雲中の口無鳥三
電脳江戸の空がうっすらと白み始めた、夜明け前。
二人は、最初に呼び出されたあのネオンの届かない深い路地裏へと戻ってきた。
待っていたのは、やはり電子煙管を燻らせる、情報屋「クチナシ」だった。
「おや、思いのほか早かったじゃないか。……無事だねぇ、お二人さん」
某は無言で、手に入れたばかりの電子データ管をクチナシへと放り投げた。
クチナシはそれを美しい指先で受け止めると、瞳の奥に緑色のコードを走らせ、いつも通りの大人の余裕たっぷりに微笑む。
「間違いない、あの電子ドラッグのマスターデータさ。お前さんたちに依頼して正解だったよ……」
サイは笠の縁から覗く鋭い視線を彼女に向け、静かに口を開いた。
「姐さん。あっしたちの報酬は、そのデータ管をどこぞに売り払ったコバンから引いてもらう必要はありません。……もう、そこにあるホログラムのゴミ箱に、指がかかっているでしょう」
クチナシは一瞬だけ瞳のコードの光を止め、それから電子煙管を強く吸い込み、フッと紫の煙を吐き出した。
すべてを見透かされても、彼女はその冷徹な建前を決して崩さない。立ち上る煙の向こうで、ただ悪戯が成功したかのようにクスクスと綺麗に笑ってみせる。
「……ふふ、こんなデータがいつまでも市場に出回ってたら、うちの商売もあがったりだからねえ」
クチナシが指先を小さく滑らせる。カチリ、と静かな電子音が路地裏に響いた。
次の瞬間、彼女の手の中にあったマスターデータ管は、バグの光を失い、ただの美しいホログラムの桜吹雪へと分解されていった。ネオンの塵が、電脳江戸の夜明けの空へと静かに溶けて消えていく。
かつて自分を贔屓にしてくれた、大切な御仁の脳を焼いた毒を、この世から完全に消し去る。その静かな復讐をどこまでも「自分の商売のため」と言い張る彼女の粋な嘘。
クチナシは約束の報酬が入った財布を、二人の前に放り投げた。
「本当にお前さんたちときたら……ほら、約束の報酬さ。団子代には多すぎるくらいは入っているよ」
それを受け取ったサイが、口元を微かに緩める。
「これだけあれば、レーザー日本刀の超急速充電代を差し引いても、しばらくは食べるものに困らないでしょうね」
「ハッ! こんだけありゃ、次はもっと面白えこともできるってもんだ!」
某が紅蓮の扇子をバッと広げて笑う。
効率とスコアに冷え切ったこの電脳江戸で、大人のついた粋な嘘と、二人の人情が、ひとつの切ない夜を優しくハッキングした瞬間だった。
「クチナシ、やっぱてめぇは笑ってたほうが綺麗だぜ」
「……これだからバカな男は退屈しないよ」
「某殿は計算では測れませんからね」




