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境界線の街  作者: ヒビキ
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8/22

混ざる

三日間、取材で出払っていた。

現地での必要な資料集めを終えたカナデは、エレベーターの壁に寄りかかり次の構想に耽っていた。


目的の階層へ到着した音。

自動ドアが開く。

部屋の鍵を取り出しながら、ブーツで廊下の床を蹴る。

扉の前で一度荷物を下ろし、カナデは鍵を差し込んだ。


鍵の開く音。

荷物を持ち上げ、開いた扉から体を滑り込ませる。

無音の室内は暗く冷えきっている。

上がり口に荷物を置き直し、後ろ手に鍵を閉めて、備え付けのシューズボックスの上に使ったばかりの鍵を置く。


チャリ。


置いた鍵が立てるはずのない、金属の触れ合う音を立てた。



「……?」



訝しんでライトを点ける。

見覚えのない鍵が一本。

いや、正確には形状に覚えがある。

今しがた置いたばかりの、ディンプルキー。



「…………」



光の中でふたつの鍵をつまみ上げて見比べる。

レザーのキーホルダーがついた自分の鍵と、なんの飾りもついていない、けれど使い込まれた傷が残る鍵。

こんなものが作れる人間は一人しか思い当たらない。

荷物の片付けを後回しにして、ブーツを脱いで部屋に上がる。


室内は夜明けの光で薄暗く、しかし静寂に満ちていた。

迷わず壁のスイッチを押す。

間接照明に照らされた部屋。

そこには姿こそないが、自分のものではない煙草と空のマグカップがひとつ。



「…………あいつ、いつから……」



気付かなかった。

おそらくベッドルームに行けば"いる"。

脱力してそのままソファに座り込む。


本当に分からない。

一体いつから"こう"だったのか。

取材のたびに泊まりに来ていたのか。

否、今までこんな形跡はなかった。



「…………」



沈黙。

示された解答に重いため息を吐く。

叩き起こす気にもなれず、煙草を吸う気すら起きずに緩慢にソファを離れるカナデ。

着ていたジャケットをコート掛けに引っ掛け、顔を洗いに洗面所へと向かう。

水音。

蛇口から流れる水の冷たさが身に染みる季節。

濡れた顔と手を新しいタオルで拭ったところでふと気付く。

いつの間にか歯ブラシが増えている。



「……っはは」



もはや笑うしかない。

自分の預かり知らぬところで、アイビーの影が濃くなっていた。

ただ、不思議とそれに怒りは感じない。

零れるのは乾いた笑いだけ。


一度外した眼鏡を掛け、ライトを消しがてらリビングを通り抜けて着替えのあるベッドルームへ。

本来ならプライベートな部屋であるはずのそこには、やはり銀髪の男が眠っていた。


アイビー。


声を出さずに唇だけで呟き、ラックから部屋着を取り出して着替える。

何も考えたくなかった。

ただ、泥のように眠りたかった。

まるでカナデが眠る場所を確保するように、ベッドの片側に身を寄せる彼を問い詰める必要も何も感じない。

いたければ、いればいい。


眼鏡を外してサイドテーブルに置き、同じベッドに潜り込む。

自分より少し高い体温で温まった布団の中。

いつからか二人分ある枕に頭を預けて、窓から入る薄明かりに照らされた後頭部をぼやけた視界に収める。

静寂の中に響く、規則的な呼吸音。

カナデは何も言わない。

ただ口元に僅かな、どこか自嘲さえ混じる苦笑を一瞬浮かべた。


今日はあとから悠々と起きてコーヒーの一杯も淹れさせよう。


そんなことを考えながら、カナデは静かに瞼を伏せた。



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