Node7.2:自由という名の重荷
一方、アル=ナジール政府庁舎の地下数百メートル。地上の眩い光とは対照的な、漆黒の壁に囲まれた「中央情報管理室」。
壁一面を埋め尽くす高精細モニターには、ラスベガス大会の決勝戦――NOVAがゾーンに入り、システムを打ち破った瞬間の映像が、幾つもの異なる角度から繰り返し再生されていた。
「……信じがたい現象です」
蒼白な顔をした技術者が、ホログラムの波形データを指し示す。
「彼女の精神波形(脳波)がレッドゾーンに達した瞬間、我々の干渉アルゴリズムが完全に無効化されています。それどころか、彼女の発する『ノイズ』が周囲のプレイヤーの脳に逆流し、強制的に覚醒を促している。これは計算外の挙動です」
豪奢な軍服の肩を揺らし、中央情報管理室の冷気の中で、無数のバイオメトリクス・データを見つめていた、情報局長官――ハキムが不快そうに目を細めた。
「つまり、この小娘一人の存在が、我々が築き上げた“―HARMONIA―”の周波数を乱す『猛毒』になり得るということか」
「はい。この特異点を放置すれば、群衆操作システム全体に致命的な亀裂が生じる恐れがあります」
ハキムは、冷酷な笑みを浮かべた。
「ならば、解析し対応するまでだ。今回呼び寄せたのはそのためだ」
彼はNOVAの顔写真を指先で叩いた。
「親善試合という名の檻の中で、彼女のデータを根こそぎ吸い上げろ。彼女の『ゾーン』のメカニズムを解明し、対策システムを構築するのだ。……あわよくば、その能力ごと我々のシステムに吸収できるかもしれない」
ハキムにとって、プレイヤーたちは尊厳ある人間ではない。システムを完全なものへと昇華させるための、ノイズだらけの「生体データ」に過ぎないのだ。 彼は静かに、NOVAの脳波が最も活性化する瞬間を見計らっていた。
NOVAたちはまだ知らない。自分たちが招かれた理由が、友好のためなどではなく、彼女という―「希望の光」を、管理社会の「部品」―へと作り変えるための祭壇にするためだということを。
◇ ◇ ◇
翌日。アル=ナジールの太陽は、砂漠の国とは思えぬほど霞みのない光を街に降り注いでいた。明日の親善試合を前にして、両国代表を歓迎する盛大なセレモニーが、政府庁舎前の「―HARMONIA―・ドーム」で執り行われた。
ドーム内は、万雷の拍手で包まれていた。だが、その音には温度がない。まるで録音された効果音のように、一定のリズムで響き渡っている。壇上には、アメリカ代表と日本代表、そして開催国であるアル=ナジール代表が並んでいた。
「見ろ、あいつら……」
アメリカ代表のリーダー、イーグル・Jが、隣に並ぶ日本代表の列に向かって小さく声を漏らした。
彼の視線の先には、漆黒と金をあしらった軍礼服のようなユニフォームに身を包む、アル=ナジール代表チームの姿があった。彼らは直立不動のまま、瞬きひとつせず前を見据えている。
その中心に立つのが、チームのキャプテンであり、この国の若き英雄と称される青年――アミールだった。
端正な顔立ちと、高い知性を感じさせる眼差し。国民が憧れる「理想の人間像」を具現化したような美青年だが、その瞳はガラス玉のように冷たく、奥底にあるはずの感情の色が見えない。
「ようこそ、過去から来たお客様」
アミールが、マイクを使わずとも通る涼やかな声で、遥たちに挨拶をした。
「我々のシステム『―HARMONIA―』が導く、迷いなき未来のスポーツを、存分に体験していただきたい」
その言葉は歓迎の形をとっていたが、遥には「お前たちの古いバスケはここで終わる」という宣告のようにも聞こえた。
舞台袖の影では、情報局の幹部たちがその様子を鋭い視線で見守っていた。
「ターゲットは、日本のNOVAだ」
「ああ。アミールには伝えてある。試合中、彼女の精神に徹底的な揺さぶりをかけ、その特異な脳波データを採取しろとな」
彼らの狙いは、勝利ではない。遥という「バグ」の解析と、システムの完全化。そのための舞台が整いつつあった。
セレモニーが終わり、会場を後にした一行。優太は、端末を片手に険しい表情を浮かべていた。
「……今の会場内でも、微弱だが妙な通信パケットが飛んでいた。僕は先にホテルに戻って、このデータを解析してみます
「わかった。無理しないでね」
遥が気遣うと、優太は短く手を上げ、足早に去っていった。
残された遥、美月、そしてHare Show(翔太)の三人は、ホテルまでの道のり、再び街を散策しながら帰ることにした。
「……やっぱりすごいね」
遥は思わず息を呑んだ。
目抜き通りには光沢感のある黒曜石のような高層ビル群が並び、街頭スクリーンは絶えず広告と国家のスローガンを切り替えている。
カフェではアラビアンテイストの家具に、最新型のホログラム端末が設置され、どの店も満席だ。買い物客はブランドバッグを片手に笑顔を浮かべ、子どもたちはAIロボットに手を引かれながら遊び歩いている。
「まるで未来都市のモデルケースだな」
Hare Show(翔太)は能天気に口笛を吹きながら左右を見回した。お面が目立つが、本人はまったく気にした様子はない。
道端で、ひとりの青年が立ち止まり、スマートグラスを外してうつむいていた。
すぐに制服姿の監視員が駆け寄り、青年を壁際へ誘導する。
「アバターIDの再認証が必要です。生体リズムに乱れを検知しました」
無機質な声とともに、監視員は青年の額に小型端末を当てる。青年は抵抗せず、無表情のまま目を閉じた。数秒後、彼の瞳に光が戻り、再び人波に溶けていった。
「……今の、何?」
遥が思わず足を止める。
「一時的に“HARMONIA”から外れたのかも。再接続すれば問題ないようだけど……まるで機械の修理ね」
美月は冷静に言うが、その声にはわずかな震えがあった。
「俺なんか、すぐネット切れるから毎日、注意されるかも……」
Hare Showが笑い飛ばす。その軽口に救われつつも、遥は胸の奥に重たいものを感じていた。
――自由に動くことすら、ここでは政府の許可がなければできない。心の乱れすら、エラーとして処理される。
広場に出ると、街の整然としたリズムはさらに際立っていた。噴水の縁では、家族連れが同じ角度で記念撮影をし、露店では全員が一定の時間までに買い物を終える。その統一感はまるで、見えないプログラムに導かれているかのようだ。――と、その時。
「――自由を!我々には選ぶ権利がある!」
声が響き渡った。群衆の波の中に、一人の青年が立ち上がっていた。
彼はこの街の風景にそぐわない、古びたコートをまとい、スマートグラスは掛けておらず、手を高く掲げて叫ぶ。
「俺たちは仮想の笑顔はいらない!本当の暮らしを取り戻せ!システムに魂を売るな!」
周囲の空気が、一瞬凍りついて見えた。
通行人は、まるで合図でもあったかのように一斉に立ち止まるが、誰も彼を見ようとはしない。視線は逸らしたままだ。
次の瞬間、黒い制服の治安警備員が数名、無言で青年を取り囲んだ。
「ちょ、ちょっと――」
美月が思わず声を漏らしかけたが、遥が腕を引く。青年の叫びはすぐに、ホログラム広告の音量が急上昇してかき消された。
巨大スクリーンに「調和こそ力」のスローガンが浮かび、同じタイミングで群衆の誰もが笑顔で見つめる。その間に、青年は強引に連行され、広場の片隅へ消えていった。
叫び声も抵抗も、誰も耳を貸さない。まるで最初から「何もなかった」かのように。
「……嘘でしょ。あんなの、みんな見て見ぬふり?」
美月は蒼ざめた顔で呟く。
「パフォーマンスじゃないの?ほら、イベント演出とか……そうだよな?」
翔太は能天気に笑おうとするが、声が少し上ずっている。
遥は黙ったまま、胸の奥がざわつくのを抑えきれなかった。
裕福な街並み。整えられた笑顔。だがその裏で、ほんの少し自由を口にしただけで、消去される――。
「美しいけど……息苦しい」
美月の言葉に、遥は深く頷いた。この街の光は、あまりにも強すぎて、影を色濃く焼き付けている。
同じころ。ホテルの一室で、優太はひとり黙々とモニターを覗き込んでいた。
国際大会で記録されたアル=ナジールの試合データを、フレーム単位で解析する。
「……やっぱり」
彼は画面を巻き戻し、再生速度を落とす。アル=ナジールのディフェンス隊形は、人間が操作しているとは思えないほど正確だった。
スクリーンの隅で波形グラフが跳ねる。プレイヤーの行動パターンが、まるで“一定のアルゴリズム”に基づいていて、それでいて時折、AI特有の誤作動である―“ハルシネーション(幻覚)”―のようなノイズも混ざる。
「完全に、AIの挙動……いや、もっと厄介か?」
優太の脳裏に、かつて自分が関わったチートツールの記憶が蘇る。
――あの時と同じ。
――人間の意識にデータを逆流させ、メンタルパラメータを強制操作する―一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる“既視感”―。
「これは、ただのゲームじゃない……」
彼は拳を握りしめた。窓の外では、夜の街が眩しく輝き続けていた。その光の中に、どれだけの人の「心」が囚われているのか、彼はまだ知る由もなかった。




