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Node3.1:喪失と停滞

V.B.Lの空は、いつだって憎らしいほどに抜けるような蒼さだ。大気中には常に虹色の光の粒子が舞い、コートは1ミリの狂いもなく完璧なコンディションに保たれている。だが、その磨き上げられた「理想郷」が、今のNOVAにはひどく虚ろで、凍てつくほどに冷たい監獄のように感じられた。

親友であり、唯一の理解者であったユウタのアカウントがこの世界から「抹消」されて、一週間が過ぎた。NOVAは深夜のプラクティス・ルームに引きこもり、迷いを振り払うようにシュートを打ち続けていた。指先から放たれるボールの軌道は、物理演算上、完璧だ。タイミングも、手首の角度も。しかし、放たれたボールはリングの縁で無機質に弾かれ、空虚な音を立ててコートを転がっていった。

「……っ、クッ!どうすればいいの……?」

NOVAは毒づき、逃げるボールを乱暴に掴み上げた。視界の端に浮かぶステータス・ウィンドウ。そこには、皮肉にも―【メンタル:S(LIMITBREAK)】―という、全プレイヤーが渇望する最高位の称号が刻まれている。友を失った痛み。システムの闇に対する憤怒。それら全ての「負の感情」を、―V.B.Lシステム―はただの「強力なエネルギーのリソース」として数値化していた。

システム上、私は強くなった。誰にも折られない精神の柱を手に入れたはずだった。

けれど、実際はどうだ?ドリブルのリズムは、砂の上を歩いているようにぎこちない。得意のクロスオーバーを繰り出しても、かつての「鋭さ」の代わりに、逃げ場のない「迷い」が纏わりつく。プラクティスモードのデコイを相手にしていても、胸の奥に開いた巨大な空白が、重心を狂わせる。

NOVAのトリッキーな動きは、ユウタという「最高の助言者」がいて初めて成立していたと気づく。彼の泥臭く、けれど的確なアドバイスが、彼女のインスピレーションを極限まで引き出していたのだ。

今のコートには、彼女の問いかけに応える者はいない。ただ独り言のようにドリブルを刻み、ゴーストを相手にステップを踏んでいるような感覚。その圧倒的な虚無感が、NOVAという選手のコアを内側から腐らせていた。

(もっと早く、彼がシステムに囚われていたことに、私は気気づいていれば……)

自責の念が、鋭い刃となって心を抉る。私が勝ったから彼が消されたわけではない。それはわかっている。けれど、彼が助けを求めていた時に、勝利することだけを考えていた。友として手を伸ばすより先に、プレイヤーとしての欲望を優先した。その「自得」を選んでしまった自分への嫌悪。V.B.Lの蒼い空は、今や彼女の瞳には、重苦しい鉛色の幕にしか見えなかった。


スクリムに参加しても、かつての覇気は消え失せ、ランク下の相手にすら無様に敗北する。「なんだ、あのNOVAは?ランクの買い占めか?」「ハリボテの超新星だな」ロビーに流れる無機質なチャットの嘲笑が、古傷のような痛みを生む。

ユウタを連れ戻す。そのためには強くならなければならない。決意は本物だけれど、何をすればいいのか判らない。懺悔の術は見つからず魂の抜けた身体は、重力という名の絶望に囚われたまま、一歩も前へ進めない。


一方、リアルの放課後。

遥は相変わらず、重苦しい空気の体育館で、ベンチの隅に座っていた。どれだけ必死にリバウンドに跳んでも、150センチの指先はリングに届かない。

リアルの壁は、V.B.Lの絶望よりもずっと具体的で、明確だ。そんな中、膝を抱える彼女の隣に、翔太が静かに座り込んだ。

「……お前さ、最近ちょっと、雰囲気が変わったよな」

「えっ……?」

遥は虚を突かれ、顔を上げた。

「前より自信がありそう……っていうのとは、少し違うか。何て言うか、『覚悟』を決めた奴の顔をしてる。変わったと言うより、前の不器用なウサギのような瞳が、戻ったというか……」

翔太はタブレットから目を離さず、淡々と続けた。

「一時期のお前は、試合に出られない自分を恥じて、透明人間になろうとしていた事もあったが今は、ベンチにいても誰よりも激しく、コート上を泥臭くても駆け回っている。……お前のその目、俺は嫌いじゃないぜ。ミニゲームでも、ミスを恐れずに挑戦してる。まるで、別の世界で泥濘を越えてきたみたいに!」

遥は思わず、自嘲気味に微笑んだ。翔太の鋭い観察眼は、自分の内側で起こっている変化――バーチャルでの奈落を経て、リアルの自分の弱さに向き合い始めた姿勢――を正確に射抜いていた。孤独な戦いが、リアルでほんの少しだけ報われたような気がして、胸の奥の澱みがわずかに解けた。


――その夜。暗い自室でヘッドセットを装着した遥は、吸い込まれるように深夜のパブリックコートに降り立った。

誰もいない、静寂に包まれた電子の戦場。彼女は基本のドリブルから、今の自分を確かめるようにボールを突いた。

ダム、ダム、ダム……。孤独なリズム。けれど、それは確かに、今の自分に刻める精一杯の鼓動だった。


「――その迷い、ボールが泣いているぞ、お嬢さん!!」

不意に、鼓膜を震わせるほどに野太く、朗々とした声が背後から爆発した。NOVAは、思わず悲鳴を上げそうになりながら、振り返った。

そこに立っていたのは、あまりにも異質な存在感を放つプレイヤーだった。

漆黒の重厚なユニフォームに、顔を完全に覆うマスク。その体躯は、V.B.Lのアバター制限の極限までビルドアップされており、まるでその場に立っているだけで重力が書き換わるような錯覚を抱かせる。前に、ユウタから聞いたことがある。

非公式のダークマッチで最強と噂される謎のプレイヤー――『X』。


「だ、誰……!?運営の人……?」

「ハッハッハ!!運営だと?私はそんな野暮な連中とは無縁だ!!」

男は大仰に、それこそ舞台俳優のような派手なポーズを決めて叫んだ。

「名は名乗らぬが、人は私を『X』と呼ぶ!あるいは『正義の味方』と呼んでもらっても構わないぞ、お嬢さん!!」

(名乗っているし…………。)

NOVAは呆気に取られた。なんだこの人は。

目の前に立つ黄金の『プレイヤーX』は、太陽そのものを煮詰めたような圧倒的な陽のオーラを放ちながらも、凄まじい「中二病」の気配。あるいは、徹底したロールプレイヤーか?

「君のプレイは悪くない!技術スキルは一級品、スピードは特級品だ!!だが、肝心の『魂』が沈没している!!義務感で打つシュートなど、プログラムの残骸に過ぎん!!」

男の声は、もはや怒鳴り声に近い大きさだが、不思議と不快感はない。むしろ、凍りついていた空気を無理やり熱量で溶かしていくような、圧倒的なまでのポジティブさがあった。


「ハッハッハ!バスケットボールは自由の翼だ!楽しまぬ者に、その翼は羽ばたけんぞ!!さあ、顔を上げろ!コートには絶望よりも、笑顔と汗が似合うのだから!!」

(どこかで聞いたセリフだ…………。)

「……っ、ふふ、何それ……。漫画のヒーローじゃないんだから」

あまりの暑苦しさと非リアル的なテンションに、NOVAは思わず吹き出してしまった。一週間ぶりに、心の底から漏れた笑いだった。

「笑ったな!それでいい!!笑顔こそが、最高のバフ(強化魔法)だ!!」

Xは豪快に笑うと、巨大な手でボールを鷲掴みにし、NOVAに向けて豪速球で放り投げた。

「力も技もある!それを腐らせるのは、V.B.Lに対する最大の叛逆だ!!さあ、若き星よ!貴様のその重苦しい『迷い』を、この私にぶつけてみろ!!1on1だ!!」


成り行きで始まった、深夜のGAME。しかし、NOVAはすぐに気づかされた。この人、ただの変人ではない。NOVAは低重心からの最速クロスオーバー――。

一歩目の加速は、現状の最高パラメータによって、文字通り残像を残すレベルだ。だが、Xは動じない。いや、動じるどころか彼はNOVAが「次にどこを通りたいか」を、筋肉の収縮すら起こる前に完全に予見しているかのように、巨大な盾のように最短距離で立ちふさがる。

「ハッハッハ! どうしたお嬢さん! その程度の戸惑いで足が止まるのか? 迷いはノイズだ、コートの上では魂を燃やした奴が『正解』だ!」

(……強い!QUEENやユウタの物とは次元が違う……まるで、コート全体の未来を見通しているみたいだ!)

だが、NOVAの闘争心に火がついた。彼女は差し込まれたXの腕を、空中で無理やり回避するクラッチムーブを見せ、ゴール下へ切り込む。Xは巨体に似合わぬ猛然とした跳躍を見せ、背後から山が崩れるようなプレッシャーでブロックに迫る。


ガツォッ!!

凄まじい衝撃音。シュートは弾かれたが、NOVAの動きに迷いはなかった。着地したXは、マスクの下で低く、深みのある声で呟いた。

「……やるじゃないか。その輝き、本物だ」

その言葉に、NOVAの心臓がドクリと大きく波打った。この、圧倒的な実力者からの承認。悔しさよりも先に、渇望が湧き上がる。

もっと、この人の動きを見ていたい。この、太陽のような熱量を感じていたい。

そして。Xのプレイスタイルには、強烈な「既視感」があった。豪快なパワーでねじ伏せる力強さと、その裏にある、相手を導くような繊細なリズム。それは、かつてOB堂本が語っていた、父・一ノ瀬大樹のプレイスタイル――日本中の視線を奪った『SAMURAI』が、もし怪我をせずにバスケを続けていたら到達したであろう「ifの姿」。



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