどなものにしてください。
内心で祈りつつ、教室を後にして。
それから僕達は色んな場所へと顔を出していく。
パンフレットを見てみれば、知らないサークルもたくさんあった。そのほとんどが色々な出し物をしている。
伝統あるスポーツサークルが女装喫茶をやっていたり、最近設立されたらしいサークルが自家用プラネタリウムで気合いの入ったものをやっていたり、僕達は飽きることなく回っていって、
そうして校舎を回り、やがて外に出る。
「色んなサークルがあるんですね」
「この学校そういうの多いらしいね。設立条件が緩いからかな」
「なるほど」
「私も詳しくは知らないけど。でも、これだけサークルが出し物してると楽しいよね」
「ですね」
校舎の外は食べ物の出店が多い。火が使えるからだろう。フランクフルト、フライドポテト、焼きそばから聞き覚えのない国の郷土料理まで色んな出店がある。匂いだけでお腹が空いてきた。
「どこか回ります?」
「うーん、とりあえず一休みかな」
そう言って明乃さん近くのベンチへと座った。僕も倣って隣に座る。ここら辺は穴場なのかあんまり人がいない。少しくっついていてもいいかなーなんて思っていると、
「望くん」
「え、あ、はい?」
下心がバレたかと一瞬焦る。
「楽しんでる?」
「楽しんでますよ」
「ほんと?」
「本当ですよ」
この大学に入学して明乃さんほど月日は経ってないが、こんなにもサークルがあるなんて知らなかったし、活動的な場所が多いことも知らなかった。それを知れただけでも文化祭に来た価値があると思える。
「どうかしました?」
「ううん、私の勝手で連れ回してたら悪いなーって」
「大丈夫ですよ。明乃さんと一緒ならどこでも楽しいですから。・・・・・・てか、文化祭に誘ったのは僕じゃないですか」
「そうだけど。望くんが行きたかった場所とかあったんじゃないかなーって。ほら、この教室とかチア部が喫茶店やってるらしいよ」
そう言ってパンフレットを指差す。
「だ、大丈夫ですって」
「でも望くん。好きそうだし」
「そりゃあ嫌いじゃないですけど・・・・・・」
「ムッツリだね、望くん」
「・・・・・・すみません」
「ま、いいけど」
明乃さんは笑って僕の両頬をむにむにと触って、
「だって何の欲求もなかったら不安になるじゃん」
「そ、そうれふふぁ?」
「そうなの」
言いながら僕の頬を離した。
「でも、ありがと。今日は誘ってくれて」
「い、いえ、そんなの」
「私、自分の通ってる学校がこんな雰囲気なんだって初めて知った気がする」
「そんなの僕だって。明乃さんと一緒じゃなかったら一生知ることなかったかもしれませんよ」
二人でにへっと笑う。
「あー、歩き回ってたらなんか喉乾いちゃった」
「それじゃあ、何か買ってきますよ」
「いいよいいよ、それなら一緒に行く」
「いいですって。明乃さんは休んでいてください」
「そう?」
「はい」
「じゃあ、お願いしていい? 適当に自販機で買ってきてくれればいいから」
「任せてくださいよ」
そう言って僕は近くの自動販売機へと向かう。丁度少し歩いたところに自販機があることを知っていた。
明乃さんの好みはなんだったろうか、ココアが好きなのは知っているけど、それ以外だと紅茶かコーヒーか、コーヒーよりもたしか紅茶の方を飲んでいることが多かった気がする。
「よし」
僕はホットのミルクティーと自分の緑茶を買って、明乃さんが待っているベンチへと向かうと、
「あれ・・・・・・?」
明乃さんの前には二人組の男がいた。
ナンパか? と思ったが、
「アイツら、たしか・・・・・・」
遠目からでも分かる。
忘れるわけもない、僕を蹴って殴った連中だ。ここの学生ではないと思うから大学が文化祭で自由解放になっているから入ってきたのか。僕は慌てて明乃さんの元へと走って、
「おいっ!」
僕は明乃さんと不良二人組の間に滑り込む。
怖いとか、関わりたくないとか、そんな気持ちはどこかへいってしまっていて、ただ明乃さんを守らなきゃという思いが僕をこの場へ立たせていた。
「あ? なんだお前」
当然の如く睨みつけられた。
「望くん・・・・・・!」
僕は明乃さんを背に隠すように立って、
「か、彼女に何の用ですか」
「お前・・・・・・」
「・・・・・・何の用ですかと、聞きました」
もう一度問う。
「ああ、そうか。害虫くんか。何? もう一度痛い目に遭いたいの?」
酷いあだ名をつけられたものだ。
でも、それで引き下がってはいられない。
「殴られたことは覚えてますよ」
「だったら退けよ。俺達は今明乃と話してるの」
「退けません」
僕はありったけの勇気を振り絞って言った。
「僕は明乃さんを護ります」
「あ?」
「これ以上絡むようなら大声を出しますよ。あなた達のことは警察にだって話してありますし、当然学校にも話してあります。この場所で不利なのはあなた達だ」
「お前、ガキが・・・・・・!」
二人分の怒りを向けられる。
僕はそれだけで怖くて崩れそうだったけど、それでも引けない。じっと二人のことを睨みつける。
「・・・・・・ちっ」
舌打ちされて、二人組は「いくぞ」と背を向けた。
不良の姿が見えなくなって、僕は深々と息を吐きだし、明乃さんの隣へ座った。
「だ、大丈夫ですか、明乃さん」
「うん・・・・・・望くんこそ」
「僕は大丈夫ですよ」
勝手に間へ入ってきただけだ。
そうだ。と、明乃さんに買ってきたミルクティーを渡そうとする。僕の手がちょっと、というか、かなり震えていて格好悪かったけど、それよりも明乃さんの様子がさっきと違うように見えた。
「あの、どうかしました?」
「な、なんで」
「いや、えっと・・・・・・もしかして何か言われました?」
「何でもない・・・・・・」」
「何でもないってことはないでしょう」
どう見てもいつもの雰囲気じゃない。怯えているって気配でもないし。
「・・・・・・ごめん」
「なんで謝るんですか」
先輩が悪いことなんて何もないのに。
向こうが勝手に絡んできただけだろう。
「・・・・・・ごめん、ごめん、望くん・・・・・・」
「いったい、どうしたんですか?」
「アイツらに言われたんだ。・・・・・・あの人が待ってるって、私に会いたがってるって・・・・・・」
「あの人、って」
誰だ、と思いつつ。
何故か何となく理解していた。話してもらった前の彼氏のことが頭に過っていた。
「私、それに一瞬揺らいじゃった。・・・・・・一番は望くんなのに、望くんのはずなのに」
涙を流しながらそういう彼女に、
「明乃さん」
「ごめん、最低だ、私」
明乃さんが気にする必要なんてない。
僕はまだ明乃さんの一番になれていないだけだ。
そう言えばいい。
「明乃さん」
僕は明乃さんの隣に座って、まだ震える手で肩を抱いて口を開く。
「たとえば・・・・・・たとえば、僕が、僕達がいつか別れたとして、そうなっても僕はすぐに明乃さんを忘れられないと思います。たとえ新しい彼女ができても、たとえ新しい伴侶に出逢えても、僕はきっと明乃さんを思い出すと思います。そんなもんなんです」
明乃さんと別れる未来なんて想像したくはないけど、でも、そういう未来があるとしたら、きっといつまでも引きずることになると思う。我ながら気持ち悪い話だが。
「・・・・・・望くん」
「だから、その、気にしないでって、話なんですけど」
そんなことを言いながら、僕の心には嫉妬の炎が熱く燃えている。
「・・・・・・そういう話をしたいです。したいはずなんですけどね」
僕は一番じゃないといけないって、一番にしてほしいって、叫んでくる。
「・・・・・・ごめんなさい。謝っても仕方ないんですけど、ごめんなさい。本当は嫉妬してます。なんで一番じゃないんだって、思ってます」
隠しきることが出来なくて、僕は自分の気持ちを吐きだした。
「どうすればいいですか、どうすれば明乃さんの一番になれますか」
分かっている。本当は分かっている。
僕にできることなんて何一つない。
僕がどれだけ想っていても、想っただけ気持ちが返ってくるわけではないし、明乃さんに届かないとしたら、それはもう仕方のないことなのだ。
「望くん、好きだよ」
隣で明乃さんが言う。
「本当に好きなんだよ。・・・・・・信じてもらえないかもしれないけど」
信じたい。
僕と明乃さんの気持ちは通じ合っているんだって思いたい。
「・・・・・・はい」
そのためにはどうすればいいのか。
僕は深く深く息を吸って、ゆっくりと吐き出して、自分の頬をペチンと叩いた。
「すみません! 明乃さん、弱音を吐きました!」
にっこりと笑ってみせる。
「信じますし、信じてます。僕は明乃さんを疑いません」
「・・・・・・望くん?」
ぎゅっと強く、明乃さんの肩から手を放して、ぎゅっと手を握る。
「僕は明乃さんが好きです。明乃さんの言葉ならなんだって信じられますよ!」
こうしてこそ僕らしいはずだ。ウジウジ悩むのは一人になってからでいい。
「望くん」
「はい?」
唇が塞がれる。温かくて脳が溶けそうになる。
だけども、ここは公共の場だ。流石に恥ずかしい・・・・・・けど、離れることなんてできなくて。
「――あ、明乃さんっ」
「ふふふ、ありがとう」
明乃さんも僕の手を握って、
「こんな私のこと、ずっと好きでいてくれて、今も最低な私のこと好きでいてくれて、本当にありがとう」
「そんなの、当たり前じゃないですか」
僕の気持ちがそう簡単に薄れることはない。
「そもそも最低なんて思ってないですし」
「そっか」
「明乃さんはいつも最高の人ですよ」
「そんなことないよ。望くんが思ってるほどいい人じゃないから」
「そうですか?」
「望くんは私を神格化させすぎ」
困った彼氏だよ、望くんは。と笑って、
「・・・・・・私、会いに行くよ」
しっかりと僕の目を見て言った。真剣な瞳だった。
誰に会いに行くのかなんて分かっているけど、僕にはやっぱり心配で。
「大丈夫、なんですか?」
「うん、大丈夫だよ。ちゃんと会って、それで、ちゃんと別れてくる」
「でも・・・・・・」
明乃さんの意思は固く、瞳も揺るがなかった。
「もうお前なんか必要ないって、私は望くんと一緒にいるんだって。私にはそれくらいしかできないけど、そうしたら望くんも安心してくれるでしょ?」
「ぼ、僕は、僕には明乃さんが一緒にいてくれたらそれでいいですよ・・・・・・」
僕の得る安心のために、明乃さんが無理をするなんてそんなのは駄目だ。
「大丈夫」
微笑んで握った僕の手を持ち上げる。
「逃げてきたことを清算するだけなんだ。私が私のために、望くんと一緒にいるために」
「明乃さん」
「もう逃げないよ、頑張る」
「・・・・・・はい」
行かないでくださいとは、もう言えなかった。
「望くんの気持ちもちゃんと受け止めるからね」
「はい」
頑張ってくださいって、僕には応援することしかできない事が悔しい。
それから僕達はただ隣に座っているだけだった。
会話もなく周りの喧騒に耳を傾けているだけ。
せっかくの文化祭だ。横入はあったけどそろそろまた楽しみましょう。なんて、そんなことを言おうとして、でも口を閉じることを繰り返している。
「ねえ、望くん」
「は、はい?」
「なんかさ、文化祭回る気持ちじゃなくなっちゃったね」
「そう、ですね」
その通りな雰囲気だ。
「あーあ、せっかくデートのために服も一式買ったんだけど」
「え、まじすか、いや、ほんとすみません・・・・・・」
「望くんは悪くないでしょ。悪いのはアイツら」
まあ、たしかに。
「せっかくだしさ、うち来ない? 一緒にココア飲も」
「いいんですか」
「もちろん。私の彼氏なら尚更大歓迎」
なんてことを言いながら明乃さんはベンチから立ち上がる。
「じゃあ、お供します」
「うん、いこ」
「はい」
僕達はどちらともなく手を繋いで学校を後にする。
相変わらず会話はなかった。
何か話をしないとなんて思うけど、都合のいい言葉は思いつかない。僕はただ歩幅を合わせて歩くだけ。
やがて明乃さんの住むアパートへと着き、僕は部屋にお邪魔させてもらう。
「適当に座ってて」
「あ、はい」
僕は前と同じようにソファに座って小さくなっていると、やがて明乃さんが二つのマグカップを持ってやってきた。
「熱いから気を付けてねー」
「はい、ありがとうございます」
カップを受け取って啜る。ココアの甘みと温もりに心が落ち着く。
「美味しい?」
「美味しいです」
「ふふ、よかった」
明乃さんも隣に座ってココアを一口。
「あれ、明乃さん」
「んー、どうかした?」
「煙草はいいんですか」
たしか以前に帰ってきたときはココアを飲んで煙草を一服することがルーチンと言っていた。でも、テーブルには煙草も出していないし、灰皿もない。
「あー、禁煙中。やめようと思って」
「そうなんですか?」
「うん、まあ、グループにいた影響で吸ってたところも大きいし、望くんと付き合うようになったならそういうのもやめようって。それにさ、えーっと、なんというか」
「なんです?」
「・・・・・・キスするときに煙草の匂いがしたら嫌じゃん」
「そ、そうですか」
別に気にしないでいいのにと思いつつ、・・・・・・まあ、でも、身体には良くないものだ。理由はどんなものでも明乃さんの健康に繋がるならそれがいい。
「あの、質問してもいいですか」
思わず出てきた疑問が口を開かせる。
「ん、なに?」
「明乃さんは、その、グループにいたときはどんな感じだったんですか」
「えー、知っても面白くないよ、そんなこと」
「知りたいんです。明乃さんのこと」
真剣な目を向けると、明乃さんは「そうは言われてもなー」と、
「少し悪ぶってただけかな」
「悪ぶってた」
「そ。夜遅くに集まってさ、煙草吸ったり、お酒飲んだりして騒いだり。本当に大したことなんてしてなかった。でも、それだけで楽しかったし、それで大人になってた気がしてた」
「ですか」
僕の知っている明乃さんはやっぱり真面目な姿のものだ。
悪ぶっている明乃さんの姿なんて想像できないけども、知っている人がいると思うとちょっと嫉妬してしまう。
「ん、どうしたの?」
「ちょっと嫉妬してました」
「なんで急に」
「明乃さんの元カレつーのは知っているわけじゃないですか。明乃さんが悪ぶっているところ。僕の知らない一面を知っていると思うと、こう、ムカムカしてくるというか。いいなーというか」
「そっか」
「ごめんなさい、僕、器量の狭い男です」
こんなことで嫉妬していけばキリがない。
明乃さんの持つ色んな一面も、抱擁も、キスも、それ以上のことだって、僕はどれも初めてじゃないのだろうから。
「いいよ」
明乃さんはそんな僕を撫でて、
「何も感じてなかったら、私に興味ないかもって少し凹む」
「でも、あんまり嫉妬させないでください」
「お互いにね」
「僕は嫉妬なんかさせませんよ」
なんたって一番はずっと明乃さんだ。
「どうかなぁ」
「本当ですって」
「でも、結婚したいキャラはいるんだよね?」
「うぐっ、今その話持ってきますか・・・・・・?」
「ふふふ、冗談」
僕達は笑い合って、自然と顔が近づいていき、唇はココアの味だった。
「ねえ、望くん」
明乃さんは胸にトンと抱き着いてきて、
「なんですか」
「・・・・・・今日さ、泊っていってよ」
「え」
「駄目?」
「い、いや、そんなことはないんですけど」
それがどういう意味なのかくらい、僕だって分かる、つもりだ。
「僕は」
僕でいいのか。なんて言葉はきっと今相応しくない。
「望くん?」
「・・・・・・あの、僕も、その・・・・・・泊めてほしいって思ってました」
「うん」
「だから、泊めてもらえますか」
「もちろん。・・・・・・じゃあ、また色々用意しないとね」
「はい、でも、今はくっついてたいです」
「うん」
明乃さんは頷いて、また僕達は唇を重ね合わせた。
*
「・・・・・・っんあ?」
深夜――というよりも早朝に近い時間にふと目が覚めた。
見慣れない天井。
パンツしか穿いていない自分。
なんだこれはと回らない頭で横を向くと、僕の腕を握っているのは僕と同じようにほぼ全裸の愛しい人。彼女の姿が目に入ってようやく頭が動き出す。
ああ・・・・・・。
そうか。
そうだったか。
記憶を呼び戻し、噛み締める。
幸せだ。これが幸せなのだ。
隣ですやすやと眠る彼女の頭を思わず撫でてしまいそうになるが、余計なことをして起こしたくない。可愛らしい寝顔を眺めておくだけにする。
うーむ。しかし、完全に目が覚めてしまった。
じっとしていればまた眠気もくるだろうとも思うのだが、彼女の寝顔を見ていると当然冷静な気持ちでいられなくなる。しかし、かといって悪戯心に手を伸ばす勇気もなく、僕はただ明乃さんを見つめていた。
「・・・・・・ん。んん・・・・・・?」
やがて、
「・・・・・・望くん?」
まどろんだ瞳で明乃さんが僕の名前を呼ぶ。
「あ、ご、ごめんなさい。起こしちゃいました?」
「ううん。だいじょうぶ・・・・・・」
「だったらよかったですけど」
話してみたらもう少し気まずい気持ちもあるかと思ったが、そんなことは全然なくてむしろ愛しいって思いが溢れてきて、僕は明乃さんの頭を撫でる。
「どうします? もう少し寝ますか?」
「んー。起きる」
「まだ結構早いですけど」
窓の外はまだ薄暗い。日がちゃんと昇るにはまだ少し時間があるだろう。
「望くんは?」
「明乃さんが起きるなら僕も起きます」
「じゃ、一緒に起きようか」
「はい」
ベッドから起き上がって身体を伸ばす。流石にシングルのベッドで二人は狭い。多少の身体のコリは感じるなーなんてことを思いつつ、
「って、明乃さんっ!」
「んん?」
「前! 前! む、むむむ胸が! あなた、その、パ、パンツしか穿いてないんですよ!」
自分の姿を気にせず身体を伸ばす明乃さんに、僕は興奮――じゃなくて、慌ててしまう。
「望くんもじゃん」
「いや、そうですけど! 男と女は違いますって!」
「今更恥ずかしがることもないのにー」
「い、いやいやでもですよ」
たしかにあんなことやらそんなこともさせてもらったけども。
「しょうがないなー、望くんは」
なんて言いながら、明乃さんは床に脱ぎ捨てたままの衣服を羽織る。
「・・・・・・って、それ僕のシャツじゃないですか」
「彼シャツ」
可愛い。
「グッときた?」
「・・・・・・めちゃくちゃきました」
「やった。・・・・・・ねえ、ちょっと借りててもいい?」
「別にいいですけど」
僕は緊張を押し殺して、
「でも、ボタンはちゃんと閉めてください」
そう言っても明乃さんは僕をからかって閉じてくれない気がして、自分で閉じることにした。これはこれでドキドキするけど、ずっと肌色が見えていたんじゃ心臓が持たない。
「ありがと、望くん」
「いいえ」
「じゃあ、お茶入れてくるね」
「あ、はい」
明乃さんがベッドから立ち上がってキッチンへ向かう。上は僕のシャツを着てくれたけど、下はパンツのままだから結局僕の理性は試されていた。脚とか、お尻とか、目が釘付けになりそうなところを気合いで離す。
僕も脱ぎ散らしたままのTシャツやズボンを穿いて着替え終えると、ちょうど明乃さんがお盆にカップを二つ乗せて持ってきてくれた。
「紅茶です」
「ありがとうございます」
受け取ってずずずと一口。うん、ちょっと熱い。
「そいや、明乃さんってコーヒーは飲まないんですね」
「コーヒーは苦手なの。苦いから」
「なるほど」
「ちょっとカッコ悪いかな」
「そんなことないですよ」
好き嫌いなんて誰にでもあるものだし。
「望くんは苦手なものってないの?」
「これといってないですね。・・・・・・わりかし何でも飲めるし、食べられますけど、あー、でも極端に辛かったり、甘かったりするものは嫌かな」
「おー、えらい」
「いや、それほどでも」
そんな雑談をしながら紅茶をゆっくり飲む。
うむ、今まで生きていて一番幸せな朝だ。間違いない。
こんな朝が何度でも続けばいいと思う。例えば、そう、お互いに大学を卒業して就職したら同棲するとか、そんなことを考えるには少し早すぎるか。三年生の明乃さんはともかく、僕はまだ一年生なわけだし。
「どうかした?」
「へ?」
「なんか嬉しそうにしてるから」
「あ、ああ、なんか、こういう朝って、なんか幸せだと思って」
「そっか」
微笑みながら頷いて、
「私も幸せ」
僕の肩に明乃さんの頭が乗る。
「それならよかったです」
二人で笑い合う。ああ、本当に幸せな時間だ。
「ほんと、こんな時間もあるんだね・・・・・・」
明乃さんはどこか遠い目をしてそんなことを言う。
「えっと、聞いてもいいか分からないんですけど」
「うん。いいよ」
「その、今まではなかったんですか。こういう時間って」
「なかったよ。会って終わり。寝て終わり。一緒の時間を共有したことなんて全然。それでも通じ合ってると信じてたから幸せだって思ってたんだから、おかしいよね」
「そう、ですか」
「あ、ごめん・・・・・・望くんに、彼氏の前でする話じゃなかった」
「い、いやいや、聞いたのは僕ですから」
どんな人なのかは知らないけど、明乃さんが好きだったんだから、きっとすごい人なのだろうと思っていた。でも、実はそんなことなくて、裏では悪いことをしているかもしれない人で、明乃さんのことを幸せにできない人で。
「望くん」
「え、はい?」
「ちょっと怖い顔してる」
「ま、まじですか」
笑って誤魔化す。今僕が知らない人に怒りを覚えても仕方ない。僕にできることは明乃さんが今までのことを忘れるくらい幸せになってもらうこと、だと思う。
「明乃さん」
「なに?」
「えっと、これからのあなたの時間は僕が貰います。僕の時間もあなたにあげます。だから、一緒に過ごしていけたらいいなというか、いきましょうというか」
ちょっと格好つけようと思ったのがいけなかった。緊張して言葉がぶれてしまう。そんな僕をキョトンとした目で見て、それから、
「あはは、望くんテンパりすぎ」
明乃さんは声を出して笑っていた。
「で、ですね」
僕も思わず笑う。
「でも、格好いいこと言えるようになっちゃって」
「めちゃくちゃ緊張してましたけどね・・・・・・締まらないな、僕ってやつは」
「ううん、いいよ、望くんらしくて」
明乃さんが肩から離れて、僕と目が合う。
「望くん」
「あ、はい」
「私の時間あげるから、ずっと私と一緒にいてね?」
「・・・・・・もちろんです。ずっと一緒にいてください」
そう言って、
「でも、今度はもっと上手く格好つけますからね」
僕は笑って見せる。
「うん、楽しみにしてるから」
自分でハードルを上げてしまったかもしれない。
まあ、いいだろう。明乃さんを笑顔にできれば上出来だ。
「・・・・・・で、話はちょっと変わるというかなんですけど」
少し聞きたかったことを訊くことにする。
「うん、なーに?」
「前の彼氏に会うって昨日言ってましたけど、どうやって会うつもりなのかなって、連絡先とか残っているとか?」
「連絡先は逃げるって決めたときに消しちゃった」
「まあ、ですよね」
「グループも抜けてるんだけど、流石にスマホの電話番号までは変えてないからメンバーの奴らはショートメールとかでたまに連絡送ってくる。望くんが怪我させられたときみたいに」
「なるほど。では、それに返信して呼び出す的な?
「ううん。元カレが屯している場所を知ってるの。いつも通り、何も変わってないならそこにいると思う」
「そうなんですか」
「うん。ま、ささっと行って、ちゃちゃっと帰ってくるよ」
「・・・・・・あの」
「んん?」
「僕、一緒に行ってもいいですか」
少しだけカップを握る手に力が入った。
「え、望くんも?」
「はい。・・・・・・邪魔にしかなりませんかね」
「そんなことはないけど、もしかしたら危ないかもしれないし」
「危ないところに行くなら尚更一人では行かせられませんよ!」
「私は大丈夫だよ。顔見知りだし」
なんて言いながら「多分・・・・・・」と小さく呟いた。
「僕も絶対連れて行ってください。てか、駄目って言われても尾行してでもついていきますからね」
「わかった、でも、危ないって少しでも思ったら・・・・・・」
「はい、その時は二人全力で逃げましょうね!」
「ふふふ、うん、そうしよう」
二人で笑い合う。
僕は明乃さんの過去の全てを知ったわけじゃない。
だから、その清算に干渉することはできないだろう。きっと、本当にその場へ付き合うだけだ。でも、せめて辛い思いをするかもしれない明乃さんの手を握っていられるようにしたい。
「それで、いつ行きます? 僕はもう文化祭のサークルノルマ初日で終わらせているんでいつでも大丈夫ですし、明乃さんが都合悪ければ授業が始まってからでもサボっていきますよ」
「授業サボってまで付き合ってもらうことじゃないよ。・・・・・・でも、そうだね・・・・・・先延ばしにしても嫌な思いする時間が増えそうな気がするから、うん、行くのは明日かな。それでいい?」
「はい、僕は大丈夫です」
念のために防犯グッズとか買って持っておいたほうがいいかな。なんて考えていると、
「望くん、お茶飲み終わった?」
「あ、はい。ごちそうさまでした」
「うん。おかわりは?」
「いえ、今は大丈夫です。ありがとうございます」
明乃さんは「じゃ、カップ貰うねー」と僕からカップを受け取り、シンクに持っていくのかと思えばテーブルの上に自分の分と二つ置いた。それから僕の方へ向き直って、
「さてと」
「はい」
「今日は英気を養う時間にする」
「はい――って、ちょ、ちょっと!」
僕の太腿に「どーん」なんて言いながら頭を乗せてきた。
「え、ど、どうしたんですか、いきなり・・・・・・」
「んー? にゃー」
可愛い。
可愛いけど、日本語じゃなくなってしまった。
「まあ、いいか・・・・・・」
とりあえず頭を撫でておく。明乃さんは少しくすぐったそうにして、
「にゃーにゃー」
甘えてくる彼女はとても可愛い。いつもとは違う一面に心がぎゅっと締め付けられる。
「えへへ」
「どうしました?」
「にゃーっていうの、ちょっと恥ずかしかった」
「あら」
「でも、今日はこうやって二人で過ごそうね」
「・・・・・・はい、そうしましょう」
「望くんはいっぱい私を可愛がること」
「え、ああ、はい」
それは全然望むところではあるが。
「これはペナルティの消化でもあります」
「ぺ、ペナルティって、ああ・・・・・・」
文化祭の展示物――タペストリーの推しキャラに求婚していた話か。
「にゃー、いっぱい可愛がるにゃー」
「恥ずかしいんじゃなかったんですか? それ」
「・・・・・・恥ずかしいけど、望くんの気が引けるからやる」
そんなことを言われたら嬉しくなる、どころじゃない。抱きしめて、キスして、何かとにかくくっついていたくなるじゃないか。
「明乃さん・・・・・・」
「にゃー?」
「あの、ちょっと可愛すぎです」
「えへへ、ありがとにゃー」
僕の理性との戦いも幕を開けつつ、僕達は明乃さんの部屋で二人の時間を満喫することになったのだった。




