Node11.2:五人の騎士と、鏡の向こうの素顔
JVBL本部の最深部から届いた緊急招集の通知。
通された会議室にいたのは、日本政府の特使と名乗る初老の男。彼は、遥たちに非情なまでの「二律背反」を突きつけた。
それは、静かな日常を送り始めていた遥たちの運命を、再び熱砂の地へと引き戻す抗いがたい引力を持っていた。
「――HARMONIAの最新システムを、内側から偵察してほしい。これは要請ではなく、国家としての嘆願だ」
特使の言葉には、鉛のような重みがあった。独自のクリーン・メタバース構築に難航し、経済的停滞の泥濘から抜け出せない日本政府にとって、中東リーグで稼働している最新版HARMONIAの技術データは、喉から手が出るほど欲しい「禁断の果実」だったのだ。
「偵察、か……。僕たちが暴いた悪魔のシステムを、今度は国のために盗んでこいっていうわけだね」
優太が自嘲気味に呟いた。
かつてHARMONIAを否定し、その欺瞞を告発した英雄たちに、政府は皮肉にもそのシステムへの「再潜入」を依頼したのである。
そんな大人たちの薄汚れた政治的駆け引きを、遥たちは冷めた眼差しで聞き流していた。彼女たちがこの理不尽な依頼に頷いた真の理由は、国家の存亡などという大層なものではない。
「5×5〈フルリンク〉」――。
中東リーグが導入を宣言したその新形式が、彼女たちが幼い頃から体育館の隅で、痣だらけになりながら追いかけ続けてきたバスケットボールの「真髄」そのものだったからだ。
システムが提示する『個の最適解』ではなく、5人の魂がリンクし、混ざり合い、化学反応を起こすことでしか到達できない領域。
たとえそこが敵地であろうとも、本物のバスケができる場所があるのなら、行かない理由などなかった。
「3×3は個人の煌めきと瞬発力の勝負。でも、〈フルリンク〉は……もっと複雑で、もっと深い。仲間との鼓動の連動、幾重にも重なる戦術、そしてコート全体を支配するビジョン。本物のバスケができる場所があるなら、私はそこへ行きたい」
遥の瞳に、政治への不信感を塗りつぶすほどの、純粋な挑戦者の光が宿った。
だが、参戦を決意した一行に、現実的な絶望が立ちはだかる。
「無理だ……絶対に人数が足りねえ……」
JVBL本部のミーティングルーム。翔太がソファに突っ伏し、指を一本ずつ折りながらうめいた。
「1、2、3……。何度数えても、まともに動けるのは三人と、優太一匹。〈フルリンク〉なのに、控えどころか、1人たらねぇ。俺が細胞分裂して二人分動くか?それとも分身の術でも習得しに行くか?」
「落ち着きなさい、翔太。あなたの貧弱なスタミナじゃ、第一クォーターが終わる前に干からびて退場よ」
美月が呆れ顔で切り捨てる中、優太が静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「僕は数に含めないでほしい。……僕は今回、コートを降りる決断をした」
「えっ!?」
と遥と翔太が声を揃える。
「この複雑な〈フルリンク〉の戦場では、リアルタイムのデータ解析と戦術指示に特化したアナリストが必要だ。僕は一応選手登録はするが、コーチ兼アナリストとして、ベンチから君たちの神経系を支えるよ。……それに、僕の運動神経で〈フルリンク〉の激流に飲まれたら、チームの足を引っ張るだけなのは明白だしね」
残ったメンバーは三人。
得点能力と跳躍力を武器とするNOVA(SF)。
戦場を俯瞰し、優雅にパスを供給する司令塔QUEEN(PG)。
敵陣を撹乱する切り込み隊長Hair Show(G)。
しかし、ゴール下を死守するパワーフォワード(PF)とセンター(C)、そして外角から確実に射抜くシューティングガード(SG)が欠けていた。
「高さもパワーもねえ。アル=ナジールの重戦車どもと渡り合うには、このままじゃ詰みだぜ」
翔太が頭を抱えたその時、Xの端末に大西洋を超えた「緊急のコンタクト」が着信した。
『――偵察目的は、我々も同じだ。かつての敵と、手を組む用意はあるか?』
それは、世界大会で死闘を繰り広げたアメリカ代表、イーグル・Jからの同盟提案だった。
合流するのは、圧倒的な体躯とパワーを誇る「アメリカの壁」と呼ばれた怪物センター『アンドレ』(C)。シューティングガード(SG)には、精密機械のような精度でリングを射抜く『シルキー』。そしてアナリスト兼指揮官として、かつての司令塔『ウォッチャー』が名を連ねた。
後日、JVBL本部でのリアルでの顔合わせの日。遥たちは入り口で立ち尽くし、絶句することになった。
「……え、あなたが、あのアンドレ?」
遥の目の前にいたのは、丸眼鏡をかけた、驚くほど華奢で繊細そうな少年だった。
V.B.Lであの巨躯を誇った『金剛』の面影は、その優しげな目元にわずかに残るだけだ。逆に、ポイントガード兼アナリストとして現れた『ウォッチャー』は、その少年を片手で軽々と担ぎ上げそうなほどの筋肉隆々の男で、リアルでは軍人で、怪我で前線からは退き、今は、もともと性に合っていた分析班に移動したそうだ。
「ハハッ、驚いたかい?ギャップがありすぎて、システムエラーでも起きたみたいな顔だね」
華奢な少年――アンドレが照れくさそうに笑うと、横から優太が、獲物を見つけた学者のような目つきでアンドレに詰め寄った。
「やっぱりだ!合点がいったよアンドレ。君のアバターデータ、計算した時からずっと不自然だと思ってたんだ。あの体格に対して、慣性モーメントと衝突判定の数値が明らかに不足してたからね!」
優太は空中に見えない数式を描くように指を動かしながら、一気に捲し立てた。
「あの身長(高さ)を維持するだけで、アバターの構成リソースを使い果たしていた……。そうだろ?」
アンドレは「参ったな」と肩をすくめた。
「その通りです。V.B.Lの設定画面でね、『極大身長』と『威圧感MAXスキン』にほとんどのポイントを振っちゃったんだ。おかげで筋肉の『質量』に回す数値が少ししかなく……。中身はスカスカ、ハリボテの筋肉ってわけです。でもセンターとしては、それで十分に高性能で機能します。」
それを聞いた瞬間、遥の脳裏にあの試合の感触が鮮烈に蘇った。
(……やっぱり!あの時、巨大な風船にぶつかったみたいに感じたのは、気のせいじゃなかったんだ!)
あんなにマッスルな見た目だったのに、体当たりを受けた時の手応えが妙に軽かった理由。テイクチャージで止めた瞬間に感じた「空虚な質量」の正体。あれは、アンドレが必死に虚勢を張って作り上げた「理想の自分」という名の、巨大な着ぐるみだったのだ。
「ハハッ!つまりこいつは、見た目だけゴリラの、中身はマッチ棒ってことだね!」
ウォッチャーがアンドレの細い肩をバンバンと叩くと、アンドレは「笑いすぎだよ」と苦笑した。
「でも、これが今の僕にとっての正解いなんだ。リアルじゃ、ちっちゃくて、おまけに心臓も弱く、長時間の運動は禁止されている。だからせめて仮想空間では、誰も動かせない巨大な『壁』になりたかったんだよ」
しかし、見た目通りだったのはシューティングガードのシルキーだった。彼女は現実でもアバターと同じく、隙のないモデルのような容姿をしていた。だが、彼女は彼女で、目の前の遥を凝視して困惑していた。
「……ちょっと、ジョークでしょ?NOVA、あなたは……その、本当に150センチしかないの?V.B.Lでのあの圧倒的な存在感は何だったのよ。……それから、QUEEN。あなたがまさか、あんな小さく高飛車なアバターを使いながら、ニューヨークでも有名なトップモデルの『MIZUKI』だったなんてね」
シルキーは対抗心を燃やすように視線を鋭くしたが、現実の遥の小ささを目の当たりにして、どこか調子を狂わされたようだ。
「……みんな、何かを変えたくて、ここにいるんだね」
遥は、隣に立つアンドレの細い腕を見た。
現実の身体的制約、不条理、届かない想い。それらをすべて背負って、彼らもあの眩いコートに立ち続けている。
「よろしく。……最高のチームになりそう」
遥は、改めて自分の150センチという小さな身体を見つめ、ウォッチャーの大きな手、アンドレの繊細な手と握手を交わした。
「驚くのはこれからよ、NOVA」
シルキーは不敵に微笑んだ。
日米合同偵察チーム『JVBL-USA』。
「JVBL-USA……いや、この異質な5人が揃ったんだ。もっと相応しい名があるだろう?」
翔太がタブレットの画面をフリックすると、チームロゴが劇的に変化した。漆黒の宇宙を背景に、5つの異なる輝きを放つ星が円を描き、一筋の光のラインで結ばれていく。
『PENTAGRAM STARLIGHT(五連星)』
「――五連星か。悪くないわね」
美月が満足げに呟く。NOVAの青い炎、Queenの銀の光、Hair Showの黄色の閃光、アンドレの重厚な琥珀色の輝き、そしてシルキーの鋭い白金の光。性格も、境遇も、現実の姿もバラバラな5人。しかし今、彼らは「自由」という同じ旗印の下で、世界を照らす5つの星の戦士として一つになった。
HARMONIAという巨大なシステムの深淵を覗き、その欺瞞を暴く。そして何より、フルリンクという未知の領域で、管理されない「本物のバスケ」を証明するために。遥たちは、再び熱風が吹き荒れる砂漠のリーグへと、その足を踏み出した。




