Node2.3:断罪の残響、欠落による覚醒
予選グループD、最終戦。勝った方が決勝トーナメントへと駒を進める、運命のゲーム。カードは、NOVA vs ユウタ。
観客エリアには、かつてないほどのギャラリーが詰めかけていた。この数日、ユウタの変貌ぶりはJVBL全域で物議を醸していた。
以前の泥臭く人間味溢れる粘りは消え、機械のように精密で、冷酷なまでに効率的なバスケを展開する「正体不明の強者」への変貌。「ついに覚醒した」と称賛する声の一方で、「人間味がない」と眉をひそめる古参プレイヤーも少なくない。
試合開始直前、静まり返った控え室。二人のアバターが、重苦しい沈黙の中で向き合っていた。
NOVAは、目の前の友の姿に言葉を失った。
ユウタの首筋――精密なスキンのテクスチャの隙間から、赤黒いノイズが血管のようにドクドクと脈打っているのが見えた。一見すれば演出用のエフェクトに見えるが、NOVAにはわかった。あれは、かつてユウタが「毒林檎」の話と共に教えてくれた、不正拡張の副産物。
「……ユウタ、それ。首にあるの、何……?」
NOVAの声が、恐怖で細く震える。
ユウタは微動だにせず、虚空を見つめたままだった。スピーカーから漏れる彼の声は、平坦で、まるでボイスチェンジャーを通したかのように感情が削ぎ落とされている。
「……何って、力だよ。公式からの……。俺はようやく、この世界に認められたんだ」
「嘘だよ!それ、例の『毒林檎』パッチじゃないの!?止めなきゃ、ユウタが壊れちゃう!」
「壊れる?――冗談だろ。壊れていたのは、今までの方だ」
ユウタがゆっくりと顔を上げた。その瞳には、かつての温かな光などどこにもない。
「NOVA、お前みたいに最初から『持ってる』奴にはわからないよ。どれだけ努力しても、結局は生まれ持った才能の差に押し潰される絶望なんて。……リアルでも、ここでも、俺は透明人間だった。でも、このシステムは俺を認めてくれた。俺の『メンタルA+』というリソースを、正当に評価してくれたんだ」
「そんなの……ユウタの本当の力じゃない!楽しくないバスケなんて、意味ないよ!」
「結果がすべてだ。敗者に、楽しむ権利なんて与えられない。……行くぞ、NOVA。俺は君を倒して、俺は俺が『ここにいていい理由』を証明する」
冷たく背を向けたユウタ。そのアバターから発せられる信号は、既に友人のものではなく、システムの一部と化した冷徹な「断罪者」のそれだった。
◇ ◇ ◇
コート中央。試合開始のブザーが鳴り響く。
瞬間、ユウタが視界から消えた。
予備動作が一切ない。筋肉の収縮をシミュレートする「無駄な間」が、アルゴリズムによって完全にバイパスされている。NOVAが反応するコンマ数秒前に、ユウタは彼女の横をすり抜け、重力を無視した軌道でレイアップを沈めた。
『Goal!Score1-0』
強い。しかし、あまりにも「正解」すぎて、気味が悪い。ユウタの動きには、バスケ特有の呼吸がない。メトロノームの刻みだけで構成された無機質な楽曲のように、不気味な完璧さがコートを支配していた。
NOVAの攻撃。死に物狂いでクロスオーバーを仕掛ける。右へフェイント、左へ。だが、ユウタはまるで未来予知を行っているかのように、NOVAが切り返すはずの地点に、既に「配置」されていた。ボールが弾かれる。スティール。
データの暴力に、意志が屈服させられたような幾ばくかの攻防が続き、NOVAの意識は憔悴していく。
だがその時、ユウタのアバターが一瞬、奇妙にねじれた。シュートを決めた直後、腕がガガガッ、と不自然な角度で痙攣し、瞳のハイライトが真っ赤に明滅したのだ。
(……拒絶反応?ユウタの心が、システムに悲鳴を上げてるの?)
NOVAはハッとした。彼は勝っているのに、その奥底にある魂は、暴走する補助AIの命令に振り回され、ボロボロに擦り切れている。
『かつてユウタは言った――楽しんでいる奴が、一番強いんだと』
「……私は、私たちが笑い合っていたあの時のユウタを信じる!」
NOVAは顔を上げた。データの予測ではない。ユウタという人間そのものを感じろ。彼なら、ここでどうしたい?本当は、どんな風にステップを踏みたい?ユウタが最短距離の「最適解」で突っ込んでくる。
――そこだ!
NOVAは、あえて「正解」の逆側へ跳んだ。ツールの演算が弾き出した予測ルートではなく、ユウタがかつて好んでいた、少し癖のある「遊び心のあるターン」の方向へ。
ユウタの動きが、一瞬だけ止まる。「効率」を強制する補助AIと、ユウタの深層意識に残っていた「本能」が激突し、システムエラーを引き起こしたのだ。
一瞬のラグ。思考と命令の衝突。
ユウタのアバターがフリーズしたように硬直した。NOVAはその隙を見逃さず、こぼれたボールを奪い取ってクリア、リスタート。
背後から、バグによるノイズを撒き散らしながら追ってくるユウタの気配。速い。だが、今のNOVAの跳躍は、どんなデータよりも熱かった。
フリースローラインで踏み切る。今までで一番高く。空中で追いついてきたユウタのブロックを、滞空時間を活かしたダブルクラッチで回避する。それは、システムのアシストでは決して描けない、泥臭くも美しい、人間だけの不規則な軌道。NOVAの連続オフェンスが続き、遂に逆転。
ズドン!!
ゲーム終了と同時にNOVAのダンクが決まる。リングにぶら下がるNOVAの真下で、ユウタが呆然と膝をついた。その瞳には、一瞬だけ、いつもの穏やかな光が戻っていた。
「……やっぱすげぇや、NOVA。……」
それは、憑き物が落ちたような、本来のユウタの、柔らかい声だった。
――しかし、その救済の時間は、無慈悲な警報音によって切り裂かれた。
アリーナ全体が血のような赤に染まり、天蓋から漆黒の執行オブジェクトが降りてくる。
『WARNING:不正プログラム検知。対象ID:ユウタ』
『判定:アカウント永久凍結(PermanentBan)』
観客席から、容赦のない罵声が降り注ぐ。
「なんだ、チーターかよ!」
「最低だな!」
「二度とログインしてくんな!」
ユウタは立ち尽くしたまま、自分を包囲するノイズの奔流を見上げ、NOVAに向かって弱々しく微笑んだ。その顔は、絶望から解放された安堵と、二度とここへは戻れない悲壮感が入り混じった、泣き出しそうな子供の表情だった。
「……ごめんな、NOVA。楽しかったよ、君とのバスケ」
次の瞬間、ユウタのアバターはノイズの砂嵐となって四散した。叫びを上げる間もなく、彼はこの世界から「削除」された。
NOVAの手が、虚空を掴む。
「ユウタ――!!」
その光景を、監視ルームから凝視していた一ノ瀬大樹――識別コード『X』。彼はコンソールに叩きつけられる警告ログの奔流を見て、目を見開いた。
「……何だと?削除シーケンスが稼働した……!?」
大樹は、ユウタを削除するつもりはなく、逆に媒介にして、バックエンドへ逆探知を仕掛けようとしていた。このままでは、すべてのログが消えてしまう。
「中止だ!コマンド・オーバーライド、全プロセスを停止しろ!」
大樹の指がキーボードを叩く。だが、画面には非情な拒絶メッセージが点滅した。
『ACCESSDENIED:実行権限が最優先プロトコルによって上書きされました』
「馬鹿な……。私の管理権限が弾かれただと?」
大樹の背中に冷たい汗が流れる。ユウタのアカウントを強引にBANし、その接続痕跡まで根こそぎ消去しようとしているのは、V.B.L基幹システムの自浄作用ではない。何者かが外部からV.B.L基幹システム中枢へ侵入し、直接「削除の実行」を命じている。
(誰だ……?誰が証拠隠滅を急いだ?)
基幹システムへの外部侵入など、不可能に近い。ましてや、管理者である『X』の権限を上回るコマンドを実行するなど、内部の協力者――それも運営中枢自体の「裏切り」がなければ成し得ない業だ。
大樹は、モニターの中でノイズの砂嵐となって消えていくユウタの残像を見つめた。これは、ただのチート事件ではない。基幹システムの導入先であるアル=ナジール共和国 (Al-Nazir Republic)の影がちらつく。巨大な国際的組織が、V.B.Lを舞台に「何か」を完成させようとしている。
「トカゲの尻尾切りにさえ、手間を惜しまないか。……相手は思っている以上に巨大で本気だ」
大樹は震える手でコンソールを閉じた。守りたかった少年を「餌」にした挙句、救うことさえできずにその存在を抹消された。無力感と同時に、これからV.B.Lと娘の身に降りかかるであろう巨大な災厄の予感に、彼は奥歯を噛み締めた。
――唯一の救いがあるとしたら、NOVAが勝利した瞬間、暴走に近い速度で稼働していた補助システムがデリートプロトコルにより強制停止される。それは、まさに「紙一重」の慈悲の様にも思える。
不正ツールが吐き出す膨大な過負荷は、すでにユウタの脳神経の許容限界を突破しようとしており、脳幹を直接焼き焦がすような電子の奔流が、取り返しのつかない神経回路の損壊に至る、わずか数秒手前。強制ログアウトによる回路の遮断が、彼を「廃人」という奈落の底から、かろうじて引き戻したのである。
システムの非情な処理が、結果として彼の命を繋ぎ止めた。NOVAの勝利がもう少し遅れれば、ユウタの意識は二度と現実に戻ることはなかっただろう。
――リアル。木村優太の部屋。
激しい耳鳴りと共に、静寂が訪れる。ヘッドセットを外した彼は、真っ暗なモニターの前で震えていた。
画面には「CONNECTIONREFUSED(接続拒絶)」の無機質な文字。
神経回路損壊の寸前からの帰還ではあったが、唯一の避難所からも、自分という存在を抹消された。学校でも、家でも、そしてネットの世界ですら……。
――彼は全ての居場所を失った。
「あ……あぁ……っ」
誰とも繋がらないスマホ。通知の来ない画面。声にならない嗚咽だけが、冷え切った高級マンションの一室に、むなしく響き渡った。
◇ ◇ ◇
――V.B.Lアリーナ。
独り残されたNOVAの前に、パラメータ更新のウィンドウが静かに開く。
【パラメータ更新】
■フィジカル:上昇
■オフェンス:上昇
■メンタル:S(限界突破)
NOVAはその数値を、憎しみを込めて見つめた。皮肉だった。勝利の喜びなど欠片もない。友を救えず、その犠牲の上に成り立つ成長。
(……こんなので、上がるんだ)
喪失と、決意と、激しい怒りが「メンタル」という数値を跳ね上げた。
(こんな、心が千切れるような思いをしないと強くなれないなら……こんなパラメータなら、いらない!)
NOVAは涙を拭い、顔を上げた。彼は、被害者だ。弱みにつけ込み、唆し、使い捨てにした「公式」を騙る何者かが、この世界のどこかに潜んでいる。
「……ユウタを連れ戻したい」
その瞳に、かつてないほど鋭い、復讐に似た蒼い炎が宿る。新星(NOVA)は、自らの意志で、その支配に牙を剥くことを決意した。




