雲中の口無鳥二
クチナシの残した甘い香りが溶けて消えていく中。
二人は提示された座標を頼りに、電脳江戸の最下層――ネオンの光が毒々しく明滅する、退廃的な歓楽街の奥深くへと足を踏み入れていた。
「おいサイ、あちこちの路地裏で転がってる連中、どいつもこいつも眼球の奥がイカれちまってるな」
某は周囲を警戒しながら、紅蓮の扇子を軽く弄ぶ。
路地裏の至る所に、効率とスコアの競争に疲れ果て、プログラム――電子ドラッグに脳をハッキングされたジャンキーたちが虚ろな目を向けて座り込んでいた。
「クチナシの姐さんの言った通りですね。タイパだのスコアだのという呪縛から逃れるために、文字通り魂を売り渡しちまってます。……ですが、某殿。それを売って私腹を肥やす奴の計算は、あっしにはどうしても美しく思えやしません」
サイが笠を深く被り直し、低く呟いた。
手がかりを追うと、そこはネオンの配線がそばのように複雑に絡み合うジャンクビルの最上階へ続いていた。
防犯ドローンが侵入者を知らせる警報を流しなが二人に近づいてくる。
「シンニュウシャ!シンニュウシャ!タダチ 二 ハイジョ セヨ!」
「うるせえったらねえな」
某は持っていた紅蓮の扇子を防犯ドローンに向けて軽く振った。
微弱な電波を受け、ビチチ……と警戒音を出し空中で動きを止め、力なくアスファルトへと墜落したドローンを、サイは高下駄の先で軽く押し退けた。
「お見事。ですが某殿、これで奥の毒売り野郎にもあっしたちの接近が筒抜けになりましたよ」
「ハッ、隠れてこそこそ忍び込むなんてのは俺たちの性に合わねえよ。正面から堂々とお邪魔してやろうじゃねえか」
某が不敵に笑ったその瞬間、ジャンクビルの薄暗い通路の奥から、無数の赤い電子眼がギラギラと光った。
「侵入者カクニン。……スコアの低いゴミ虫メ、ここでデリートしてヤル」
現れたのは、全身をジャンクなカラクリパーツでサイボーグ化した、開発者の手下たちだ。手にはネオン色に発光する電磁ドスや、改造された散弾銃を握りしめている。さらにその頭上を、さっきよりも大型の武装ドローンが数機、羽音を立てて取り囲んだ。
「へえ、思ったより大歓迎じゃありませんか」
「上等だ! おいサイ、こいつらの冷てえ頭を、俺たちの熱き魂でハッキングしてやろうじゃねえか!」
某は大きく地を踏み鳴らし、着物の片肌をバッと脱ぎ捨てた。
「承知。いただくお代分の仕事、キッチリ片付けましょう」
サイが刀の鞘にそっと手をかける。
薄暗いビルの中、一斉に襲いかかってくる雑魚どもの刃を前に、二人は同時に武器を構える。
ドッ、と二人の気迫が爆発し、ジャンクビルの狭い通路を完全に圧倒する。
「死ねぇ!」と叫びながら電磁ドスを振り下ろすサイボーグの懐へ、某が弾丸のような速度で踏み込んだ。
「ハッ! 景気良く踊りやがれッ!」
紅蓮の扇子を一閃。バチバチと唸りを上げる高熱プラズマの波動が、サイボーグの鉄の身体を焼き切り、背後の壁ごとド派手に吹き飛ばした。バラバラになったジャンクパーツがノイズの火花を散らす。
「ガガッ……空中から蜂の巣に――」
上空の武装ドローンが某を狙って銃口を向けた瞬間、某の背後から静かな影が躍り出た。
「……すぅ」
サイが深く息を吸い込み、親指で刀のハバキを押し上げる。
刹那、シャァァァン! と高周波の駆動音が響き、目にも留まらぬ刃が夜の闇を裂いた。抜刀。
サイの刀から放たれた電波の刃筋が、正確無比にドローンを3機同時に十文字に両断する。
パチン、と静かに刀が鞘に収まる音と同調するように、バラバラになったドローンが床へと転がり、爆発四散した。
「なんだお前タチハ! 囲メ、囲んでハックするんダ!」
仲間を瞬時に減らされ、慌てふためく雑魚サイボーグたちが次々と押し寄せてくる。
「サイ、次が来るぞ!」
「わかってますよ。旦那の面白えに付き合うのも、なかなか困りものです」
二人は再び背中を預け合い、次々と湧き出る敵の渦を、某のプラズマを帯びた紅蓮の扇子が豪快に焼き払い、サイの超振動を纏った刀が冷徹に一刀両断していく。
気がつけば、薄暗い通路には火花を散らすジャンクパーツの山だけが残り、立っている敵は一人としていなかった。
「ふぅ……。終わってみれば、ただの雑魚ばかりだったな」
「某殿が暴れすぎるせいで、あっしの刀の残量が足りなくなりそうですよ」
サイは刀のデジタルインジケーターをちらりと確認し、高下駄の汚れを軽く払う。二人は通路の最奥にある、重厚な鉄の扉の前に立った。
某は不敵に笑うと、大きく地を踏み鳴らし、その圧倒的な脚力で扉を真っ正面から蹴破る。
ドォン! と激しい衝撃音がアジトの内部に響き渡る。
「――そこまでだ、毒売り野郎」
某の声が、不気味な電子ノイズが満ちるアジトに響き渡る。
部屋の中央、大量のホログラムディスプレイに囲まれていたのは、青白いサイバーウェアの光を顔に浴びた、開発者らしき男だった。
男は狂ったように嗤い、キーボードを叩く。
「ハハハ! 奉行所の犬か、それともただの長屋のゴミ虫か! 私のプログラムは救済なのだ! スコア競争に破れた哀れな者たちに、至高の夢を与える神のデータだぞ!」
「神だの救済だの、ヘドが出るぜ」
某が扉の破片を踏み越え、男に一歩一歩とゆっくり近付いていく。
「お前がやってんのはなあ、神は神でもタチの悪い疫病神のすることだ。――そして、俺のダチの笑顔を曇らせた、てめえのその気取ったツラが、どうにも気に入らねえんだよ!」
「黙れぇい! 侵入者をデリートしろ!」
男が叫ぶと同時に、天井や壁から、銃器を換装した大量の警備用ドローンと、重装備のカラクリ兵たちが一斉に這い出てきた。
その数、数十。完全に退路を断たれた、絶体絶命の包囲網。
だが、某とサイの顔に焦りの色は一切なかった。むしろ、お互いの背中を預け合うその瞬間を、ずっと待っていたかのように。
二人は同時に、最高にキレのある形を開いた。
某は紅蓮の如き真っ赤な扇子をバッと広げて天を指す!
足は大きく踏み込み、不敵な笑みを浮かべる。
【熱き動】の構え!
「天下御免の遊び人!泣く子も黙る熱き風! 地獄の沙汰も、この俺の『面白え』が決め手よぉ!!」
その背中で、サイは刀は抜かず鞘に手をかけ、笠の縁を指で少し持ち上げる。
視線は鋭く、口元だけが微かに笑う。
【静かなる一閃】の構え!
「……やれやれ。その御仁の尻拭い。不肖、この『電脳用心棒』が引き受け申した」
電子の火花と銃口の光が蠢く狂気のアジトの中で、二人の大見得が、世界を完全に圧倒した。
名乗りの残響が消えぬ間に、警備ドローンが一斉に銃口を光らせ、カラクリ兵たちが電磁の刃を突き出して殺到した。
四方八方から押し寄せる、冷徹なデリートの嵐。
「ハッ! 派手にいこうじゃねえか、サイ!」
某が吠えると同時に、その踏み込みが地を割った。【熱き動】の構えから解き放たれた紅蓮の扇子が、周囲の空気を一瞬で蒸発させるほどの高熱プラズマを撒き散らす。
某は真っ正面から突っ込んできた重装備のカラクリ兵の懐へ滑り込み、扇子を激しく振り抜いた。
「踊れッ! 烈火の如くよぉ!」
至近距離から放たれたプラズマの波動が、カラクリ兵の鉄の装甲をド派手に焼き切り、背後にいた3機を巻き込んで爆発四散させる。吹き飛ぶジャンクの雨の中を、某は不敵に笑いながらさらに奥へと突き進む。
「ガガ……目標、熱源をカンチ。上空ヨリ一斉掃射――」
死角である上空、十数機の武装ドローンが某の頭上へ照準を重ねた。
その瞬間、某の背後から、一切の足音を消した静かな影が跳ね上がった。
「……すぅ」
サイが空中を舞いながら、深く、静かに息を吸い込む。親指がレーザー日本刀のハバキを押し上げる。
刹那。
シャァァァン! と、空間を切り裂くような鋭い電子駆動音がアジト中に響き渡った。
抜刀。それは目にも留らぬ光速の【静かなる一閃】。
サイの刀から放たれた、高出力レーザーの眩い刃筋が夜の闇を鮮やかに切り裂いた。空中に描かれた光の弧が、某を狙っていたドローン全機を、一瞬の狂いもなく同時に十文字に一刀両断する。
パチン、と静かに刀が鞘に収まると同時に、背後で十数の電子爆発が連鎖し、狂気のアジトを紅蓮の炎で照らし出した。
「な、何なんだお前たちは! 私の神のプログラムが、こんなゴミ虫どもに……!」
コントロールパネルの奥で、男が顔を青ざめさせ、ガタガタと震えながら懐のマスターデータ管を握りしめる。
「おいおい、神様のわりにはずいぶんと情けねえツラじゃねえか」
炎の熱気を背負いながら、片肌を脱いだ某がゆっくりと歩み寄る。その手にある紅蓮の扇子は、未だバチバチと赤い火花を散らしている。
「……あっしの計算じゃあ、あんたの残されたエネルギーは、もうそのデータ管を差し出す分しか残ってませんよ」
サイのレーザー日本刀のインジケーターが、静かに青い光を湛えて開発者の喉元を指していた。すべての防衛システムを完璧にハッキングされ、文字通り逃げ道をゼロにされた男は、絶望の悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
某はフッと不敵に笑うと、男の手から滑り落ちた鈍く光る電子データ管を、空中で鮮やかにキャッチした。
「マスターデータ、確かに回収したぜ。――さあサイ、夜が明ける前に、クチナシに上等なお土産を届けにいこうじゃねえか」




