混ざる
三日間、取材で出払っていた。
現地での必要な資料集めを終えたカナデは、エレベーターの壁に寄りかかり次の構想に耽っていた。
目的の階層へ到着した音。
自動ドアが開く。
部屋の鍵を取り出しながら、ブーツで廊下の床を蹴る。
扉の前で一度荷物を下ろし、カナデは鍵を差し込んだ。
鍵の開く音。
荷物を持ち上げ、開いた扉から体を滑り込ませる。
無音の室内は暗く冷えきっている。
上がり口に荷物を置き直し、後ろ手に鍵を閉めて、備え付けのシューズボックスの上に使ったばかりの鍵を置く。
チャリ。
置いた鍵が立てるはずのない、金属の触れ合う音を立てた。
「……?」
訝しんでライトを点ける。
見覚えのない鍵が一本。
いや、正確には形状に覚えがある。
今しがた置いたばかりの、ディンプルキー。
「…………」
光の中でふたつの鍵をつまみ上げて見比べる。
レザーのキーホルダーがついた自分の鍵と、なんの飾りもついていない、けれど使い込まれた傷が残る鍵。
こんなものが作れる人間は一人しか思い当たらない。
荷物の片付けを後回しにして、ブーツを脱いで部屋に上がる。
室内は夜明けの光で薄暗く、しかし静寂に満ちていた。
迷わず壁のスイッチを押す。
間接照明に照らされた部屋。
そこには姿こそないが、自分のものではない煙草と空のマグカップがひとつ。
「…………あいつ、いつから……」
気付かなかった。
おそらくベッドルームに行けば"いる"。
脱力してそのままソファに座り込む。
本当に分からない。
一体いつから"こう"だったのか。
取材のたびに泊まりに来ていたのか。
否、今までこんな形跡はなかった。
「…………」
沈黙。
示された解答に重いため息を吐く。
叩き起こす気にもなれず、煙草を吸う気すら起きずに緩慢にソファを離れるカナデ。
着ていたジャケットをコート掛けに引っ掛け、顔を洗いに洗面所へと向かう。
水音。
蛇口から流れる水の冷たさが身に染みる季節。
濡れた顔と手を新しいタオルで拭ったところでふと気付く。
いつの間にか歯ブラシが増えている。
「……っはは」
もはや笑うしかない。
自分の預かり知らぬところで、アイビーの影が濃くなっていた。
ただ、不思議とそれに怒りは感じない。
零れるのは乾いた笑いだけ。
一度外した眼鏡を掛け、ライトを消しがてらリビングを通り抜けて着替えのあるベッドルームへ。
本来ならプライベートな部屋であるはずのそこには、やはり銀髪の男が眠っていた。
アイビー。
声を出さずに唇だけで呟き、ラックから部屋着を取り出して着替える。
何も考えたくなかった。
ただ、泥のように眠りたかった。
まるでカナデが眠る場所を確保するように、ベッドの片側に身を寄せる彼を問い詰める必要も何も感じない。
いたければ、いればいい。
眼鏡を外してサイドテーブルに置き、同じベッドに潜り込む。
自分より少し高い体温で温まった布団の中。
いつからか二人分ある枕に頭を預けて、窓から入る薄明かりに照らされた後頭部をぼやけた視界に収める。
静寂の中に響く、規則的な呼吸音。
カナデは何も言わない。
ただ口元に僅かな、どこか自嘲さえ混じる苦笑を一瞬浮かべた。
今日はあとから悠々と起きてコーヒーの一杯も淹れさせよう。
そんなことを考えながら、カナデは静かに瞼を伏せた。




