Node8.2:ハッキングの交錯
アリーナの裏通路にある、薄暗い控室。大樹はノートPCを膝に置き、アメリカ代表のイーグルと並んで腰を下ろしていた。背後では、試合の実況音が遠くで響いている。
「……始まったな。システムが収集モードに移行した。NOVAの脳波を吸い上げるために、―HARMONIA―の外部ポートが一時的に『全開放』されている。今この瞬間だけが、奴らの心臓部へ潜り込める唯一の隙間だ」
Xの指がキーボードを叩くたび、モニターに走るログが高速で流れていく。
>>>connectvpn://az-core.main>>>auth_token=――――
「ポート22開いた。SSHセッション確立……」
大樹の指がキーボードを叩く。だが、その動きはコートで見せている電光石火のキレには程遠い。管理職としてのブランク、そして最新の多層防御プロトコルへの戸惑いが、タイピングを遅らせていた。
「……おい、キー押すの遅くないか?」
イーグルが眉をひそめる。
「う、うるさい。現場の最前線は久しぶりなんだよ!」
Xは額に汗を浮かべながらキーを入力する――
>>>connect_vpn://az-core.main
>>>auth_token:[――――]
>>>status:ESTABLISHINGSSHSESSION...
「ポート22、開放。セッション確立だ……」
大樹が額の汗を拭い、渾身の力でEnterキーを叩き込む。しかし、画面に返ってきたのは非情なまでの赤文字だった。
[ERROR:COMMAND_NOT_FOUND][WARNING:LEGACY_SYNTAX_DETECTED]
「……おい。今のコマンド、10年前の教科書に載ってたやつか?」
隣でタブレットを弄っていたイーグルが、呆れたように眉をひそめる。
「う、うるさい!構造の基本は変わらん。少し指がなまっているだけだ!」
「どけ。見ていられん。お前は現場じゃなく、議事録でも書いていろ」
イーグルは大樹のPCを強引にひったくると、膝の上で踊るように指を走らせた。そのタイピング速度は、もはや楽器の演奏に近い。バスケだけでなく、電子戦においても彼は「王者」のようだ。
>>>exploit--payload_inject--target:az-firewall
>>>bypass—heuristic-analysis--mode:stealth
「ほう……やるじゃないか」
大樹は悔し紛れにスポーツドリンクを煽る。
「貴様よりはな。俺のチームのウォッチャーは、これより10倍は早い……」
イーグルは片手でタイピングしながら、もう片方の手で端末をスワイプして試合の映像を確認していた。
「わかった、あとは任せた……俺はコーヒーでも淹れるか。いや、応援に徹する」
大樹はパソコンから視線を外し、隣でスポーツドリンクを飲み始めた。
「お前、現場エンジニア向きじゃないな……」
イーグルがぼそりと呟く。
「急げ。このままじゃ、NOVAが持たない!」
大樹が、叫ぶ!
「うるさい!わかっている!」
イーグルが、堪える。
その頃、コート上ではNOVAが限界を迎えつつあった。
ヘジテーションからの鋭いドライブ。本来なら抜き去っているはずのタイミング。
だが、アル=ナジールのディフェンスは、まるで「リハーサル済みの舞台」のように、彼女の着地点に先回りして壁を作っていた。
(……身体が、泥の中に沈んでいくみたい……)
NOVAのアバターに激しいブロックノイズが走る。―HARMONIA―は、彼女のゾーンが生み出す「不規則なリズム」さえも、巨大なビッグデータの一部として確実に咀嚼し始めていた。
「ルーティング完了。……次はファイアウォールか」
イーグルが端末にコマンドを叩き込むと、モニターに赤いアラートが連続で表示された。
ACCESSDENIEDFIREWALLBLOCK:LAYER7(BEHAVIORALANALYSIS)
「チッ、侵入検知が働いたな。しかも行動分析レイヤー。人間のアクセスだと判定された」
イーグルはスクリプトを切り替え、複雑な暗号化パケットを擬装し、AIのトラフィックに見せかける。
「……ッ!」
NOVAの意識が引きずられる。
(体が、重い……いや、違う。思考そのものが遅れてる。次の選択肢を、読まれている!)
「やられてる!ゾーンそのものが学習され、システムの『最適解』としてアップデートされてるんだ!」
ベンチでタブレットを凝視するYUTAが、焦燥に声を荒らげる。
「NOVA一人に負荷が集中しすぎている。このままだと、彼女の精神特性がすべて吸い取られて……空っぽにされる!」
その時、YUTAの瞳には絶望ではなく、決意が宿っていた。
「――なら、僕たちも『中』に入るぞ」
「えっ?YUTA、何言ってるの……私たち、まだゾーンなんて!」
QUEENが驚愕に目を見開く。
「少し違う!NOVAのゾーンを分散させるんだ。NOVAだけじゃ負荷が大きすぎる。俺たちがノイズの共振体になる!」
「一人でダメなら、三人で共振させるんだ!NOVAのゾーンを『核』にして、僕たちがその周囲でノイズを増幅させる『増幅器』になる!QUEEN、Hare Show、僕の同期信号に意識を預けてくれ!」
優太が、特権IDでパッチを走らせ、強制的にチームメイトのメンタルパラメータをリンクさせる。
次の瞬間、QUEENとHare Showに、NOVAと同じ「黄金の残像」が重なり始めた。
「……来たわね。地獄の淵まで付き合ってあげるわよ!」
QUEENの瞳が鋭く光り、動きが物理演算を無視した加速を始める。
「三人が同時にゾーンに入ったぞ!」
大樹が、息を呑んだ。
次のポゼッション、日本の攻撃は明らかに変わった。
Hare Showがシザーステップで相手を揺さぶり、背後からバックチップ。スティール成功。QUEENがすかさずフローターを放ち、リングに吸い込まれる。
「……干渉が広がった!」
アリーナ裏の控室。モニターが、コート上の異変に呼応して激しく点滅した。
「パケットの同期が崩れた!三人が放つバラバラなノイズが、―HARMONIA―の予測アルゴリズムをオーバーフローさせている!イーグル、今だ!コアの防壁が剥き出しになったぞ!」
「指示するな、もうやっている!」
イーグルが猛烈な勢いでコードを流し込む。画面には、アル=ナジールの国家中枢を司る巨大なデータツリーが、網状に展開されていた。
>>>exploit--payload_inject--target:core://az-mainframe
>>>privilege_escalate--user:root
>>>status:[GRANTED]
一瞬のブラックアウトの後、モニターに緑色の文字が静かに浮かび上がった。
[ROOTACCESS:GRANTED][SYSTEM_OWNERSHIP:ACQUIRED]
コート上では、NOVAがシャムゴッドからのステップバック3P。スウィッシュ。観客が総立ちになる。
まるでコート全体がハッキングのための―「ノイズジェネレーター」―となり、システムの防御を無力化しているようだった。
だが代償は大きい。ゾーンの維持でメンバー全員の呼吸が乱れ、アバターのフレームレートが落ちていく。肉体と精神の限界が迫っていた。
「……長くは持たないぞ。もってあと3分」
YUTAが苦しそうに呟く。彼の指先が、痙攣していた。
「あと少しだ!」
大樹がモニターに向かって叫ぶように答えた。ログに最後の行が走る。
[core.access=GRANTED][privilege.root=TRUE]
「やったぞ……コアに入った!」
イーグルが不敵に笑い、汗で張り付いた前髪を乱暴に払った。
「さあ、この『楽園』の裏側に隠された汚い真実を、すべて引きずり出してやろうじゃないか」
その瞬間、アリーナのホログラムが一斉にノイズを発し、光が明滅する。観客のざわめきが広がる中、NOVAたちは、コートに立ち続けていた。
「まだ……終わらない」
NOVAが静かに呟いた。システムとの闘いは、いよいよ最終局面へ突入する。
「あと3分って……おれの胸には、カラータイマーついてないですけど……」
Hare Showが、息も絶え絶えに、ぽつりとつぶやいた。




