滲む
アイビーは基本的に定着しない。
複数の拠点を持ち、必要に応じて移動する。
以前、確かにカナデはそう聞いた。
他ならぬアイビー本人の口から。
「ん」
「……ああ」
気付いたら既にこうだった。
自分から招いた夜以来、アイビーは少しずつカナデの部屋に居座りがちになった。
最初はカナデのほんの少しだけサイズが大きい部屋着を着ていたアイビー。
歯ブラシひとつとっても携帯用のそれを持ち込んで、痕跡なんて残さなかったアイビー。
淹れてもらったコーヒー片手に、隣に座る銀髪を盗み見る。
買った覚えのない部屋着が洗濯物に混ざるようになったのは、果たして一体いつからだったか。
「……豆の挽き具合間違ってたか?」
「……いや、合ってる」
いつものようにソファの背もたれへ腕を引っ掛け、カナデの背後に手を回すアイビー。
基本的には触れはしない。
が、たまに襟足のマゼンダを指先で掬って遊ぶ癖が増えた。
コーヒーを啜り、スマートフォンを手慰みに弄る。
そういえば、アイビーがまともに泊まるようになってから食事を摂る日が増えた気がする。
昔は料理下手もあって食事に興味が湧かず、ゼリー飲料とエナジードリンクと煙草で終いだったカナデの世界。
「……アイビー、お前」
「……あ?」
「……いや、いい」
なんでもない、と締めくくる。
俺の部屋着と同じ匂いの、自分専用を着たアイビー。
飲みかけのコーヒーを置いて煙草を手に取る。
カキン、とジッポの蓋を開ける。
……無言の空間。
火打石が火輪と擦れる音と、それに付随する着火音。
じり、と煙草の葉が焦げる。
……そこで気付いた。
「……アイビー、口開けろ」
「……んだよ、寝惚けてたのか?作家センセ」
「黙って吸ってろ」
吐息で笑うアイビーが、カナデの差し出した煙草を咥える。
雑に並んだ煙草の箱を見ずに取って間違えた。
それだけの話。
改めてカナデは煙草を口に咥える。
再び響く火輪の擦れる音。
一度ではなく、数度続く。
火花だけが虚しく散る。
「……火、貸してやろうか」
強い感情は見えない声。
「……元は俺の火だろ」
ため息混じりにジッポを放る。
煙草を咥えたアイビーが身を寄せる。
カナデも軽く火種に顔を向ける。
触れ合う先端が酸素を得て、薄暗い照明の中で煌々と光る。
深く吸った息を吐くカナデ。
その吐息には紫煙が混ざる。
隣で同様に煙と戯れるアイビーは、立ち上がって棚からオイル缶を放る。
カナデはそれを一瞥してキャッチする。
「どうせまだ起きてんだろ」
声に特別な温度はない。
オイル切れのジッポを手に取ったカナデが、蓋を開けてケースを引き抜く。
オイル缶の注ぎ口を立て裏側からオイルを差す、その手には一切の淀みがない。
「……ん」
「はいよ」
少し上へ腕を掲げて注ぎ口を寝かせたオイル缶を返す。
受け渡しの際にほんの少しだけ互いの指先の温度が掠める。
缶を戻したアイビーが戻ってくる頃には、ジッポは再びテーブルの上へ置かれていた。
色素の薄い目が何気なくそれを見て、すぐ自分のスマートフォンへと吸い込まれる。
真夜中の静寂が二人を包む。
何気なくカナデの目がベッドルームへと向けられる。
今夜もベッドが狭くなりそうだ。
そう、カナデは心の中で独りごちた。




