Node6.3:祝杯の裏側
3×3世界大会は、日本代表の劇的な優勝という衝撃的な結末で幕を閉じた。
狂乱のラスベガス。その喧騒を眼下に見下ろす「ザ・グランド・ラスベガス」の最上階。
世界を制した日本代表の四人は、広大なスイートルームの一角で、豪華なシャンパン……ではなく、ホテルの売店で買い込んだ山のようなジャンクフードと、プラスチックのコップに注がれたオレンジジュースで、ささやかな、しかし最も幸福な祝杯を挙げていた。
「よし、野郎ども!準備はいいか!世界の頂点に立った、俺たち最強の『TRINITY』に――かんぱーい!!」
翔太(Hare Show)がお面越しに声を張り上げ、ウサギ耳を激しく振動させる。
「乾杯!」という四人の声が重なり、プラスチックのコップが軽やかな音を立てた。
「……ふぅ、ようやく終わったわね」
美月は、シルクのソファに身を沈め、長い脚を投げ出して深く溜息をついた。
「アバターを動かしていただけなのに、指一本動かすのも億劫。これ、単なるヴァーチャルゲームじゃないわよね。全身の細胞が沸騰したみたいな……『脳筋トレーニング』の究極版?」
「脳筋っていうか……『メンタル筋』の限界突破だよ。一歩間違えれば、僕たちの意識は、あそこで焼き切れてたかも?」
優太が苦笑を漏らしながら、手元のタブレットで大会のスタッツを眺める。その指先はまだ、興奮で微かに震えていた。
「はは……でも、確かに疲れたけど、不思議と悪くない疲れだよ」
遥も笑った。軽食をつまみながら、世界大会を制した日本代表――その実感が、じんわりと胸に広がっていく。
談笑の中で、美月がふと真剣な顔になった。
「でもさ……最終戦は、あれ、NOVAじゃなくて遥で戦っていたって感じだよね」
「堂々としていて、輝いていたわ」
美月は心からの賞賛を込めて頷く。
「うん。NOVAじゃなくて、“遥”が戦ってた。俺、感動したよ」
優太の言葉は静かで、けれど重みがあった。その空気を、Hare Showがわざと大げさに切り裂く。
「はーい!エモい話はそこまで!世界一の立役者、遥様への拍手が足りませーん!」
翔太がピエロのように踊り、場を盛り上げているが、お面の下で、彼は泣きそうだった。翔太にとって、同級生のいつもふざけあっていた遥が、世界の頂点に立った、ヴァーチャルでも尊敬する存在になっていた。
「……な、なんか照れるな」
遥は苦笑いで受け流し、場はまた笑いに包まれた。
話題は自然と、今回の大会で体験した奇妙な出来事へと移った。
「結局さ、あの中国やアル=ナジールで起きてた現象って、日本で起きた不正ツール事件みたいなのと同じ、意識への干渉が各国で行われてたってことだよね」
美月がジュースのグラスを傾けながら言う。
「まあ、でも国家の陰謀とか、そんな難しい話じゃないだろ。単に、どこも同じバグにやられてただけじゃね?」
翔太があっけらかんと答える。彼の楽観的な答えは、時に場の空気を救う。
「……そうだといいんだけど……」
遥は曖昧に笑った。
重苦しい沈黙を、美月の派手な溜息が切り裂いた。
「ちょっと!せっかく勝ったのに暗いわよ!それより聞いてよ、私の完璧な人生計画が狂ったんだから!」
「何、美月さん、また何かあったの?」
「スポーツベッティングよ!日本優勝に105.8倍の大穴賭けてたのに、『異常事態』を理由にノーゲーム(賭け無効)扱い!勝ったらラスベガスにマンションに買えたのに!」
「あはは!美月さん、意外とガメつい!」
「残念だねぇ~、勝ってもノー配当。人生ってそういうもんだ」
Hare Showが芝居がかった口調で肩をすくめ、部屋は再び大笑いとなった。
こうして、4人は勝利を喜びながらも青春らしい他愛ない夜を過ごした。しかし、遥の胸には、不安よりも未来への期待が灯っていた。
翌日。各国のプレイヤーがそれぞれの帰路につく朝。
「それにしても、彼(Hare Show)いつまであのお面かぶっているのかしら?あれじゃ、出国手続きできないわよ」
美月が呆れたように呟く。
「またV.B.Lで再会しよう!」
「次はもっと派手に勝つから!」
遥たちはお互いに約束を交わし、手を振り合った。
各国のプレイヤーたちが熱狂の余韻を連れて去り、静寂を取り戻しつつあるWVBL本部の最高機密会議室。壁一面を覆う大型ホログラムには、決勝戦でアル=ナジールのシステムが崩壊した瞬間の、おびただしい数のエラーログと異常な脳波データが、赤く明滅していた。
その光に照らされながら、一ノ瀬大樹(Player_X)とイーグル・Jは、WVBL本部幹部たちを前に、凍りつくような極秘報告を行っていた。
「これは単なる偶発的なバグなどではない。VBLを苗床にして、世界中のネットワークに『精神操作アルゴリズム』を感染させる――大規模な実証実験だ」
イーグルの重厚な声が、防音壁に跳ね返る。
「バスケットボールという舞台を、全人類の精神をハックし、支配するための『檻』に変えようとしている。我々はそれを、瀬戸際で食い止めたに過ぎない。本部は、この事態をどう認識している?」
並み居る本部幹部の一人が、苦渋に満ちた表情で口を開いた。
「……断言するが、我々運営本部は一切関与していない。――だが、原因の所在は理解しているつもりだ。――その元凶は、V.B.Lの根幹機能である『メンタルパラメータ・フィードバック』にある」
幹部は手元の端末を操作し、NOVAのデータを出した。
「仮想空間での精神的成長が、リアルの脳構造にまで影響を及ぼす……この双方向性の機能そのものが、悪意あるハッカー達の標的となった。本部としては、安全性の観点から、この機能を次回アップデートで『永久廃止』する方向で検討中だ」
「待て! それは本末転倒だ!」
大樹がテーブルを叩いて立ち上がった。
「V.B.Lが人々を熱狂させるのは、バーチャルの努力がリアにも、リアルの努力がバーチャルをも変えると信じられるからだ。NOVAが、あの絶望的な干渉の中で闇を跳ね返し、『ゾーン』へと覚醒したのは、システムのおかげではない。彼女自身のV.B.Lで培った『心の力』が、パラメータという枠組みを体現した結果だ!」
「だが、一ノ瀬君。その『心』こそが、システムにとっては最大の脆弱性なのだ」
別の幹部が冷淡に遮る。
「問題となっているチート現象は、その精神の揺らぎに付け込んだ。安全を担保できない以上、人間を『成長』させる機能は削除せねばならん」
イーグルもまた、拳を血が滲むほどに握りしめていた。
「……俺たちの誇りを、管理側の都合で消させるわけにはいかない。だが、今のままではV.B.Lが汚辱にまみれるのも事実!」
イーグルの声は怒りと悔しさに震えていた。二人の視線が交錯し、会議室の空気が発火しそうなほどに張り詰める。
大樹は、会議室に並ぶ幹部たちの顔を一人ずつ、射抜くように凝視した。
(本部は黒幕ではない。だが……この中の誰かが、アル=ナジール、あるいはその背後にいる『巨大な組織』の影と繋がっている可能性は捨てきれない)
真の黒幕は、運営の頭越しに世界を書き換えようとしている。V.B.Lの基幹にある”HARMONIA”・システムを「人類統治のツール」へと変貌させようとする巨大な意志。
大樹は確信した。NOVAが掴み取った「ゾーン」という光こそが、奴らが最も欲しがり、そして最も恐れているものだということを。彼は、彼女たちが勝ち取ったその尊い輝きを守るため、父親として、そしてV.B.Lを愛する一人の開発者として、底なしの闇へと飛び込む決意を固めていた。




