金魚迷惑一
夜空を泳ぐ巨大なホログラムの金魚が、鱗から鮮やかなネオンの光を撒き散らしている。
場所は電脳江戸、日本橋。
歴史ある木造の橋の下には、電子の光で青くきらめくデジタルな川が流れ、その水面には周囲の瓦屋根から漏れる色とりどりのネオンサインが美しく反射していた。
そんなきらびやかな夜景の袂にある、小さな古びた茶屋に二人の影。
周囲のハイテクな喧騒をよそに某とサイは長椅子に腰掛け、昔ながらの素朴で白い団子を弄んでいた。
「あーあ、いけると思ったんだがなあ」
某は不満げに頬を膨らませ、最後の白い団子を口に放り込む。
「あっしの計算通りだったでしょう。あそこでやめておけばこんな懐がさみしくなることはなかったんですがね……」
サイは重いため息をつきながら、懐から空になったホログラムの財布を出すとわざとらしくパチンと閉じた。笠の縁から覗く鋭い視線には、呆れの光が混じっている。
「計算計算ってそればっかじゃねえか、もっと日々を楽しもうぜ」
「そんなことで腹は膨れませんよ」
サイが冷ややかに言い放つと、茶屋の親父がタイミングよく「へい、お勘定。団子と淹れたてのお茶で、合わせて3コバンだ」と、淡く光る伝票を差し出してきた。
某とサイは、一瞬だけ視線を交わす。
サイがさっき閉じた財布の残高は、綺麗にゼロ。某の懐にも、虚しい空気しか入っていない。
「……おいサイ。あっしの計算とやらは、このお勘定までは入っていなかったのか?」
「某殿、想定外の出費というものは常に人生につきものですよ」
どうする、と無言の火花を散らし、それぞれが扇子と鞘に手をかけようとした、その時だった。
「おーい、2人とも! こんなところにいたのかい!」
木造の日本橋の向こうから、きらびやかなネオン提灯を揺らしながら走ってきたのは、二人が暮らす長屋の大家の婆さんだった。息を切らせながらも、その目はどこか切羽詰まっている。
「ちょうど良かった! ちょっとお前さんたちの腕を見込んで、頼みたい『雑用』があるんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、某の頭の中に電脳の如き速度で閃きが走った。
某はバッと親指で茶屋の親父を指差し、満面の笑みを浮かべる。
「いいぜ大家の婆さん! その依頼、引き受けた! ――ただし条件だ。その熱き依頼料の『前払い』として、ここの団子代、3コバンを立て替えてくれ!」
「へ? ああ、それくらいならお安い御用だけど……」
婆さんが懐から電子マネーの端末を取り出したのを見届け、サイが笠の縁を指でクイッと持ち上げ、口元を微かに緩めた。
「話が早くて助かります。……それで、あっしたちに一体どんなご用件で?」
サイがそう問いかけると、大家の婆さんは日本橋の向こう、自分たちの長屋がある方向を指差して顔をしかめた。
「それがさぁ! 夜空を泳いでるあのバカでかいホログラム金魚、いるだろ? あれの制御システムがバグっちまったらしくてね。実体化エラーとかいうのを起こして、うちの長屋の瓦屋根に頭から突っ込んじまったんだよ!」
「へえ、金魚が屋根に、ねえ……」
サイが笠を少し傾ける。
「突っ込んだだけならいいんだけどさ! 金魚のデータが瓦と融合しちまって、バチバチ火花を散らしながら今も屋根の上で尾ひれをバタつかせてるんだ。このままじゃ長屋が全部ぶっ壊れちまう! お前さんたちのその腕で、あのバグ金魚を大人しくさせて、瓦屋根を修理できるようにしておくれ!」
婆さんの必死の訴えを聞き、某とサイはニヤリと視線を交わした。
懐は寂しく、腹は白い団子で満たされたばかり。
「フッ、金魚のバグ如きに、我が長屋の歴史ある瓦を破らせておくわけにはいかねえな」
某は長椅子から立ち上がり、一歩を大きく踏み出す。
「サイ、行くぞ。俺たちで、そのデカブツの目を覚ましてやろうじゃねえか」
「やれやれ、団子3コバン分の働きとしては、少々骨が折れそうですがね……」
サイもまた、口元に微かな笑みを浮かべながら静かに立ち上がった。
二人はきらびやかなネオンの光の中、バグった金魚が暴れる長屋へと向かって歩き出す――。




