Node7.1:無臭の楽園
砂漠の熱狂、ラスベガスでの世界大会制覇から、わずか一ヶ月。日本中が「TRINITY」の快挙に沸き返る、そんな中、四人のもとに届いたのは、厚手の羊皮紙に幾何学模様の金箔押しが施された、重厚な招待状だった。
『――新時代の幕開けを、共に見届けよう。世界王者たる諸君を、我らがアル=ナジールの至宝“―HARMONIA―”へ招待いたします』
中東の砂漠地帯に位置しながら、莫大なレアメタマネーと最先端技術によって急速に発展した新興国家からの招待状。その内容は、世界大会のファイナリストである「日本代表」と「アメリカ代表」を招き、―「国際親善エキシビションマッチ」―を開催したいというものだった。
「スポーツを通じた国際友好」と「次世代通信技術のデモンストレーション」。
しかし、NOVAたちが受け取ったその美しい紙面からは、どこか拭いきれない不穏な匂いが漂っていた。
「……これって、本当にただの“親善”かしら?」
都内の隠れ家カフェ。美月は、最高級のカプチーノを口にすることなく、テーブルに置かれた招待状を冷ややかに見つめていた。
「渡航費、七つ星ホテルの滞在費、すべて国賓待遇。あまりに出来すぎた舞台だわ。……負けた腹いせに監禁でもする気かしら?」
「うーん……でも、アル=ナジールって、本来は国交封鎖に近い政策をとっていたはずだよね。急にこんな派手なパフォーマンスをするなんて、なんか気味が悪い」
遥が不安げに指先で招待状の縁をなぞる。
「いいじゃん!無料で海外旅行!しかも豪華ホテル!俺、パスポートの期限切れてなくてマジで良かったわー!」
Hare Showが、優太のもつタブレットから無邪気に声を発する。
翔太は、都合が悪いと言って自宅から参加。タブレットの画面越しに、自宅で自ら用意したパンケーキを頬張りながら、そこでもウサギのお面を被ったままだ。
「優太、お前もそう思うだろ?」
「……いや。昨日からアル=ナジールのネットワークを監視してるんだけど、不自然なほどに情報が拾えてこないんだ。まるで、国全体が強力なファイアウォールに守られた、巨大な『ブラックボックス』だよ」
優太の指が、キーボードの上を忙しなく滑る。彼の瞳には、かつての弱気な少年ではなく、未知の脅威を警戒するプログラマーの鋭さが宿っていた。
今回の遠征には、監督・コーチ枠としてJVBL関係者が同行するが、その中には“彼”もいる。―「技術顧問」という肩書きで、Xも同行することになっている。
彼にとって、この招待は渡りに船だ。世界大会で各国プレイヤーを襲った「意識への干渉」。その発信源とされるアル=ナジール共和国に、正規のルートで潜入できる絶好の機会なのだ。
(遥たちを危険に晒すことにはなるが……私が守り抜く。そして、この国で何が行われているのか、その中枢を暴かねばならない)
Xは、娘の顔を思い浮かべながら、固い決意を秘めていた。
◇ ◇ ◇
――「光の神経網」が覆う空
数週間後。アル=ナジール国際空港に降り立った一行を待っていたのは、想像を絶する、そして「完成されすぎた」未来だった。
「……これが、砂漠の真ん中だって言うのか?」
一行と共に空港のテラスに立ったXは、絶句したまま眼下に広がる光景を見据えていた。
かつて彼が、V.B.Lシステムの基盤技術導入の視察団としてこの地を訪れたのは、ほんの数年前のことだ。
その時も十分に先進的ではあったが、それでもまだ砂の匂いや建設現場の粗野な熱気が残っていた。だが、今、視界を埋め尽くしているのは、空を覆わんばかりの―「光の神経網」―だ。
高層ビル群の間を、数百の小型ドローンが幾何学的な軌跡を描いて飛び交い、地上では磁気浮上ポッドが音もなく流れていく。
街全体が、まるで一つの巨大なスーパーコンピュータの「基板」のように見えた。そして何より、異様なのはその―「無菌さ」―だ。
――空港施設から一歩外へ出た街全体が、巨大なドーム状のエネルギーフィールドと、徹底された空調管理システムによって、―『完全な快適さ』―に保たれているのだ。
この徹底した『無菌化』への執着は、疫病が国を蹂躙した過去への、震えるような恐怖の産物なのかもしれない。国民は『自由』を犠牲にする代わりの一つに、『清浄』という名の安全な檻を選んだ。
(……数年で、これほどまでに?いや、これは単なる発展じゃない。都市そのものが一つの『巨大な演算回路』へと変化したように見える)
Xは、自分の背筋を這い上がる冷たい悪寒を抑えられなかった。彼がかつて見た『―HARMONIA―』のプロトタイプは、あくまで「管理の補助」に過ぎなかったはずだ。だが、目の前の光景は、システムが主であり、人間がその従属物であることを隠そうともしていない。
「……変な感じ。全然、匂いがしない」
遥が小さく鼻を鳴らす。
「そうね。まるで、リアルなままヴァーチャルの世界に放り込まれたみたいだわ。生活感というバグを、すべてデバッグ(排除)した後の世界ね」
美月がサングラスをずらし、表情のない街ゆく人々を見据える。
ほどなくして、黒いパーカーを着込んだ優太が姿を見せた。相変わらず地味な佇まいだが、その目は真剣だった。
「……ここ、本当に親善試合する空気じゃないな。警備の数が異常だ」
そこへ、背後から「待ったぁぁぁ!」という場違いな叫び声とともに、ウサギのお面を被った翔太が走り込んできた。
段差で転びそうになりながら、派手なポーズを決める。
「それでよく入国出来たわね。」
美月が、呆れながら問いただす。
「セーフ!いやぁ、あ、入国の時は一瞬だけ外したけど、係員のお姉さんに『キュートなウサギさんね』ってウインクされたぜ!」
「……だからなんで、リアルでもそれなのよ。……あんた、それ一生脱がない気?」
遥も呆れ果てる。
「いやいや!もう顔出すタイミング完全に逃しちゃったから!今さら素顔見せる方が、よっぽど怖いよ!……」
「いや、怖いのはあんたの言い訳の方だと思うけど……」
遥は呆れつつも、相変わらずそのHare Show(翔太)の「軽さ」が、この窒息しそうな無機質な空間における救いになっていることに少し安堵し、やはり奇妙な既視感を抱く。
「……嘘でしょ。外なのに、涼しい?」
空港から出て遥は空を見上げた。抜けるような青空。だが、そこには塵一つ舞っていない。
出迎えの黒塗りの高級リムジンに乗り込む。重厚なドアが閉まると、車内は静寂に包まれた。
窓の外に広がるのは、白と金を基調とした、曲線的で未来的なビル群。道路にはゴミ一つ落ちておらず、走っている車はすべて自動運転のEV車。そして何より異様だったのは、―「匂い」がしないことだった。車の排気ガスはもちろん、道沿いの飲食店のスパイス、人々の汗、砂の匂い――生活感が一切排除された、無菌室のような街。そこは、まさに「無臭の楽園」―だった。
「ようこそ、アル=ナジールへ。我々の誇る首都、“―HARMONIA―”です」
ガイド役の男が、感情の読めない穏やかな笑みで告げた。
「ここには“強制”はありません。あるのは、―『合意の上での最適化』―だけです」
ガイドは誇らしげに語った。
「最適化……?」
遥が聞き返すと、ガイドは誇らしげにホログラム端末を操作した。
「市民のあらゆる生体データは国家AIシステム“HARMONIA”に共有されます。AIが、その人の適性に合った職業、健康に最適な食事、そして最も相性の良い結婚相手までも提案してくれます。人間が人生を誤るのは、常に『間違った選択』をするからです。ここでは、システムがその責任を肩代わりし、誰もが最高効率の幸福を享受できるのです」
「……自分で選ぶことは、許されないんですか?」
美月が刺すような視線を向ける。
ガイドは一瞬、理解不能なものを見るように目を瞬かせた後、優しく諭した。
「選ぶ苦労を、国が取り除いてくれているのですよ。人間にとって、選択こそが最大のストレスであり、不幸の源なのですから」
美月は、不快感を隠すように腕を組んだ。
(綺麗すぎる……。まるで、精巧に作られたドールハウスの中にいるみたい)
彼女の鋭い勘は、この街の「美しさ」が、徹底的な「排除」の上に成り立っていることを感じ取っていた。
リムジンはやがて、黄金のタワーのような高級ホテルに到着する。ガラス張りの玄関前には、武装した警備兵と、無機質な笑顔を貼り付けたコンシェルジュが並んでいた。
豪華なホテルでの滞在。部屋に入れば、何もしなくても欲しいものが届き、迷う前にAIが正解を教えてくれる生活。
ホテルに到着し、チェックインを済ませた後、メンバーは街の散策を許可された。
広場には巨大なホログラムスクリーンが浮かび、政府の広報映像が流れている。
『我らがアル=ナジールは、いずれ世界の指針となる。個人の迷いを捨て、全体の調和へ。真の統合と繁栄を、―“HARMONIA”―から――』
「……すごいな。街頭のホログラムが、全部同じ内容で同時に変わってる」
優太が窓の外を見つめながら呟く。その切り替わりのタイミングは、コンマ一秒のズレもなく完璧に同期していた。スクリーンの下では、民衆が拍手を送っている。その光景を見て、優太は背筋が寒くなるのを感じた。
通りには、高級ブランドの紙袋をいくつも提げた女性たちが、判で押したような同じ笑顔で歩いている。商品の購入はドローン配送も可能だが、わざわざ店舗で買い物をしたがるのは、どこの国の女性でも同じようだ。
だが、異様なほどに歩調は揃っている。買い物客の出入りには列がなく、それでいてスムーズに回転し、通行人は全員がスマートグラスを装着し、視線の先には常に何らかの情報が表示されているようだった。
「すっげえ……みんな金持ちって感じだな」
翔太(Hare Show)がぼそりと呟く。
カフェのテラス席では、家族連れが揃って最新型のデジタル端末を弄んでいる。子供たちは街角のホログラムゲームに群がり、リアルと仮想の境を楽しげに飛び越えていた。誰もが身なりは整い、疲れの影を一切見せない。財布も現金もなく、指先ひとつで全ての支払いが済む。
――この国独自のデジタル通貨〈N-Dinar〉が完全に浸透している。
「シンクロ率100%の街並み」
――それは、豊かさの裏で人間の行動までもがプログラムされているかのようだった。
「……ねえ、これって、やっぱりただの親善試合じゃない気がするんだけど」
美月の言葉に、遥も深く頷く。
「ここは自由がない代わりに、全部が管理されてる感じ。裕福で、整ってて……でも、ここに住むのは、私はちょっと無理かな」
しかし、そんな重苦しい空気の中でも、Hare Show(翔太)だけはどこか神妙な、それでいて虚ろな感想を漏らした。
「でもさ……将来の不安とか、進路とか、そういうので悩まなくていいって、ちょっと楽そうじゃね? 俺なんて、毎日『今日何食べるか』だけで一時間迷うし。……進路指導とかで先生に怒られない世界なら、案外悪くないかも」
「いや、それ“楽”の基準が低すぎだから……」
遥がいつもの調子で苦笑する。だが、翔太はいつものように茶化し返さなかった。
街路樹の一葉にいたるまで計算し尽くされたアル=ナジールの市街。翔太はウサギのマスクの奥で、道行く人々を「観察」していた。
彼が幼い頃から、生き残るために研ぎ澄ませてきたその眼は、人々の表情の裏にある「正解を与えられた安堵感」を瞬時に読み取る。
「……でも、ここの人たちは、誰も迷っていない。次に何をすべきか、何が『正解』なのか……空気を読む必要さえないんだ」
翔太の声から、いつもの道化た響きが消えていた。
自由という名の重圧。自分で決めた一歩が周囲の期待を裏切るたびに向けられた、あの冷たく、鋭い失望の視線。翔太の脳裏を、幼い日に浴びた「氷のような沈黙」がかすめる。
自分の選んだ道が、誰かの心の熱量を奪ってしまうのではないかという恐怖。選択することそのものが、取り返しのつかない過ちへの入り口に思えてしまう。
「日本にいた頃はさ、『お前の自由だ』って言葉が、何よりの脅しに聞こえたんだ。選ぶのは自分、間違えればすべて自己責任のはずなのに、向けられる冷めた眼差し。そんなの、俺にとっては、見えない針の山を歩かされているのと変わらないよ」
翔太は視線を、完璧なリズムで同期し切り替わるホログラムの映像へと向けた。
最適解を探し続け、期待に応えるピエロを演じ続けてきた日々。そんな他人の顔色を伺う「観察」に明け暮れる人生に、彼はひどく疲れ果てていた。
それならいっそ、”HARMONIA”という名のシステムに魂の首輪を預け、提示された「幸福な最適解」をただなぞって生きていくほうが、どれほど呼吸がしやすいだろう。
「……逆境を笑い飛ばして突き進むことは本当にかっこいいよ。でも、それは、誰にでもできる事じゃない。俺は時々、疲れちゃうんだ。誰かに『お前の正解はこれだ』って、首輪を繋いでもらう方が、ずっと……」
剥き出しの独白。自由を謳歌しているように見えるお調子者の仮面の裏側から、助けを求めるような素顔がのぞく。
「選ぶ」という行為は、その先に待つ結果のすべてを背負い込むということだ。しかし失敗し、誰かの瞳に失望の影を落とすリスク。その痛みを避け続けてきた彼にとって、『―HARMONIA―』の「優しい支配」は、傷ついた魂を癒やす甘美な毒に見えた。
遥はすぐに言葉を返せなかった。自分もまた、身長という変えられないリアルに傷つき、V.B.Lという仮想の楽園に救いを求めた人間だ。選択することの重みや、そこから逃げ出したくなる弱さを、彼女もまた知っていたから……
「……気づいたか、優太君}
背後からやはりリアルでも仮面を被って同行していたXが、優太にだけ聞こえる声で囁いた。
(―― Hare ShowとXが並んで歩く姿をみて、自分が今、どっちの世界にいるのか混乱している遥がいる……)
「はい……。街中の至る所に、センサーとカメラがあります。それだけじゃない、すれ違う人々の視線の動き、歩くテンポ……すべてが、何らかの信号に同期しているように見えます。そして街中の人々の視線……その動きのテンポが、1ミリ秒の狂いもなく、広場のホログラムの切り替え速度と同期している……。ここ自体が、アリーナの様で、国全体が、巨大なバーチャル・サーバーとして機能しているみたいです。」
「政府の中枢に集められた莫大なデータが、国民一人ひとりの『意思』と『傾向』をリアルタイムで計測し、フィードバックを与えている。彼らは自由選択だと思っているが、実際には思考の選択肢をコントロールされている」
Xは声を潜めた。
――笑顔で暮らす人々の背後に、うっすらとデジタルの檻が揺らめいている。
かつて貧困にあえいでいたこの国において、国民全員が等しく裕福に暮らせるこの社会、過去の暮らしに戻りたいと願う者はいない。だが、その代償として何を差し出したのか――その「熱気のなさ」と「冷たい影」。
豪華なスイートルームの窓から見える夜景は、あまりに美しく、そしてあまりに冷たかった。
遥は、自分の手が微かに震えていることに気づいた。ここは、自分たちが知っている「世界」ではない。バスケットボールすら、何か別のもののために利用されようとしている。次なる舞台は、コートの上だけではない。
「自分自身」が何者であるかを守り抜くための、最も過酷な戦いが始まろうとしていた。




